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執筆&インタビュー

連載「ドビュッシーとの散歩」/『音遊人』 2009年8月号

  第21回 カノープ

  娘とエジプト旅行をしたときのこと。ナイル川流域のルクソール に行き、壮大なカルナック神殿を見学したあと、フェリー乗り場近 くのミイラ博物館に立ち寄った。
  ファラオのミイラはカイロの考古学博物館で見ることができる が、ここは動物のミイラがたくさん展示されていて、ネコや犬、サル、ワニ、魚のミイラまである。
  古代エジプトの人々は、死後、魂はいったん肉体から離れるが、 また戻ってきて永遠に生きると信じられていた。愛するペットの魂の戻り場所を確保するためにミイラにしたのだろうか。それにしても、ワニや魚とはびっくりだ。
  やや気味の悪い館内を出ると、外はカフェテラスになっている。 エジプト風の甘いミントティを飲みながらナイル川のゆったりした流れを眺めていると、時間が止まってしまったような不思議な感覚
におそわれた。
  カノープは、ミイラを作ったあとの内蔵をおさめる陶製の壺である。
  ドビュッシー『前奏曲集第二巻』の「カノープ」にも、静謐な時間が流れている。この作曲家特有のなめらかな和音の連続ではじまり、それがいったんのぼっておりてきたあたり、音楽がほの暗い雰
囲気をおびるところがある。
  全音音階の響きのなかで、嬰ハ音が何度もリピートされ、半音階的に動く。一オクターヴ上がって、もう一度同じことをくり返す。
  実は、この連打音のモティーフは、ドビュッシーの未完のオペラ『アッシャー家の崩壊』(一九〇八〜一七)からの転用なのである。
  二〇〇九年はエドガー・ポーの生誕二百年にあたり、怪奇小説の古典『アッシャー家の崩壊』も新訳が出版された。
  ロデリックとマデラインは双生児の兄妹で、代々つづいてきたアッシャー一族の末裔である。マデラインは原因不明の病気に罹っており、兄は愛してやまない妹の身を案じている。それとともに、兄は、鏡の映像のように瓜二つの妹の身に何かあれば、自分もまた死んでしまうのではないかという恐怖にもとらわれていた。
  同じ作者の『ウィリアム・ウィルソン』とともに、分身の恐怖を描いた作品である。
  マデラインはついに亡くなったが、彼女を地下室に埋葬した兄は、ひょっとしてまだ息があったのではないかと日夜恐怖にさいなまれる。このあたりは、やはりポーの『速すぎた埋葬』につながるテーマである。
  そして、ある嵐の夜、墓から蘇ったマデラインは、地下から階段をのぼってきて、ロデリックの部屋の扉を叩く。
  「カノープ」の連打音モティーフが、この部分、扉を叩く音を模していると知れば、なかなか静謐どころのさわぎではなくなってくる。
  『前奏曲集第二巻』では、「水の精」にもロデリックやマデラインのモティーフが使われている。
  ドビュッシーが青春時代を送ったフランス一九世紀末、象徴派の親玉ボードレーが翻訳・紹介したポーの怪奇小説は大流行していた。
  若き日のドビュッシーも『アッシャー家の崩壊』に夢中になり、「心理学的に展開するテーマにもとづく」交響曲を作曲していたという話もある。この計画は頓挫してしまったらしいが、一八九三年作の『弦楽四重奏曲』の循環テーマは、のちに彼が作曲するオペラの、もっとも大事なモティーフにそっくりなのだ。
  一九〇八年に着手されたオペラ『アッシャー家の崩壊』は、死の前年まで何度もとりあげながら、命とりとなった病気に阻まれてついに完成しなかった。
  「運命は、私にこのオペラの完成を許すべきです」と彼は手紙に書いている。
  「私は、『ペレアスとメリザンド』の作曲者としてだけ後世の 人々に判断されたくないのです!」
  ドビュッシーの手による一幕二場の台本と、一場全部の音楽、二場のスケッチが、その苦闘のあとを物語っている。

  *9月24日(木)、浜離宮朝日ホールでコンサート形式による『アッシャー家の崩壊』の上演。
 (問)ミリオンコンサート協会  03−3501−5638
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