|
|トップページ| プロフィール
| 今年の活動 | 新刊|新譜|コンサート|CD|書籍|書評、CD評
| |執筆&インタビュー|日記 | E-メール| |
|
|
| ◆書評、CD評 |
|
| ラモーのクラヴサン曲をスタンウェイで弾き、それだけで一枚のアルバムを作るという「反時代的」な試み。だが、これはバロック音楽をロマンティックな視点から自己流に解釈することでは断じてない。モダン楽器であってもバロック音楽を正しく解釈することは可能である、という確信がこのディスクには強烈 ににじみ出ていて、何より結果として聴かれる「音楽」が、その確信が正しいことを教えてくれる。古典的な造形性や明朗な均衡を大切にしながらも、時に伸 びやかで時に情熱的な「歌」がここには あるのだ。 たとえば、活き活きとテンポを伸び縮みさせながら歌われる「鳥のさえずり」も、それでいて、明朗かつ透 明な全体の造形性を失わない。また、「新クラヴサン曲集」の「ガヴォット」とその変奏で、片手が次第に高揚したクライマックスを築いていく一方で(まるでシューマンの変奏曲を聴いているようではないか?)、もう片方の手は素早くリズムを打ち込みながら着実にその歌を支えてゆく。 こうした情熱的な歌心と古典的な造形性との兼ね合いこそが、おそらく、青柳のピアノの最大の美点だろう。それは彼女のドビュッシー演奏にすでに明らかであったし、そもそも、古典性とロマン性との微妙なせめぎ合いがドビュッシーの音楽の根底にあることを、青柳はもちろん熟知している。 そうした点において、このアルバムは、モダン楽器で弾かれることによって、ラモーからドビュッシーへと引かれるフランス音楽の目立たない水脈を指し示してくれてもいる。そして何よりも、あらゆる音楽の根源にある「歌」というものをわれわれに(再)発見させてくれるのだ──過剰なまでに実証的・学究的なバロック演奏は、時として 、その「歌」を見失っていたのではないか? 何はともあれ、フランスそして日本で慎ましく受け継がれてきた「ピアノによるラモー」を、ひとときの幸福な音楽体験として提供してくれるこのアルバム に感謝したい。 |
| →書評,CD評一覧へ |
|
|トップページ| プロフィール | 今年の活動 | 新刊|新譜|コンサート|CD|書籍|書評、CD評 | |執筆&インタビュー|日記 | E-メール| |
|
Copyright(c) 2001-2005 WAKE UP CALL fountain@ondine-i.net |