イヴォンヌ・ルフェビュールと審美眼

3月15日に開催された安川加壽子記念会コンサート「フレンチ・ピアニズムの系譜」は、昼の部が満員札止め、夜の部も盛況のうちに終了した。

1921年、生後14ヶ月でパリに渡り、1937年に第2次世界対戦の勃発で帰国を余儀なくされた安川先生の先輩や同年代、少し年下のフランスのピアニストたちの演奏映像を集めて紹介する催しである。東京オペラシティリサイタルホールにプロジェクターと大型スクリーンを設置し、私が解説しながら動画を放映した。

アルド・チッコリーニの弾くサティ『ジムノペディ第1番』、ロベール・カサドシュのフォーレ『主題と変奏』、ヴラド・ペルルミュテールのラヴェル「トッカータ」、マグダ・タリアフェロの弾くドビュッシー「金色の魚」「花火」などは問題ない。どれもフランス音楽で、それぞれのピアニストのお得意の作品だからだ。

一番物議をかもしたのは、コルトーの弟子でサンソン・フランソワの先生のイヴォンヌ・ルフェビュールが弾くベートーヴェン『ソナタ第31番』だった。音に対する感覚が鋭敏で、緊密な集中力でぐいぐい引っ張っていくが、音がからんと明るく、タッチも軽く、いわゆる日本人が思い描く「ベートーヴェンらしい」演奏ではない。これを美しいと感じるか、オーセンティックではないからと否定するか。

予想通り、「凛々しく、明確なタッチ」を称賛する聞き手もいたが、「あんなのはベートーヴェンではない」という感想もきかれた。

ルフェビュールのベートーヴェンはフランスでは定評があるが、そもそもフランス人の弾くベートーヴェンは日本では認知されていない。そして、エッセイ等でも書いているように作曲家の中ではダントツにベートーヴェンが好きな私が、デビュー当時はベートーウェンを弾いていたものの、2回ぐらいで引っ込めてしまったのも、「だからフランス帰りのベートーヴェンは・・・」などという感想が多く、ベートーヴェンを弾いても好評を得られないことがはっきりわかったからだ。

自分ではもう弾かないベートーヴェンだが、自分の好きなベートーヴェン演奏はある。そのひとつを不特定多数の方に聴いていただいて感想を伺うのは、とてもおもしろい試みだった。審美眼のテストといったところだろうか。

そしてもうひとつ興味深いことには、日本で一定の評価をいただいている私のドビュッシーは、留学時代、ルフェビュールの講習会で弾いて、他ならぬルフェビュールに否定されたものなのだ。

毎年7月に、ドビュッシーの生地サン=ジェルマン・アン・レイで開かれていたルフェビュールの講習会。別の講習会からの流れで参加した私は、ドビュッシーの『映像第2集』をレッスンで弾いた。するとルフェビュールは、あなたのドビュッシーはどこからどこまでまったくドビュッシーらしくない、とコキおろされたのだ。彼女の解釈では、ドビュッシーの和音というのはひとつひとつの構成音が別々の楽器で弾いているように色わけされなければならないが、私の和音かはあまりに響きが溶け合いすぎているというのだ。

そこでおもしろいことが起きた。講習会には、前の講習会の受講者たちが聴講生として参加していた。その聴講生たちは、ドイツ留学組だったためにフランス語がわからず、従って、ルフェビュールが私のドビュッシーを否定していることもわからなかった。

レッスンが終わったあと、私のまわりには人垣ができた。今のドビュッシー、すごく良かった! あれを売り物にするといいよ、などと口々に言ってくれる。

苦笑しながらも私は、嬉しかった。そして、言われたとおり、日本でのデビューリサイタルにドビュッシーの『映像第2集』を組み込むことにした。結果としてはこれが大成功で、ある大新聞の批評に「日本人ピアニストではそうそうお目にかかれない美しい和音の響き」と褒めていただいた。フランス人の先生には否定された「溶け合った和音」が称賛されるという、なんだかねじれた話だが、結果的にその批評が私の「売り物」のひとつの指針になったといえよう。

Youtubeの発達で、自分が演奏する曲の動画を見る学生さんやピアニストが増えている。レッスンでどうしてそんなふうに解釈するのかときくと、動画で誰それさんがそう弾いていたからという答えが返ってくることもある。

しかし私は、演奏するというのは、あくまでもテキストを通して作曲家の声を聴き、それを自分の感性や思考に共振させることだと思っている。演奏ひとりひとりには別の背景があり、別の身体性がある。だから、同じ作品でも別の響き方をするはずだ。

ある程度自分のアプローチを決めたあとで参考のために見るのはよいが、最初から他人の演奏をコピーするのは如何なものか。もちろん、演奏はパフォーマンスの一種だから、身体性も大事なファクターだとは思うが、演奏身振りを越えて聞こえてくる”音”に耳をすませるための妨げにはならないだろうか。

いっぽうで、私もYoutubeを漁ることはある。動画つきの講演会で適当な画像を探すためである。著作権の問題があるので、オフィシャルな場では市販のDVDを求めるが、自分でこれはと思った映像をピックアップし、簡単な見どころ解説をつけてご紹介するのはとても嬉しいことだ。

審美眼の発露とでも言おうか。玉石混淆の動画サイトにあって、少しは鑑賞の手びきのお手伝いにもなるのではないだろうか。

安川記念コンサートは終了してしまったが、4月には町田、京都、名古屋のNHK文化センターで同様の催しが予定されている。教室にはピアノも置かれているので、それぞれのピアニストたちの技法の特徴なども少しご説明できるだろう。

私が愛するフレンチ・ピアニストたちの懐かしい映像を見にきてください!

■町田教室
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_929321.html

■京都教室
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_818631.html

■名古屋教室
http://www.nhk-cul.co.jp/programs/program_858111.html

投稿日:2014年3月21日

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「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

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