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2008年7月23日/5月のメルド! メルド日記愛読者の皆さん、長らく更新できずにいて申し訳ない。ステージや講演や録音や執筆が重なり、なかなか時間がとれなかった。今回は5月のご報告である。 5月は、私にしてはずいぶんたくさんのステージがあった。それぞれ、うまく行ったり行かなかったり・・・。 5月7日には、文芸誌「すばる」の仕事でフランスの作家エシュノーズに会った。エシュノーズはみすず書房の招聘で来日し、早稲田や阪大、京大で自作についての講演をするという。私も「図書」の連載では彼の『ピアノ・ソロ』や『ラヴェル』といった音楽小説をとりあげているので、「すばる」からインタビュアーの話がきたのである。 くわしくはHPにアップされている記事を見ていただきたいが、私がいちばんおもしろかったのは、クラシックのピアニストのプレッシャーに関するくだりだった。 有名なピアニストのマックスを主人公にした『ピアノ・ソロ』では、ステージ前のピアニストを襲うすさまじいプレッシャーについて、臨場感あふれる描写がなされている。 エシュノーズは専門家しか知り得ない心理の動きについて、友人のピアニスト、アラン・プラネスから情報を得たという。なるほど迫真に満ちているわけだ。 若いころはジャズのプレイヤーをめざしたこともあるエシュノーズは、クラシックのピアニストというのは、どう考えても奇妙な商売だ、と言う。自分がつくったのでもない曲をすみからすみまで暗記して弾かなければならず、作品に対して責任を追わなければならない立場に置かれている。いきおい、公衆の面前にさらされたときの心的プレッシャー、身体的緊張は大変なものだろう。 ショパンの2番のコンチェルトを弾き終えたマックスが自宅に帰ってシャワーを浴びながら、ほんの二カ所のミスをくよくよ思い悩むシーンもおもしろかった。あんなミスは深刻なものではない、自分以外は誰も気づかないだろうと自覚しているにもかかわらず、いつまでもそのことが頭から離れないのだ。 私はエシュノーズにこんな話をした。最近、ピアノ雑誌でトップクラスのアーティストにインタビューする仕事をはじめている。コンサートですばらしい演奏を聴いたあと楽屋に尋ねると、彼ら、彼女らはしばしば私に「ごめんなさい」とあやまる。「なぜ?」ときくと、あそこをミスした、あそこがうまくいかなかった・・・という答えが返ってくる。でも、『ピアノ・ソロ』のマックスと同じように、専門家ですら 気づかないようなささいなミスなのだ。 するとエシュノーズは、「我々芸術にたずさわる人間は、多かれ少なかれいつも『ごめんなさい』を言わなければならない立場に置かれているよ」と言ったものだ。 うまいなぁ、このはぐらかし方。 5月24日は「ドビュッシー・シリーズ」の第2回だった。「ドビュッシーとパリの詩人たち」と題してヴェルレーヌやピエール・ルイスの詩による歌曲、4手連弾曲をとりあげる。シリーズ中でも一番楽しみにしていた企画だ。 私の最初のドビュッシー体験がヴェルレーヌの詩による『忘れられた小唄』と『フランソワ・ヴィヨンの3つのバラード』だった。この世にこんな美しい音楽があるのかと思ったのがきっかけで、ドビュッシーとその周辺に興味をもつようになった。芸大時代もフランス歌曲の講座に遊びに行き、つとめて伴奏を引き受けてきたものだ。 でも、これはと思う歌い手の方にはなかなか出会えなかった。フランス歌曲は、イタリア歌曲のようなジャンルとは発声が異なっていてコントロールがむずかしい。とりわけドビュッシーの歌曲では、あまりヴィブラートをきかせない透明で繊細な歌声が好ましいと思っている。しかも会場のすみずみまでよく通る声。 ドビュッシーの歌曲は、テキストの解釈もむずかしい。ドビュッシー自身が最先端の詩人たちと交わり、音楽をつけるにふさわしい詞について数々の議論を戦わせている。詩の深い意味まで読み取るような知性と感性が求められる。 こんなハードルの高さに、野々下由香里さんは見事に応えてくださった。ほとんど理想の歌声だったと思う。聴衆にも大変評判がよかった。いわゆる歌姫のようなグラマラスなタイプではないが、とても艶っぽかったという声も多かった。 最近ではバッハ・コレギウム・ジャパンのソリストとして多忙をきわめるが、実はフランス歌曲の出身。これからはたくさん歌っていただきたいと切に願っている。 歌曲は原語で歌わなければならないし、いくら歌詞カードを配ってもなかなか頭にはいってこないだろうと思い、朗読に田並明日香さんをお願いした。私が作成した解説文や、ピエール・ルイスの詩にもとづく4手連弾曲『6つの古代碑銘』のテキストも読んでいただいた。こちらも理解が深まったと好評だったが、多少解説部分が長すぎたという意見もあった。 『6つの古代碑銘』と4手連弾に編曲した『牧神の午後への前奏曲』は、ドビュッシーのセミナーから巣立ったピアニスト、下山静香さんと深尾由美子さんに弾いていただいた。むずかしい曲が並んだので、ポピュラーな『牧神』はとても喜んでいただけたと思う。 私自身はずっと歌曲の伴奏部分を担当していたので、アンコールでは2曲だけソロを弾いた。ボードレールの詩「露台」にもとづく『石炭の熱に照らされた夕べ』と、「夕べの階調」にもとづく『音と香りは夕暮れの大気に漂う』。 トークで少しだけ冗談を言った。実はこの日初めて、ステージで眼鏡を着用したのである。 「皆さんきっと、ついにあいつも老眼になりやがったと思っているでしょう、でも違うんです。これは、芸大の大学院を修了して留学するまでの間、自動車の免許でもとろうかと思ってつくった近眼の眼鏡です。結局免許はとれませんでしたので眼鏡もずっと使わないままそこら辺に放り出してありました。 ソロのときは譜面を見る場合でも裸眼で弾きますが、歌曲の伴奏はもっと細かいところに気を配らなければならないので眼鏡が必要になってきます。最近、たぶん老眼と近眼がまざりあってこの眼鏡でちょうどよい具合に楽譜が見えるんです・・・」 打ち上げは、たまたまコンサート後に飲み会を計画していた中学時代の同級生と出演者が合流して、カレッタ汐留でわいわいにぎやかに行われた。 第2回は無事終了! しかしまぁ、それからの忙しかったこと。 27日は大阪のある文化センターのオープニング・セレモニーのパーティで演奏とトークを頼まれていた。 その文化センターでは、学問と芸術の融合をめざして市民講座を運営し、文化イベントなど出張講座にも対応していくとのこと。かねてからアカデミックな分野とアーティスティックな分野が遊離していることを嘆いていた私としては大いに期待をもって臨んだのだった。 事前に主催者側から、「ご列席の皆さんをしーんとさせるような華やかな曲を弾いてください」との要望が寄せられていた。困ったな。私はドビュッシー弾きで、持ち曲にうるさい曲はあまりない。でも、こういうとき誰もが思うだろうが、「しーんとさせる」というのは比喩で、「しーんとさせるぐらいステキな曲を弾いてください」ぐらいの意味にとったのだった。 演奏はパーティの開始で一曲、来賓祝辞のあとにもう一曲とトーク。それぞれ5分ずつということだった。ピアノの機種を調べていただいたところ、ヤマハのS400とのこと。事前に調律もしてくださるという話だった。それなら信頼できると、最初はショパンの『華麗なる円舞曲』、パーティにはいってからはドビュッシーの『亜麻色の髪の乙女』と『ミンストレル』を弾くことにした。 オープニング・セレモニーは2部にわかれ、第1部は文化センターの設立にかかわった方々や文化関係者による講演会である。その間にこちらはパーティ会場でリハーサルをした。 ふかふかの絨毯が敷かれた宴会場にマホガニーのピアノ。ここでまず、ちょっといやな予感がした。絨毯は音を吸ってしまうし、マホガニーのピアノは楽器としてよりは家具として扱われ、稼働率が極端に低いことが多い。おまけに椅子が、やはり家具調で高さの調節のつかないものだった! ひとしきりさわってみたら、思った通りほとんど使われていない楽器で、フェルトが柔らかく、タッチがもこもこしていて、鍵盤のはね返りが悪い。ショパンの『華麗なる円舞曲』には軽やかな連打音がたくさん出てくるので、普段の弾き方では音がつづいてくれない。さて、どうしたものか。 リハーサルとはいってもパーティ会場。ウェイターやウェイトレスさんがご馳走の用意をしている。食器のカチャカチャ鳴る音。テーブルをひきずる音・・・。そんな中で苦心さんたんして編み出した弾き方は以下の通りだ。はね返りの悪い鍵盤を逆利用して、ほとんどレガートで歌うように連打音を弾くこと。 よく調整されたピアノなら、鍵盤がほぼ上がりきったところですばやく次のタッチをすると、カタカタカタ・・・と切れのよい連打音が弾けるのだが、このピアノは戻りが鈍いので、半分ぐらい上がったところで次の音を弾き、ブーンと同じ音が鳴りつづけているような効果を出す。跳ね返りに時間がかかるので、テンポも少し落とす。 よし、これなら大丈夫だ。 我々ピアノ弾きは自分の楽器を持って歩けないので、その場で出てきた楽器をなんとか弾きこなすのも芸のうち、短いリハーサル時間で何とかしてやろうという工夫はそれなりに楽しいものだ。 弾き方の調整を終えたところで、第1部のセレモニーもお開きになり、会場には大勢のお客さまがはいっていらした。それぞれグラスを手にして、思い思いの話題に花を咲かせる。 正面には縁台があってマイクが置かれ、司会進行役のアナウンサーさんもスタンバイしている。 ところで私は、進行について勘違いしていたようなのである。主催者からは、パーティの最初に弾く曲目だけを提出するように言われていた。あとで弾く曲は、トークの間に自分で伝えるようにとのことだったから、漠然と、司会の方が私と演奏曲目を紹介してくださるのだとばかり思いこんでいた(司会者との進行に関する打ち合わせはなかった)。 ところが、会場にお客さまが集まり、お話が盛り上がっている最中に、主催者から「さぁ、それでは演奏してください」と言われたのだ。 ん? この中で弾くの? ということは、「しーんとさせる」のは文字通り「お客さまを黙らせるぐらい大きな音を出して弾く」という意味? そのときの会場内は、会場中ががやんがやんしてそれが天井に跳ね返ってさらに増幅されている状況。仕方なく『華麗なる第円舞曲』のイントロを「パーンパカ、パーンパカ、パンパカパンパカパンパカ」と始めてみたものの、当然のことながらどなたも黙ってくださらない。ピアノのすぐそばにいる方々だっておしゃべりに夢中。 これまでも、パーティなどで演奏したことは何度もあるが、最初に司会者による紹介があってから弾きはじめるのが普通で、それでも3分の1ぐらいの方にしか聴いていただけないものだが、これほどの喧騒の中で弾いたのは初めてだった。 悲惨なのは、こんな中でもごく少数の方はちゃんとピアノに注目してくださっているということだ。ただでさえ絨毯ふかふかの会場で、ほとんど使っていない楽器だから、がやがやの中で自分の音がよく聞こえない。でも、注意して聴いてくださる方には聞こえるというわけだ。 いただまれない思いにかられ、よっぽど途中でやめようかと思ったが、いやいやと思いなおし、ものすごいスピードで突っ走って最後の和音だけを特別に目立つようにガシャガシャと弾いたら、拍手だけはちゃんときた。 リハーサルで弾き方をあれこれ工夫したのも何の役にもたたなかったわけで、実にむなしい気分だった。 どんな状況であれ、「お客さまをしーんとさせられなかった」のは私に非があるのだ。もっと知名度があれば、もっと存在感が、オーラがあれば、あるいは? そこで考えたこと。いったい、何を弾いたら、またどのようにしたら、お客さまを「しーんと」させることができたのか? 文字通り大砲のような音を出すためには、ショパンの『華麗なる円舞曲』ではいかにも役不足だ。せめて『英雄ポロネーズ』か。いや、たぶんそれでも足りなかっただろう。 PA(音を電気的に増幅させる装置)を入れ、『千の風に乗って』でも弾いたら聴いていただけたかもしれない。作戦が甘かった・・・・。 つづくトークと演奏もあまりうまくいかなかった。 トークではこんなお話をした。 「貴センターでは学問と芸術の融合を目指されるということで、大いに期待しております。私自身が、演奏家と研究家の双方を兼ねていて、アカデミックな分野とアーティスティックな分野の壁にずっと悩まされてきたからです。 現在私は、大阪音大に年10回の契約で通い、ピアノ科の修士論文も指導しています。これはどの音大でもそうですが、ピアノの学生は学部卒業のときは演奏だけで論文は書きません。修士のときが初論文ということになります。論文というものを書く訓練ができていないので、ひとつの文章の中に主語が3つあったり大変なこともありますが、演奏科の学生として音楽やテキストと直に接しているので、発想がおもしろいんです。 音楽というのは楽譜を書いただけでは完成せず、それを演奏してはじめて作品として成り立ちます。ですから、演奏家の発想を研究に活かすようなシステムがあってもいいと思うが、同じ音大内でも楽理科と演奏科の学生の交流はあまりないとききます。 私は芸大の博士課程に入学してはじめて研究に従事したわけですが、演奏を通して肌で知っている感覚的なものを資料的に実証することのむずかしさを嫌というほど思い知らされました。 そんな中で、一人だけ、大阪音大から旧帝大の音楽学の大学院に進学し、今は博士課程に在籍してポーランドの近代作曲家の研究をしている方がいらっしゃいます。その方は、積極的に大学の授業を聴講したり、教授とコンタクトをとったりして道を切り開いたのですが、普通は気おくれが先にたってなかなかそこまで行きません。もしシステムとして交換授業のような制度があれば、ずいぶん双方の分野が発展していくと思います」 あとは、大阪はさすがお笑いの国で、学生さんもユーモアのセンスがあり、ドビュッシーの冗談音楽などもとてもよく理解してくださる、というような話で締めくくり、『前奏曲集』から「亜麻色の髪の乙女」と「ミンストレル」を演奏したが、「音楽における沈黙」を追求したドビュッシーの作品はこの場にはまったくふさわしくなかった。 大阪は深刻なクラシック離れに悩んでいる。つい先頃も大阪センチュリー交響楽団への補助金全面カットが伝えられ、関係者が橋本知事に陳情しているところがテレビで放映された。知事は無慈悲にも「いったい大阪にクラシックは根付いているんですか? 大阪といったらお笑いじゃないですか?」と切り捨てていた。 ところで、祝賀パーティで主賓の方々は口々に「大阪はお笑いだけではありません、学問も芸術もあります。文化センターがその拠点になります」と力説していらした。出席者も文化関係者で占められていたのではないかと思うが、それでもこうなってしまうのである。クラシックが根付いていない上に、私では役不足だったのだろう。 28日は大阪音大で終日レッスン。29日は神戸に行き、前回のメルド日記でご紹介したように、祖母の旧家が兵庫県の重要文化財に指定された関係で授与式に出席した。そのあと、神戸新聞社にまわり、倉敷へ。 30日はくらしき作陽大学での公開レッスンとミニ・コンサートが予定されていた。前日から倉敷入りし、世話役の先生にステーキハウスに連れて行っていただいた。 昨年、日本ピアノ教育連盟の山陽支部で公開講座に呼んでいただいたとき、「おいしいステーキをご馳走しますから・・・」という殺し文句にころっと参って引き受けたお仕事である。 その名も「ステーキハウス楽園」というそのお店は、元気な女将が巨大な鉄板の上で豪快に肉を焼いている。天井でプロペラ型の扇風機がまわっているあたり、店内は中華飯店のような雰囲気で、とてもステーキハウスには見えない。 最初に出てきたのが460グラムという巨大なステーキ。それを一人でいただく。今まで食べたうちで最重量のステーキだと思うが、よほど肉質がよいのだろう、不思議にするするっとはいってしまう。付け合わせにもやしがどっさり。これがまたおいしい。 460グラムをペロっとたいらげたところに、次に出てきたのが牛の血管の輪切り。鉄板で焼いてたれをつけていただく。これがまたコリコリしておいしい。ミノやハラミも出てくる。生レバーもとびきり新鮮でおいしい。 たらふく以上に食べたところで、最後にお頭つきの鯛がどーん。まず頭にとりついて、眼のまわりがおいしいおいしいと骨までしゃぶったところでさすがにお腹がいっぱいになった。 すると禎子さんという女将、お湯にしたらおいしいよーとアドバイス。本当にそのとおりで、身の部分をお湯に浸していただいたら、あれよあれよと全部はいってしまった。さすがにカロリーオーバー。ズボンのベルトがきつい。 それからバーに行って学部長先生とバーボンを飲んだけれど。 翌日の午前中は午後からのミニ・コンサートにそなえて大学で特訓。すばらしい設備の学校で、しっかり防音された各レッスン室によく調整されたスタインウェイが2台ずつ置かれている。私が勤務する大阪音大ではほとんどのレッスン室がヤマハなのに。 13時からホールで練習できるというのでそちらに向かう。リハーサルの前に、山陽新聞でインタビューがはいっていた。学内のミニコンサートだし、新著を出したわけでもないし、何のためのインタビューだか判然としなかったのだが、とても熱心に申し込んでくださって、30分でよいからというのでOKする。 ところが、控室でいくら待っていても記者さんはあらわれない。15分ほど待ったところでようやくいらした。でも、こけつまろびつ、何だかとてもあわてていらっしゃるご様子。何があったのだろう? 写真はコンサートや公開レッスンの間に撮影するとのことで、インタビューではこれまで書いた本のこと、『翼のはえた指』や『ボクたちクラシックつながり』を中心に質問された。 最後に、地方紙なので、地方の音楽学生にアドバイスをお願いします・・・と言われてはたと言葉に詰まってしまった。 音楽学生をとりまく環境は年々厳しくなっている。我々のころからして厳しかったのがさらにそうなっている。昔は就職できなくても近所の子供を教えれば何とか食いつないでいけた。でも、今は大きな楽器会社の音楽教室があるので、なかなか個人でのお教室には子供が集まらない。やっと習いにきてくれた子供も、小学校5年生になるとお勉強の塾に行くためにきれいにやめていく。 かといって、楽器会社の音楽教室に就職しても、会社の価値観に自分を合わせなければならず、ぴったりフィットすればよいけれど、なかなかそうもいかないだろう。 子供の数は年々減り、音大の学生数も激減してどこも存続の危機に直面しているから、先生のポストもどんどん減っている。いきおい、公募があるとものすごい数の応募者がおしかける。そして、その大半が書類審査で落とされる。それが、日本の音大の大学院を修了して海外留学し、向こうの音大も優秀な成績で卒業して国際コンクールに入賞するなど、本場で立派な成果をあげてきた人でもそうなのだ。何しろ、芸大の大学院を修了してすらコンビニでバイトしなければならない時代なのだから。 だから、音大でピアノを学ぶ学生に言葉だけの励ましなどかけてあげられないのだ。今、一番先に何をしなければならないかと問われたら、もしかすると、今すぐピアノ科の学生を育成するのをやめること・・・と答えなければならないかもしれない。経済の分野なら、供給過多で製品がだぶついていたらすぐ問題になるだろう。ピアノ界だって同じことのはずだ。でも、自分も育成にかかわっている立場としては、そんなことは言えない。 そんなわけで答えるに答えられなくなってしまったのだ。 お約束の13時がきたので新聞記者嬢にはお引き取りいただき、近くのうどん屋さんで軽く天ぷら冷しうどんをいただいてリハに臨んだ。 コンサートが開かれる音楽堂は800人ほどの響きのよいホールで、すばらしい状態のコンサートグランドが2台。とりわけ古いほうの一台は私好みの楽器で、するするとリハーサルがすすむ。 公開レッスンに出演する学生さんは2名。いずれもドビュッシーの作品で、初めの方は『喜びの島』を弾いてくださった。とてもやわらかく、センスのよいピアノで、リズムもしなやかにはずみ、活き活きした演奏。この曲の背景など質問しても的確に答えてくださるので嬉しくなってしまった。ドビュッシーの楽譜を校訂している山崎孝さんが以前に大学につとめていらしたので、バッチリ予習がすんでいるのだろう。 ステージだけではどんな音がしているのかわからないから、演奏中は私も客席に下りて聴いてみる。2番目の学生さんは『前奏曲集第1巻』から「音とかおりは夕暮れの大気に漂う」と「西風の見たもの」と「沈める寺」を演奏された。とてもまじめなとりくみで好感をもったが、「沈める寺」のフォルティッシモの和音があまり鳴っていないようだ。 ステージに戻り、いろいろ工夫してみる。背筋をのばし、腰でしっかり上体を支える。和音を弾いたあと腕をらくにする。和音をつかんだまま椅子から立ち上がる・・・。ヒントを与えているうちに3倍ぐらい音が出るようになった。これにはご本人もびっくり。効果てきめんだった。 少し休憩を置いて私のミニ・コンサート。普通は、レッスンで他人さまにああだこうだと言ったあとで自分が弾くのはとても嫌なものなのだが、会場の雰囲気がよく、ピアノの状態もよかったのでずいぶん助けられた。 クープランの『パーサカーユ』や『ドミノまたはフォリー・フランセーズ』はなじみのないクラヴサン曲なので、タイトルの意味をひとつずつ解説して、楽曲の理解を助けるようにする。『ドミノ』は、宮廷の女性の転落の物語・・・と読めなくもないのだ。 ドビュッシーの『前奏曲集第1巻』からは、公開レッスンで弾かれていない「帆」「野を渡る風」「亜麻色の髪の乙女」「パックの踊り」「ミンストレル」を演奏した。 ピアノは打てば響くようで、とびきり楽しい時間だった。 コンサート修了後もとても嬉しいことがあった。『喜びの島』を弾いた学生さんが指導を受けている先生と楽屋を訪ねてくださったのだが、なんと、私がたった2年間だけ教えた国立音大の大学院の卒業生だったことが判明。フランス音楽の講座で指導しただけなのだが、その指導をよく覚えていて学生さんに伝えてくださっとのこと。道理でとてもしなやかで色彩感に満ちたピアノを弾いていたわけだ。 あんまり嬉しかったので、帰宅してから山陽新聞の記者さんにメールを打った。 「先日はインタビューしてくださってありがとうございました。ちょっとリハの時間が押していたのと、朝から練習していてお腹がすいていたのとであまりお時間がとれず、申し訳ありませんでした。 公開レッスンは見ていただけましたか? おかげさまでとても楽しくやれました。あとになって、あとになって、最初の学生さんの先生が、昔私が非常勤講師をしていた音大のフランス音楽の講座にいらしたことが判明しました。種を蒔くってこういうことなんだなーと実感しました。 でも、せっかく種を蒔いても肥沃な地面があり、水をやり光を当てないと枯れてしまいますね。残念ながらピアノ界の現状は、一部の成果主義の団体や教師に席巻され、本物の養分はなかなか与えられない状況です。 音楽するという原点に立ち戻ったとき、それは他人に勝つことではなく、自分の心の中にしまっている一番よい部分を音に託して人に伝えること。そのための努力ならいくらしてもよいということを理解するのになかなか時間がかかります。 またいつかお目にかかれますように!」 ここで5月最後のメルドである。私の回答ではとても記事にならないとお思いになったのか、あるいは別の理由からか、よくわからないが、結局このときのインタビュー記事は掲載されなかった模様なのである。 演奏家にとって、どんな小さな本番でもリハーサル30分前というのは貴重な時間である。緊張もしているし、あまり疲れたくないし、頭の中はこれから演奏する音楽のことでいっぱいで、その余りの部分でいつ食事をしたらよいか、いつメイクしていつドレスを着ればよいか、すべての作業を分きざみで計って行動している。 そんな濃密な時間を提供したのに・・・とちょっと悲しかった。 |
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