ジェローム・ロビンスのバレエとアンリ・バルダ  その1

2011年5月25日、15年ごしぐらいの『グレン・グールド 未来のピアニスト』をゲラ戻しした。私の常として3校まで真っ赤にした(私は歴代の編集者たちから「赤字大魔王」と呼ばれている)ので、刊行は7月上旬ぐらいだろうか。

前回の日記で書いたように、4月26日から2週間、パリとウィーンに出かけた。
パリのほうは、秋の室内楽の合わせが目的。1度だけバスティーユのオペラ座でプッチーニ『トスカ』を観た以外は、スタジオにこもりっきりで練習していた。2日にウィーンに移動。こちらも、次の本でとりあげるアンリ・バルダがウィーンのオパー( オペラ座) に出演するので、その取材がてらということだが、観光とオペラ見物も兼ねている。

ウィーンの旅は、バルダ追っかけ隊仲間でピアノ教師の川野洋子さん。ルーム・シェアするホテルもオパーのチケットも、全部彼女が手配してくれた。私は16時50分シャルル・ドゴー発、18時55分ウィーン着の便。川野さんは19時05分着の便。ホテルのピックアップを頼んで出口で待ち合わせましょうということになった。

私の飛行機は少し早く着いてしまい、荷物もあっという間に出てきた。出口では、ピックアップのお兄ちゃんが川野さんの名前を書いたプラカードを持って立っている。

私一人かと思ったらしく、荷物を持ってさっさと歩きだそうとするので、友達がもう一人いて、もう少しあとの飛行機でくると説明する。といっても、お兄ちゃんはドイツ語しかしゃべらないし、私はフランス語しか話せない。片言の英語で「ワタシ、フランスから、トモダチ、ニホンカラ、ベツノヒコーキデキタアルネ、スコシマッテ・・・」とか何とか伝えようとする。

そうこうしているうちに川野さんが到着したので一件落着。車に荷物を積んで、ウィーン市内へ。宿泊先はオパー近くのアパートメント・ホテル。65平米もあって2人で6泊して490ユーロというからめちゃくちゃ安い(ちなみに、パリで泊まっていたホテルはやはり6泊で同じぐらいの値段。ただし18平米)。

到着したところでお兄ちゃんが建物の入り口とアパートメントの鍵と、大家さんの手紙を渡してくれた。部屋は日本式の2階で番号は鍵に書いてあるとおりだという。あとのガイドはなし。ホテルのようにフロントもなし。で、それからがちょっと大変だった。

新メルド日記20110605_01

アパートの中にはいったはいいのだが、廊下の真ん中の白いエレベーターに乗って2階に行ってみても、鍵に書いてある部屋がいっかな見つからないのだ。ここかしらと思って鍵穴に鍵をさしこんでガチャガチャやっていたら、よそのお宅だったり。

重い荷物をかかえてあこちこ探しまわったあげく、廊下の奥のほうに緑色のエレベーターを発見した。そういえば大家さんの手紙に、グリーン・エレベーターと書いてあったっけ。

新メルド日記20110605_02

それに乗って上に行くとめざしていた部屋があり、無事入居することができた。
白を基調としたきれいな部屋だ。玄関ホールの正面にキッチンがあり、右手にバス・ルーム、その並びに寝室。居間兼食堂にはソファとテレビ、楕円形の食卓テーブル、椅子が置かれ、その奥にクローゼット兼寝室がもう一部屋。川野さんは寝室に、私はデスクのあるクローゼットのほうで休むことにした。 

お腹がすいたので真向かいのレストランに行く。川野さんはグラーシュ、私は鳥のフリカッセ・ライス添えを頼み、ビールで乾杯。ウィーンは物価が安く、レストランでも15ユーロぐらいでお腹いっぱい食べられる。パリならせいぜい昼食のお値段である。

食事をすませたあと、寝る前に水を買わなければというのであちこち歩いたが、日本と違ってコンビニなどという便利なものはない。パリだとアラブ人の経営する食料品店が夜遅くまでやっているので水ぐらい買えるのだが、それもない。結局、バーのようなところで小さなボトルを買い、部屋に戻って就寝。

次の日は買い出し。宿のすぐ近くにスーパーがあり、何でも売っている。ハム売り場では、ごろんところがったいろいろな種類のハムをその場で切ってくれる。生ハム、ペッパーつきソーセージ、ベーコン、ボロニア・ソーセージ風のものを何種類か購入。付け合わせのピクルスも。

次に野菜売り場。野菜は何でも大きくて、これはパリでも同じだが、びっくり。サラダ用の野菜とトマト、ズッキーニ、にんじん、タマネギ、マッシュルーム、ホワイトアスパラガスを購入。肉売り場で七面鳥のロースト用塊まり肉があったので、それも買い、ロースト用のスパイスも購入。スパークリングワインに赤ワインに水に牛乳にヨーグルトに粉末スープに・・・と買っていったらすごい荷物になった。

朝食兼昼はパンとコーヒー、ジャム入りヨーグルト、ソーセージ数枚にサラダにスープと豪華。川野さんは早速ウィーン見物、私は部屋で仕事をしつつ料理をつくる。というのも、初日の公演後、バルダはバレエ関係者と会食で、私たちにはつきあえないとメールを打ってきたからだ。

午前中に買っておいた七面鳥ににんにくを詰め、ロースト用スパイスを塗りたくってフライパンで焼き目をつけ、別の鍋をかぶせてじっくり焼く。ガスレンジに点火装置がついていないため、マッチで火をつける。久しぶりなのでちょっとこわい。野菜はズッキーニやにんじん、たまねぎ。ローストだけつくっておいて、あとはパスタでも付け合わせれば立派なメインになる。

夜はいよいよバルダが出演する「Hommage an Jerome Robbins (ジェローム・ロビンスへのオマージュ)」を観るためにオパーに行く。

ロビンスは『ウェストサイド物語』の振付師として有名だが、その彼が1956年、つまり『ウェストサイド』の最初の振り付けをする前の年に制作したのが、ショパンの音楽をアレンジした『ザ・コンサート』である。『子守歌』や『24の前奏曲』抜粋、『バラード第3番』などをバックに、ダンサーたちがコミカルな演技と舞踊をくりひろげる。

ついで、1970年にはショパンのノクターンをベースにした『イン・ザ・ナイト』が制作された。1991年には『アザー・ダンス』という、やはりショパンのワルツやマズルカにもとづくナンバーも振り付けされている。

バルダは、1989年からこのショパン・ナンバーのピアニストをつとめ、パリや東京をはじめさまざまな都市で公演に参加している(1992年2月6日には東京文化会館でパリ・オペラ座バレエ団のガラ・コンサートがおこなわれ、バルダも『イン・ザ・ナイト』のピアニストとして参加したようだ。曲目表には「ヘンリー・バルダ」と出ていて思わず笑ってしまった)。その当時はバルダのことを知らなかったので観る機会もなく、ただ、ドビュッシーのセミナーの元受講生のお一人がたまたま、2001年3月(このときがパリでの最後の公演だったらしい)を観ていて、プログラムを貸してくださった。

みると、バルダは単なるバレエ・ピアニストではなく、舞台の上でピアノを弾き、最後は演技も披露している。是非一度観たいものだと思ったが、なかなか機会がなかった。

公演は2011年5月3、5、7日と14日、そして29日の昼夜と6月1日の計7回である。必死でスケジュール調整をして、ゴールディンウィークにかけての3、5、7日の公演を観に行くことにした。出発前日にグールド論の再校を戻し、後書きも入校し・・・と何とかこなした。ネズミに咬まれたのが余計だったけれど。

ウィーンのオパーで久しぶりに出し物を見るのも楽しみだった。思えば、留学生時代、ウィーンに留学していた同級生からオパーのすばらしさを教えられ、学校が休み(フランスの音楽院は休みだらけだ。10月にやっと新学期がはじまったと思ったら11月の休み、それが終わるとクリスマス休暇、2月の休み、復活祭は2週間。6月には終了であとは3ヶ月の夏休み・・・)になるとチケットを取ってもらって、1週間とか2週間とか出かけていったものだ。

そのころは超ド級の歌手たちの全盛期をちょい過ぎたあたりか、とにかくビルギット・ニルソン、ギネス・ジョーンズ、ペーター・シュライヤー、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウなどがちょいちょい出演していたものだ。つい先頃亡くなったペーター・ホフマンもまだ出始めのころだったように記憶している。

貧乏学生時代は天井桟敷だったが、今回は川野さんと相談していろいろ工夫してチケットを取った。1日目は全体を見渡したいので、2階正面少し左寄りのボックス席最前列。110ユーロ。2日目は近くで観たいので一階席最前列の左。ここが130ユーロ。3日目はちょっと倹約して上のほうの席。これが8ユーロ。

初日の席は本当によかった。ほぼ真正面に舞台が見え、遠すぎず近すぎず。久しぶりに座るウィーンのオパーは金色に縁取りされた海老茶色の座席が典雅なことこの上ない。

最初の出し物は『グラス・ピース』。フィリップ・グラスの音楽にロビンスが振り付けた現代バレエで、1983年にニューヨーク・シティ・バレエ団によって初演されている。身体にぴったりしたウェアを着けたダンサーたちが、早足でステージをすすみながら、次々にアクロバット的な踊りを披露する。抽象的な美しさに満ちたバレエだったが、音楽はくり返しが多く、だんだん眠くなってくる。モーヴ・グリーンやヴァーミリオン、オレンジ、レモン・イエローなどを使ったステージ衣裳はとてもきれいだった。

演目ごとに20分の休憩があり、ロビーに出る。

やはりオペラの観客とはずいぶん雰囲気が違う。元ダンサーらしきスタイル抜群のおばさまが飲み物を片手に紳士に手をとられ、ゆっくりとロビーを行ったりきたり。優雅な風景だ。バレエを習っているとおぼしき女の子もいる。足のはこび、ドレス、頭の結い方からなんとなくわかる。彼女たちにとっては夢の舞台なんだろうなぁ。

さて、いよいよ待ちかねたバルダ出演のナンバー『イン・ザ・ナイト』。ショパンの4曲のノクターンに乗って3組の男女がそれぞれの愛の形を踊るという内容だ。

舞台の背景には一面に星のような明かりが点々と灯り、とてもきれい。ピアノは舞台の上ではなく、オーケストラ・ピットと同じ高さに置かれている。ウィーンだから、当然ベーゼンドルファーの、セミコンぐらいかな。大丈夫かしらとちょっと心配になる。というのは、バルダがベーゼンで弾いたのを聴いたことがないし、ときどきピアノに無理じいするバルダの弾き方だとベーゼンが悲鳴を上げてしまいかねないからだ。

袖から燕尾服姿のバルダがあらわれて一礼し、ピアノに向かう。譜面は持っているが、譜面台に並べず、床に置く。そのまましばらく舞台のほうを見やっている。闇の中に男女一組のダンサーがあらわれたのを見るや、おもむろに最初のノクターンを弾きはじめる。 何と美しい舞台だったことだろう!

作品27-1嬰ハ短調。ゆるやかな左手のアルペジオに乗ってすべるように舞台中央に出てきたダンサーたち。トゥ・シューズをはいてピンキッシュ・ヴァイオレットの衣裳をつけた女性が、男性にかかえられながら、音楽の醸しだす情感に沿って手をひらひらさせたり、足を美しく折り畳んだりのばしたり、ふわりと旋回したり、優雅に踊る。

クラシックバレエではこうした動作ひとつひとつに象徴的な意味があるらしいが、私はそれを知らない。ただひとつわかるのは、ロビンスの振り付けがショパンの音楽の心の襞をすみずみまでとらえ、ピアノ演奏とダンサーの動きが高度な次元で一体化しているということだ。たとえば音楽が激してくると、ダンサーがあごをあげて美しい首の線をみせ、左右に大きく身体を振りながらステップを踏む。それを男性が抱き留める。男性の腕の中でも女性はなお身体を斜めに傾けて激しく揺れる。あるいは、いったん男女が離れ、お互いに腕を広げながら踊り寄り、激しく抱き合うといった動作が、音楽の振幅にぴったりはまっているのだ。

ノクターン作品55-1は、4分音符のゆったりした動きに合わせて一組の踊り手が大きくステップを踏みながら舞台の中央にしずしずと歩みよってくる。ピアニストの右手がトリルを奏でる部分では、男性が手をさしだし、女性が優雅なやり方でその手をとる。旋律が装飾されはじめると、女性は片足でゆっくりと旋回する。あるいは、男性が女性を持ち上げる。旋律はだんだん細かく装飾され、それにつれて女性も細かく旋回し、ときに足をはね上げる。ピアノの情念の高まりとダンサーの動作がぴたっと合っている。カデンツァ風の部分ではとりわけ情熱的に旋回し、締めのアッコードで男性が女性をリフトすると、気持ちまでふわっと浮き上がるようだ。

再現部前は女性がシンコペーションごとにのびあがる強いステップを踏み、やがて男性が女性をさかさに持ち上げたまま、元の旋律が再現される。空中にいる間から女性が両足を細かく動かしはじめ、そっと床におろされると、ピルエットのまま遠ざかっていくところがとくに美しかった。長いコーダではピアノの高音がかすかにきらめき、それにつれて女性は彼方を旋回しながらだんだん男性に近づいていく。ショパン特有の和音外音が、細かく変化するステップにまとわりつき、次第にほぐれていくさまが心地よい。

作品55-2はもっとも情熱的なナンバーだ。今恋をしている人、あるいは恋を失ったばかりの人は身につまされてしまうのではないだろうか。このノクターンはいきなりフォルテのトリルではじまるので、ダンサーたちも高いリフトからはいる。女性が男性に倒れかかったり、男性が女性をさかさに倒立させたり、抱き抱えたままぐるぐるふりまわしたりする。女性のスカートは2枚仕立てで、上はエンジに黒っぽいチュールのレース。真ん中部分が裂けていて、踊ると下の赤い布が見え隠れするような仕立てになっていて、これが効果的だった。

キスのような仕種のあと、女性は男性から離れる。男性が懇願しても顔をそらし、一人で踊る。何かすれちがいが生じたらしい。

うつろいゆく心理を、バルダの弾くノクターンの、逡巡するような旋律と思いをあおるような左手のからみあいが濃密に描き出す。右手が同じ音を弾いている間、左手が微妙に色合いを変えるあたりは見事。女はいったんステージを出ていき、ひとりさびしくたたずむ男。ピアノの10連音符とともに再び女はあらわれるが、二人の差し出す手のタイミングが微妙に合わない。ピアノの旋律が半音ずつずれながらじりじり下降していくあたり、見ているほうもじれったくなってしまう。バルダは、右手の7連音符の装飾音で恋人たちの気持ちをかきたてる。なだれこむような12連音符で女は床に倒れ込み、今度は男がステージを去る。手をのばし、つなぎとめようとする女。この4小節は本当にせつない。クレッシェンドとともに男は飛ぶようにあらわれ、女も情熱的に応える。

最後は男性と女性がそれぞれの袖に消え、コーダにはいってしばらくすると、二人ともしずしずと歩み出る。男性が立ち止まり、女性はひたひたと歩み寄る。たった4小節のドラマ。女性はいつくしむように男性の頭から肩から胸から脚まで、互い違いの手で触れ、それから和音とともに足元にひれふす。男性はその手を取って立ち上がらせる。

フィーナーレはノクターン作品9-2に合わせて1組ずつの男女がそれぞれの部分を舞い、最後に、3組がそろって踊る。途中、男と男、女と女の危険な組み合わせになることもあるが、ピアノのきらめくカデンツァとともにもとの鞘におさまり、男性がそれぞれのパートナーをリフトしてステージからさっと消える。
 
バルダのピアノがいかに巧みかというと、ダンサーたちの予備動作も含めてすべての身体の動きを音楽的に処理していることだ。女性ダンサーが足を出すときも、まず股の外側の筋肉を緊張させ、次ぎに膝をやわらかく回転させ、トゥシューズでいやが上にも強調された甲を美しく見せるような方向ですっと差し出す。バルダは、その余りのような動作と音楽の拍と拍の余りを見事に合致させてしなやかに音楽をつける。ちょっとした手の動きの緩急にまで神経をゆきとどかせてテンポを速めたり、ゆるめたりする。
観ていると、まるで「時」そのものがダンスしているような錯覚にとらわれる。

再度20分の休憩があり、最後の演目『The Concert 』は一転してコミカルなナンバーである。

舞台上にベーゼンの大きなピアノがおかれ、バルダがステージ上を歩いてピアノの前までくる。燕尾服の尻尾をわざとはねあげての椅子に座る。ズボンのポケットから巨大なハンカチを出して(バルダは実際は弾く前にハンカチを使わないのだが)ピアノの鍵盤を丁寧に拭く。ところが、ものすごいほこりが舞い上がり、観客が大笑いする(実際には、この粉は松脂だそうな)。バルダは大げさに両手をあげ、祈るしぐさをする(ここでは観客はあまり笑わず、バルダはちょっと傷ついてしまう)。

それからおもむろに『子守歌』を弾きはじめる。折り畳み椅子を持ったダンサーが一人ずつはいってきて、椅子をひろげて座り、聞き入る。これがコンサートという見立てなのだろう。いかにもダンサーらしく、足を組むときわざと上までピンとはねあげて観客の笑いを誘う。ツンとすました顔の奥様と尻の下に敷かれているらしい亭主がはいってくる。音楽に興味のない亭主は新聞を広げて読むふりをする。ネクタイを締めた座席係がはいってきて、ダンサーたちのチケットと座席を照会する。座席が違うと変えさせる。その他、マナーを知らないダンサーが大きな音を立てたり、感激しすぎたダンサーが大げさな身振りをしてピアノに抱きついたり、いろいろと騒ぎが起きる。

最後に全員が椅子をたたんで舞台を去り、一組の男女が残ったところで曲は変わって、カデンツァ風の『前奏曲』第18番で踊る。和音の終止からオーケストラがはいり、今度は追っかけっするような『前奏曲』第16番に乗って、男性が硬直した女性ダンサーを抱き抱えたまま忙しく走りまわる。バルダの16番はテンポが速いので、踊るほうも大変そうだ。途中からオケが加わり、今度は遺作の『ワルツ15番』に合わせて6人の女性ダンサーが踊る。中で一人、眼鏡をかけたダンサーが振り付けをいつも間違え、仲間から顰蹙を買う。このワルツは本来はテンポが速いのだが、ダンサーのステップに合わせてゆっくり弾かなければならず、バルダはいらいらするようだ。曲は再び追っかけっこする『前奏曲』第16番に戻り、オーケトスラが終止したあとマズルカ風の『前奏曲』第7番が奏でられる。

椅子に座った女性がいろいろな帽子を試着するシーンである。ステキな帽子なのに似合わないと不満な顔をするたびにバルダがピアノの上のほうをチンと鳴らす。鳥の羽毛のような円い大きな帽子が気に入り、得意気に歩きだすが、同じ帽子をかぶった女性に出くわして、がっかりしてうなだれながら出ていく。椅子には、前のシーンに出てきたツンとした奥様が座り、うっとりと音楽を聴いている間に、ナイフを隠しもった夫が妻を刺し殺そうと試みるが、うまくいかない。ナイフがゴムでできているらしく、いくら刺しても奥様は何も感じないのだ。ところで、夫がためしに自分を刺してみると、ちゃんと刃が刺さってしまう。うめきながら出ていく夫に妻は、「しーっ、静かに」とたしなめる。ブラック・ユーモアのあとは軍隊行進曲のように威勢のよい『マズルカト短調』。雨がふる美しいシーンでは、しっとりした『前奏曲』第4番が奏でられる。

最後は『バラード第3番』をピアノが演奏する中、蝶々の扮装をしたダンサーたちが空中ピルエットをまじえてアクロバティックなダンスを披露する。このバラードは妖精が踊るようなステキが場面が続出するのだが、ロビンスの振り付けは、ノクターンとは一転してとてもそっけなく、音楽の浮遊感があまり活かされていないのが残念だった。それでもまだバルダ一人で弾いている間はよいのだが、途中からオーケストラが加わると、オケとピアノが同じ旋律をなぞるので、ピアノの音がかき消されてしまう。これは、協奏曲の原理を知らない編曲者の失敗だろう。ほとんど双方の音が聞こえない中で弾いている上に、指揮者とバルダのテンポ感がまるで違うため、オケとピアノが平気で一小節ぐらいずれていたりする。聴いている私たちは必死で拍子をとっていた。

あちこちで齟齬をきたしたスリリングな『バラード第3番』が最高潮に達したところで、あまりの騒ぎに憤然としたピアニストはバタンとピアノの蓋を閉め、ステージを出て行ってしまう。巨大な昆虫採集の網を持って再登場したピアニストが蝶々ダンサーたちをつかまえにかかるというところでおしまい。

実際に昆虫採集が大好きなバルダが網を持って出てくるところは個人的には笑えるのだが、バルダは蝶々をことごとくはずす。それもそのはず、一度ダンサーの一人を捕らえたらとても嫌な顔をされた、とか。見えない苦労があるのだな。

スペクタクル終了後はカーテンコールである。まずダンサーたちがひとわたり拍手に応えたあと、バルダもステージに出てきて、挨拶する。それからバルダは下がってダンサーたちと手をつないで再び中央にすすむのだが、あるとき、ダンサーの一人がバルダと手をつなぐのを忘れたため、ちょっと気まずい場面があった。

新メルド日記20110605_03

新メルド日記20110605_04

バルダも盛大な拍手を受けていたし、その熱狂ぶりは、少なくとも指揮者のそれよりは勝っていたと思う。しかし、オパーの客席の大半は、やはりバレエを観にきているお客さんたちで占められていたのだ。『The concert』ではやや不満な面もあったが、『In the night』は音楽と舞踊の完璧なコラボレーションで、振り付けとダンサーたちの動きを熟知しているバルダの功績大だったのだが、客席にどこまでその隠れた意味が伝わったか。単にダンサーたちに熱烈な拍手を贈る人もたくさんいただろう。

バルダのしなやかなピアノ、あらゆる情緒表現にフィットする感性がどれだけ舞台の芸術的な完成度を高めたか、それを真にわかるのは私たちだけだ、と川野さんと語り合ってオパーを出た。夜風が気持ちいい。川野さんはオパーの夜景を写真に撮っている。最高の気分のときに私の携帯が鳴った。

バルダである。「すばらしかった!」と言おうとしたら「お前たち、来なかったのか!!」というどなり声。「もちろん行ったよ。今出てきたところ」「だって、いなかったじゃないか!!」。

あっ、招待席。実は、ウィーンに着いたあとバルダから電話があった。

「主催者側が招待券をばらまいている(これはよくあることだ。きっとチケットが売れていないのだろう、と解釈した)。だから招待することはできるが、座席には気をつけなければならない。舞台がろくに見えない席を割り当てられる可能性があるからだ」と、バルダは言う。つまり、あんまりあてにするなというふうに受け取った。

とはいえ、招待枠だからよい席に違いないという期待もあったのである。だから、一応用意してもらって比べてみようぐらいの軽い気持ちだった。これはあとになってきいたことだが、バルダのほうは、私たちがよい席に座れるよう、事務局側とずいぶん交渉したらしい。結果、最前列の右寄りという席が用意された。

残念なことに、初日に私たちが取った席のほうがずっとよかった。私はもともと何かの公演を観るとき、最前列は好きではない。近くを好む人もいるが、全体を見渡せないし、ホール音響がよくわからない。むしろ舞台が遠い席のほうが好きだった。

それでも、せっかく招待してくれたのだから、と休憩中にその席まで行ってみたのだが、本当のかぶりつき。しかもオーケストラピットが間にはいっているので、舞台がけっこう遠い。ダンサーの脚先も見えにくそうだ。「これなら元の席のほうがいいね」とまた戻ってしまったのである。

私たちは知らなかったのだが、最前列というのは舞台関係者にとっては特等席らしい。初日の特等席が2席もあいている・・・。バルダは演奏しながら私たちのいるはずの席を見て怒り心頭に発していたらしい。怒り狂いながら、あのすばらしい演奏・・・。と感心している間もなく、「お前たちはオオバカ者だ!!」という罵声とともに電話はガチャン。それまでの感激もどこへやら、川野さんとしょげかえってホテルに戻った。

スパークリングワインはギンギンに冷えていたし、ハム類はどれもおいしく、七面鳥のローストは中がほんのり桃色の最高の出来。つけあわせの野菜もこんがり焼き色がついて香ばしく、最高のディナーのはずだったのに。

「大丈夫だよ、あした私がおわびの手紙を書くから」という川野さんのひとことで少し気分をもちなおし、ウィーンの第2夜が終わった。(つづく)

投稿日:2011年6月5日

新メルド日記 ランダム5件

新メルド日記

MERDEとは?

「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味です。このアクの強い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使います。「メルド」はまた、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、縁起かつぎの言葉です。身の引きしまるような難関に立ち向かう時、「糞ったれ!」の強烈な一言が、絶大な勇気を与えてくれるのでしょう。
 ピアノと文筆の二つの世界で活動する青柳いづみこの日々は、「メルド!」と声をかけてほしい場面の連続です。読んでいただくうちに、青柳が「メルド!日記」と命名したことがお分かりいただけるかもしれません。

▶旧メルド日記

新MERDE日記 記事一覧

アーカイブ

Top