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| ■歴史の水脈を。さかのぼり、18世紀鍵盤音楽の魅力を伝える ドビュッシーの『ラモーを讃えて』やラヴェルの『クープランの墓』などを思い出してみるだけでも、フランス近代の作曲家たちが18世紀の作曲家たちにただならぬ思いを寄せていたことは明らかであろう。彼らは途絶えかけていたフランス音楽の伝統を復興させるにあたって、18世紀の音楽やその底に流れるフランスの精神を自分たちの模範とした。過去への思いは作曲家に限られたことではなく、ヴェルレーヌは18世紀ワトーが描いた”フェット・ギャラント(艶なる宴)”の情景を詩によみ、フォーレやドビュッシーの歌曲にインスピレーションを吹き込んだ。フランス近代作品と18世紀の作品とのあいだには、一世紀以上の時を結ぶ深い水脈がある。 ピアニストで文筆家、ドビュッシーの研究者としても知られる青柳いづみこの「やさしい訴え/ラモー作品集」は、演奏することを通じてその水脈をさかのぼり、ドビュッシーらも憧れた18世紀鍵盤音楽の魅力をじかに伝えてくれる。クラヴサンではなくピアノによるラモーである。クラヴサン音楽をピアノで弾く伝統は、彼女の師である安川加寿子がフランスのピアニストたちから受け継いだものでもあった。考えてみれば、ふだん弾いているピアノという楽器のレパートリーの延長にはバロックのクラヴサン音楽があるというのはごく自然な発送である。オリジナル楽器全盛期を通り抜けてきた今日では、ラモーをピアノで弾くことの方がむしろ新鮮に思えたりもする。結局はピアノでもクラヴサンでも、大切なのは、この演奏のように音楽に輝くような生命力が宿っていることなのであろう。 ■明晰で透明感のある音で、ラモーの音楽を生き生きと表現 |
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