ニュー・アルバム『ミンストレル』・・・いろいろ違ってます。

猛暑の夏、如何お過ごしですか? 世界水泳が終わったと思ったら世界陸上が始まり、昼間は甲子園の高校野球と24時間スポーツ漬けの青柳です。

7月15日から24日まで、CDアルバム『ミンストレル』の編集と室内楽の合わせでパリに滞在していたのだが、彼の地がとんでもなくまた暑く、連日36度まで上がる。パリでは普通のことだが、私が泊まっていたアパルトマンには冷房がなく、しかも目の前で大がかりな工事がおこなわれ、朝の6時(!)からブルドーザーが稼働しはじめる。

暑いので窓をあけて寝ているため、バリバリブギャーン、ガラガラドシャーン、キュイーンヒュルヒュル・・・がもろに聞こえてきて飛び起きてしまう。

いっぽうで、CDを編集するエンジニアさんのお宅はパリ市内から車で2時間半もかかる田舎で、録音テープに耳をすませているとブタさん山羊さんコケコッコさんの鳴き声が・・・。
まぁ、なかなか大変でした。

『ミンストレル』は今秋にフランスのレコード会社コンティニュオ・クラシックスからリリースされるが、日本での発売元はキングインターナショナルである。この間、ネットを検索していたら、タワーレコードのサイトの「ニューリリース」で告知されていた。しかしそれがまぁ、ずいぶん違っているのである。

大見出しは「青柳いづみこ~パリ国立音楽院で収録された最新盤」、小見出しに「18番のドビュッシーほか、近代フランスのヴァイオリン・ソナタを名手ジョヴァネッティと共演した注目盤!」とある。私のデュオの相手の名前はジョヴァニネッティなので、「ニ」が抜けている。

曲目がまた問題。1曲目は『前奏曲集第1巻』の第12曲を作曲者自身が編曲した(実際には、ヴァイオリン奏者がピアノとヴァイオリンのために編曲したものをドビュッシーが手直ししただけらしいが)「ミンストレル」。これは合っているのだが、2曲目の、やはりピアノ曲からの編曲もの「レントより遅く」が抜け落ち、本来3曲目の『ヴァイオリンとピアノのためのソナタ』が2曲目、ドビュッシーのスケッチをイギリスの音楽学者オーレッジが補筆・完成させた『セレナーデ』が第3曲になっている。

おまけに、CDジャケット写真に添えられた欧文タイトルが「Minstrers」と綴られている。これは、「Minstrels」のあやまり。

もうひとつのあやまりは、日本語曲目表の「吟遊詩人」という邦文タイトル。昨年刊行した『ドビュッシーとの散歩』を読んでくださった方は、ニヤリとなさるかもしれない。『前奏曲集第1巻』の第12曲にはよくこの邦題がつけられているのだが、「ミンストレル」はアメリカのヴォードヴィルのショーで、白人が顔を黒く塗り、黒人のダンス音楽を演奏した。舞台上で歌ったり踊ったり、滑稽な寸劇を演じたり・・・リュートを片手に宮廷をまわった「吟遊詩人」のようにお上品なものではないのである。私たちの演奏は、この「ヴォードヴィル感」を最大限に活かした解釈で、だからこそアルバムのタイトルにも「ミンストレル」とつけたのだが。

曲目は、上記4曲のほかに、ドビュッシーのパリ音楽院時代の同級生だったガブリエル・ピエルネの『ソナタ』と、フォーレの『ヴァイオリン・ソナタ第1番』。

キング・インターの求めに応じて書いた帯裏のコメントは以下のとおり。

「イザイ弦楽四重奏団を創設し、自ら第1ヴァイオリンを弾いたクリストフ・ジョヴァニネッティと、文筆家としても知られる青柳いづみこは、共にマルセイユ音楽院に学び、高名なデュオ、フェラス=バルビゼの薫陶を受けた。哀愁あふれるヴァイオリンを明晰なピアノが支え、熟成された香り高いアンサンブルに定評がある。

プログラムは、青柳がライフワークとするドビュッシーのソナタを中心に、ドビュッシーの同級生で2013年に生誕150年を迎えたピエルネ、革命児ドビュッシーを温かく見守ったフォーレの第1番を配し、関連の小品3点を添えている。

作品世界の内奥に迫るドビュッシー、鮮烈な技巧がはじけるピエルネ、親密な語らいが情熱的な高揚を生むフォーレは、いずれも聞き応えのある名演。幻のアメリカ・ツアーのために作曲者が編曲した『ミンストレル』では、ヴォードヴィルの情景が自在に描き出される。レオン・ロケ編曲の『レントより遅く』は、手だれの俳優のような語り口が魅力。ドビュッシーが遺したスケッチを音楽学者オーレッジが補完した『セレナーデ』は世界初録音となる」

クリストフ・ジョヴァニネッティのヴァイオリンをひとことで言うなら、昔なつかしい香りのするオールド・ファッション・スタイル。諏訪内晶子さんや庄司紗矢香さんのような正確無比なテクニシャンではないけれど、コンクール世代がどこかに置き忘れてしまった語りかけてくるようなアプローチが魅力である。ハイフェッツを研究した成果という、独特のしゃがれ声のような発音は、『レントより遅く』やピエルネの『ソナタ』の2楽章にぴったりで、ピアノ部分を弾いていても、思わずうっとりしてしまう。

音楽の形をくずさない範囲内のデフォルメも得意で、『ミンストレル』やドビュッシーの『ソナタ』の2楽章では、思い切ってテンポをゆらし、自由に飛翔する音楽に仕上げている。私一人だったらとてもここまで大胆には弾けなかっただろう。

といっても、単におもしろいだけの底の浅いヴァイオリンではなく、内省的で真摯なアプローチは、ドビュッシーの第1楽章やフォーレの第2楽章で存分に発揮される。

そして、いかもにフランスの奏者らしい優雅で洒脱なセンスも、ピエルネの1楽章やフォーレの3、4楽章でふんだんに味わうことができる。

私はもともとソリストなので、フォーレの1楽章やピエルネの3楽章では率先してぐいぐいひっぱっている。でも、ドビュッシー=オーリッジの『セレナーデ』ではヴァイオリンの下にもぐり込んで、掌の上でころがしている。留学生時代から共演して、ジョヴァニネッティのリズム感やフレージングは熟知しているので、呼吸を合わせて一緒に音楽をつくっていくことができる。これもまた、室内楽の醍醐味だ。

9月18日(水)、20日(金)には、アルバムのリリースを記念して、ジョヴァニネッティとの連続コンサートを開催する。9月20日、浜離宮朝日ホール公演チラシのキャッチには、「モーツァルトとピエルネの親和性」と題してこんなふうに書いた。

「幼いころにピエルネの『昔の歌』を弾いたとき、その『光と影』は、モーツァルトの泣き笑いの世界と重なった。ジョヴァニネッティの哀愁漂う音色とともに、その予感を実現する希有な機会が与えられたことが嬉しい」

前半に置いたモーツァルトの2つのソナタは、売り物のフランス音楽ではないが、実は今、自分たちが一番弾きたい演目なのである。ジョヴァニネッティのしなやかなヴァイオリンは、モーツァルトの心のひだをすみずみまで描き出してくれる。古典の様式感もよくおさえられていて、堅固な構成の中で自由にふるまうあたりのバランス感覚も抜群だ。

私も、もともとモーツァルトが大好きなので、なんだか学生時代に戻ったような新鮮な気持ちで弾いている。3年前、札幌でシューベルトを弾いたとき、どこかの批評で「大人の青春」と評されていたが、そのまま私たちのモーツァルトにも当てはまる。

後半は、ドビュッシーのパリ音楽院時代の同級生で、コンセール・コロンヌの指揮者としてドビュッシー作品の演奏で定評のあったピエルネ作品で開始する。

ソロで弾く『子供のためのアルバム』の第5曲「昔の歌」は、最初の発表会で先生からいただいた曲だ。ヘ短調がベースなのだが、最後にテーマが回想されるところで、一瞬ふっとヘ長調になる。その転調が印象的で、子供ごころに「モーツァルトそっくり」と思ったものだ。ちょうど練習していた『ソナタ第10番K330』の第2楽章のトリオが、やはりヘ短調で開始してヘ長調で終わるからだ。

子供の直感が間違っていなかったことは、つい先日判明した。CDアルバム「ミンストレル」の日本発売元であるキング・インターの担当さんが、モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番K488』のカデンツァをピエルネが書いている、という情報を教えてくださったのだ。早速楽譜を取り寄せて弾いてみた。大好きな協奏曲なので嬉しかった。

私たちがデュオで弾くモーツァルト『ソナタ第40番K454』の第2楽章には、これが古典音楽かと思うような、よく戻ってこれたなぁと感心するような大胆な転調がある。そして、ピエルネの『ヴァイオリン・ソナタ』にも、近代音楽だから当たり前かもしれないが、至るところに耳がびっくり仰天するような転調がちりばめられていて、きっとモーツァルトを手本に書いたにちがいないと、ますます親和性に確信をもった。

浜離宮でのコンサート、最後の演目はCDにも収録したドビュッシー『ヴァイオリン・ソナタ』。1917年作。次の年に亡くなった作曲家の白鳥の歌である。

ジョヴァニネッティは、1984年にイザイ弦楽四重奏団を創設、自ら第1ヴァイオリンをつとめて、95年に退団するまで数々の名録音を遺した。デッカから出したドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲はその白眉で、なかでもドビュッシーの『弦楽四重奏曲』は、堅固な様式感にラテンの情熱をこめた名演で、今聴いてもほれぼれする。いずれドビュッシーの『ソナタ』を録音するとしたら、ヴァイオリンはジョヴァニネッティ以外考えられないと思っていたので、コンティニュオ・クラシックスからのオファーは嬉しかった。彼方から聞こえてくるような音色で、「死の待合室」の境地を奏出しつつ、ドビュッシー自身がエドガー・ポーの短編「天の邪鬼」にたとえた「絶望のさなかの歓喜」を見事に表現する。

ドビュッシーのソナタに関するかぎり、ここまで深くはいりこんだ解釈は、私たちにしかできないはずだ。そんな自負をこめて演奏するつもりである。

                  *  *  *

 至福のデュオ 青柳いづみこ + クリストフ・ジョヴァニネッティ
  9月18日(水)19:00 白寿ホール
  9月20日(金)19:00 浜離宮朝日ホール
 CDアルバム「ミンストレル」(コンティニュオ・クラシックス) 

投稿日:2013年8月17日

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