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連載「ドビュッシーとの散歩」/ 『音遊人』2009年6月号

  第20回 野を渡る風

  『前奏曲集第一巻』の「野を渡る風」は、細かいパッセージがく るくる旋回し、ときおり突風のような和音が炸裂する、それこそ上 州の空っ風のようなイメージの作品だが、タイトルはドビュッシーの子供時代と深いかかわりをもっている。  
  ドビュッシーは大変貧しい家の生まれだった。生家はパリ近郊の町サン・ジェルマン・アン・レイで瀬戸物商を営んでいたが、すぐに商売はたちゆかなくなり、父親は職業を転々とし、母親は針仕事で生計を助ける。
  パリに出てきてやっと印刷・石版業の店に就職したと思ったら、 普仏戦争にともなうパリ包囲であっという間に解雇された。仕方なくパリ区役所につとめたところ、一八七一年五月にパリ・コミューンが起き、国民軍の兵士として政府軍と戦った父親は捕らえられて監獄に入れられてしまう。                  
   ここで父親が出会った人物が、ドビュッシーの運命を決めたのである。シャルル・ド・シヴリーというシャンソン作曲家で、母親はモーテ夫人。一説にはショパンの弟子だったというピアノ教師である。
  ドビュッシーはその少し前に疎開先のカンヌで音楽の手ほどきを受けたばかりで、父親が音楽の勉強について相談したところ、シヴリーが、それじゃぁオフクロに筋を見させよう・・・ということになったらしい(すべては憶測の域を出ない)。
  何はともあれ、九歳のドビュッシー少年は、七一年秋、モーテ夫人が住んでいたモンマルトルの中腹にあるニコレ街十四番地の家に ピアノのけいこに通うことになった。
  そしてたまたまそのころ、その家にはモーテ夫人の娘夫婦が居候 していて、ムコ殿の名前はポール・ヴェルレーヌといった。
  「月の光」の詩人である。
  そしてまた、たまたまそのころ、ヴェルレーヌはアルチュール・ ランボーという少年詩人と文通していて、彼の詩を高く評価し、仲間うちで寄付を集めて送ったところだった。
  ランボーがその金で汽車の切符を買い、ヴェルレーヌを頼って故郷のシャルルヴィルからニコレ街にやってきたのは七一年秋。モーテ夫人がドビュッシー少年のピアノのレッスンをはじめる少し前のことである。
  フランス文学に詳しい人なら誰でも知っているヴェルレーヌ=ランボー事件(『タイタニック』でブレイクする前のレオナルド・ディカプリオがランボーを演じた『太陽と月に背いて』という映画を観た方もいらっしゃるかもしれない)は、ドビュッシーがけいこにはげみ、パリ音楽院のピアノ科に合格するまでの期間とぴったり重なっている。
  ドビュッシーがランボーと直接会ったかどうかはさだかではないが、少なくとも彼は、ランボー事件のさなかに書かれたヴェルレーヌの『忘れられた小唄』にもとづくすばらしい歌曲集を残している。
  モーテ家で乱暴狼藉のかぎりを尽くし、ヴェルレーヌの詩人仲間にも傍若無人な態度をとりつづけたランボーは、詩の才能は認められたもののだんだん評判が悪くなり、一時故郷に帰っていたことがある。
  図書館に通ったランボーは、『恋の気まぐれ、あるいは宮廷のニエット』という十八世紀の作品集をヴェルレーヌに贈った。中でも、オペラ・コミックの脚本家ファヴァールのテキストによる「忘れられた小歌曲」はヴェルレーヌをたいそう喜ばせた。
  「あれはステキだ、『忘れられた小歌曲』は、言葉も音楽も! あのように心やさしい贈り物をありがとう!」と、普段はあまり心やさしくない友に書き送っている。
  『忘れられた小唄』のタイトルは、ここからとられたものと思われる。
  有名な「巷に雨の降るごとく」は、ランボーによるエピグラフ「雨はしとしと市に降る」をもっている。そして、冒頭の詩「そはやるせなき夢心地」には、ファヴァールによる「野を渡る風は宙で息をとめる」というエピグラフがつけられている。
  そう、前奏曲「野を渡る風」のルーツである。
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