感動ということ。

ちかごろ、偽ベートーヴェンの件が世間を騒がせている。大物指揮者や作曲家、演奏家、評論家や学者まで巻き込んだ事件。メディアでの注目はもっぱら物理的な聴覚のあるなしに集中しているが、実際は別の意味の「耳」の根幹に関わる事件だった。

我々の演奏世界で言うところの「耳がいい」には3通りの意味がある。ひとつは、いわゆる音の高さや長さを正確に聞き取る耳。いわゆるソルフェージュ能力である。もうひとつは、自分の出している音をよく聴き、よい音か悪い音かを判断できる耳。つまり、自分の演奏を客観的に判断する能力。そして、最後は他人の演奏を聴いたときに、その善し悪しが的確にわかる耳。つまり、審美眼である。

もっとも、何が良い演奏で何が良くないのか、聴く人それぞれで明確な判断基準はないからむずかしい。友達がほめている演奏家の名前をきいて、えっ、こんな人をよいと思うのかと友情まで壊れかねない事態…も起きるし、師事している先生の価値観が合わないため、指導そのものに疑問をもつこともある。

ステージで演奏したとき、聴いてくださった方の意見をきくのはとても大切だ。何といっても、演奏はパフォーミング・アーツなのだから、聴衆に愛されなければ話にならない。しかし、聴き手の感想の受け止め方はひと筋縄ではいかない。否定されたとき、それは自分が演奏を失敗したから愛されなかったのか、そもそも価値観が違うので、どんなに自分の思いどおりに弾いても愛されなかったかもしれないのか、みきわめなければならない。前者なら反省して勉強しなおす必要があるが、後者ならその必要はない。

では、肯定されたから無条件に良いかというとそういうものでもない。楽屋やサイン会にいらして「感動しました!」と言ってくださる方がいる。本当にうまく弾けたときならよいが、そうでもなかったときは困ってしまう。それでも日本人ピアニストは丁寧にお礼を言うが、海外のピアニストの中には、あんなものを良いというのか、あんな演奏に感動するとは何事だ! と怒りだしてしまう人もいるときく。

さらにむずかしいことには、弾いた当の本人に本当に演奏の善し悪しが判断できるかというと、必ずしもそうではないケースもあるのだ。たとえば、ミスタッチ。弾いたほうは必要以上に気にして、ミスがあったから良くない演奏だったと自分を責める。しかし、聴き手は楽譜のすみずみまで知っているわけではないから、些細なミスよりは、その演奏を通して流れてきたものに印象づけられることが多い。

さらに、演奏を聴く前に、その演奏家の来し方来歴、ドラマティックな過去やハンディキャップなどを知らされていると、その印象がさらに強められるかもしれない。演奏家のプロモーションをする側が、演奏以外の要素を強調して「感動」を演出することも可能になるだろう。

その場合、聴き手は本当に感動しているのか、ただ「感動」の演出に乗せられているだけなのか・・・議論の分かれるところだ。

なぜこんなことを書くかというと、前回の投稿で、くも膜下出血を克服してピアノを再開した方が、JMLセミナーのコンサートで弾いた『月の光』に「感動的」という言葉を使ったからだ。

その演奏は本当に感動的だった。私は司会をつとめていたので泣くわけにいかず、涙をこらえるために、首からかけていたショールの房をあちこち揺らした。

その方が右半身不随を免れたストーリーが感動的なのは言うまでもない。しかし、ストーリーが感動的だから演奏も「感動的」に聞こえたのではない。そうではなくて、集中治療室で音楽を糧に回復したことによって、多くのピアニストが乗り越えるのに苦労する壁、つまり、自分の思いを楽器に託す境地にやすやすとはいれるようになったからこそ、その演奏が聴き手の心を動かすのである。

病気をする前は、他のピアニストと同じだった、とその方は言う。いろいろなものに縛られていた、ミスなく弾こうとか、大きな音を出そうとか。音楽とは、自分の外にあるものだった。今は違う、音楽が中に入ってきて、思いがそのまま音になる感じがする。

その「感動」はつくられた「感動」ではなく、頭で理解した「感動」でも思い込みの「感動」でもなく、人間の心がやわらかくなれば、必ず感じとって反応できる類の、魂レベルの「感動」である。

そんなすばらしいことが起きている瞬間に、それと感じとって素直に感動できるのが、ホンモノの「よい耳」だと思う。

投稿日:2014年3月24日

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「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

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