トップページ| プロフィール | 今年の活動 | 新刊新譜コンサートCD書籍書評、CD評 |
執筆&インタビュー日記 | E-メール

執筆&インタビュー

連載「6本指のゴルトベルク」/岩波『図書』 2008年8月号

  第26回 かすかな違和感

  ピアノなどを専門にしていると、ちょっとした違いに敏感になるものである。
  あるとき、ポルトガルの人気ピアニスト、マリア・ジョアン・ピリスのリサイタル評を新聞に書くことになり、担当記者と上野の東京文化会館大ホールに赴いた。
  招待席は二階席の中央。はるか下のステージに置かれているピアノを見た私は、「あっ、ヤマハだ!」と叫んだ。「なぜわかるの?」といぶかる記者に向ってひとこと。
  「光りかたが違う」
  もちろん、休憩中に一階まで下りて行ってちゃんと確かめてきたが、やっぱりヤマハのCFIIIというモデルだった。
  コンサート用のグランド・ピアノにはたいてい黒い塗料が塗られているが、この塗料の光りかたが、スタンウェイとヤマハでは違う。ヤマハのほうが艶やかな感じがする。同じスタンウェイでも、ハンブルクとニューヨークではまた違う。
  サントリー大ホールにマウリツィオ・ポリーニのリサイタルを聴きに行ったとき、ステージに置かれたピアノを見て首をかしげたことがある。ポリーニだからスタンウェイに決まっているのだが、いつもの楽器に比べてどことなくくすんだ感じの光りかただし、蓋の形も四角くて、全体に箱船のような形状をしている。
  実際にポリーニがそのピアノを弾きはじめたときも、やっぱり首をかしげた。いつものポリーニの演奏に比べて、はるかに甘い音がしている。まるでカンツォーネのよう。ポリーニはイタリア人なんだから当たり前だと思われるかもしれないが、どちらかというシャブリのようにきりっと辛口の演奏をする人だから、いったい何が起きたのかとびっくりした。
  あとで某財団関係者に話をきいて謎がとけた。ポリーニが来日する少し前、アメリカ在住の有名ピアニストがその財団の招きで来日したのだが、手の調子が悪くなって帰ってしまった。ポリーニは、そのピアニストが本国から運んできたニューヨーク・スタンウェイを試したところすっかり気に入って、自分も弾いたのだった。
  その後私もレコーディングで何回かニューヨーク・スタンウェイを弾き、じゃじゃ馬で乗りこなすのはむずかしいものの、ツボにはまればひとりでに歌ってくれるこの楽器にずいぶん助けられたものだ。
  頼まれて演奏に行って、出てきたピアノがホワイトだったりマホガニーだったりすると、嫌な予感におそわれる。ホワイトはジャズ用に調律されていることが多く、鍵盤が軽すぎて指がすべってしまうのだ。マホガニーのピアノは楽器よりは家具として扱われていることが多く、鍵盤が鉛のように重かったり、全然鳴らなかったりする。ときどき、椅子まで家具調で高さの調節がきかなかったり。
  古い楽器には、黒く塗られたものは少ない。リストが好んだ楽器エラールは赤茶色の肌、ショパンが好んだ楽器プレイエルは黄土色の肌をしている。エラールは切れがよくダイナミックで、プレイエルはほわんとした響きが魅力的だ。塗料を見ただけで、指先に音色の感覚が蘇ってくるような気すらする。

  ピアノ弾きの私は楽器の色や音色に敏感に反応してしまうわけだが、澤木喬『いざ言問はむ都鳥』(創元文庫)の主人公沢木敬は大学の植物学科で助手をつとめる分類学者だから、下宿近くのハーブガーデンで栽培している切り花が気になってしかたない。
  ハーブガーデンを経営しているのは麗子さんという三十年配のおとなしやかな美人で、バジル、セイジ、ペパーミントなどいろいろなハーブ製品や苗、カモミール茶やキイチゴ酒といった健康食品を売っているが、それだけではたいした儲けにはならないとみえて、毎朝大きなヴァンが横づけされて、まだつぼみの花を積んでどこかに運んいく。
  花を見れば無意識のうちに分類するクセがついている沢木は、朝早くハーブガーデンの横をとおりかかって、車の中の切り花をちらっとのぞいてみるのだが、どうしても系統の見当をつけることができず、いたくプライドを傷つけられた。
  「あのつぼみが開いたら、キク科のような頭状花序が現れると思う。細い茎の先についたつぼみは大きくて不格好で、今にも咲きそうなマリイゴールトのつぼみのような感じだった。ただ、まんなかあたりがかなり膨らんでいて、ケシ属の雌しべに近かった。しかし、ケシ属のつぼみは二枚の苞に包まれているから、全然違う。ああいうつぼみをつけるキク科があったかどうか、とっさには思い出せなかった」
  やがて沢木がハーブガーデンの主に会うときがやってきた。ある六月の日曜日、同僚の樋口を誘って、下宿そばに住むゆみちゃんという少女と散歩に出た沢木がハーブガーデンの前をとおりかかると、麗子さんが屋台を出して健康食品を売っていた。
  妻が好きだからと、早速カモミール茶を買い求める樋口。紙袋に包んだお茶を手渡しながらかたわらの沢木をちらと見た麗子さんは眉をひそめて、夜はよく眠れるかとたずね、もしよろしければ同じものを少しさしあげましょうかと言い出すのだった。

  どうしてわかるのかと聞き返すと、「目の下を黒くしていらしゃいますもの、お顔を見ればどなただっておわかりになると思います」と笑う。
  カモミール茶は気分を落ち着かせてリラックスさせるとすすめられたのだが、ハーブティーはあまり好きではない。そもそも沢木は不眠症にかかっているのではなく、その日の明け方に論文を一本書き上げたばかりで単に睡眠不足がつづいていただけだ。
  困っていると、そばで五歳のゆみちゃんが「リラックスってなあに?」ときく。樋口が「きみがそれ以上リラックスしたら溶けてなくなるだろう」と言うと、ゆみちゃんは「溶けたらたいへんだからそんな悪いお茶を飲んではいけない」と真顔で止めにかかった。
  あら、アーサー・マッケンの小説みたい、それじゃ私は魔女かしら、と麗子さんが大笑いし、沢木はその笑顔を「アカヤシオがぱっと咲いたらこんな感じじゃないか」と形容する。アカヤシオの花を知らない読者にはピンとこないのだが、なんでも植物にひきつけないと気がすまないらしい。

  ところで、なぜ「魔女」なのか? 物語ではとくに説明されていないが、イギリスの怪奇小説作家アーサー・マッケンには『パンの大神』というおどろおどろしい作品がある。                  
  ヴィクトリア朝のロンドン、悪魔のような医師によって脳手術をほどこされた美少女メリーが淫楽の化身となり、上流階級の紳士に近づいては破滅させる。メリーが死ぬ前に産み落としたヘレンも同じ道をたどり、変名を使いながらかかわる男たちをつぎつぎにとり殺す。
  犠牲者のひとりの友人がついに正体をつきとめると、ヘレンは女から男に溶けて変わり、さらに男から獣に、獣からもっと下等なものへと変わっていった。
  実は私が研究するフランス近代の作曲家ドビュッシーが、この『パンの大神』を読んでいたのだ。ドビュッシーと交遊関係にあった詩人ポール・ジャン・トゥーレがマッケンの紹介者で、本国では大スキャンダルを起こした『パンの大神』を一九〇一年に仏訳している。彼から訳書を贈られたドビュッシーは、たいそう喜んで礼状を書き、マッケンのことを「すばらしい才能」と評している。
  トゥーレにはマッケンの影響下に書かれた『ポール氏』という小説もあり、ドビュッシーはこちらも読んでいたらしく、ピアノ曲『子供の領分』の第四曲「雪は踊っている」はこの作品の雪のシーンにヒントを得たのではないかという研究者もいる。
  雪のシーンといったって、サドまがいの猟奇の城から逃げてきた少女が、窓ガラスにぴったり顔をおしつけてあとからあとから降りつもる雪をじっと眺めているという情景だから、およそ牧歌的どころのさわぎではない。
  ドビュッシーは、一般的には「印象主義音楽の創始者」ということになっていて、モネとかルノワールのあわあわした絵をひきあいに出されることが多いが、実際にはエドガー・ポーやホフマン大好きという怪奇幻想派。麗子さんのお仲間なのだ。

  やはり同好の士である樋口とすっかり意気投合した麗子さんは、その日の夕方、ゆみちゃんと男二人をお茶に招く。
  「ぼくたちはときどき、あのお茶会を思い出す。同じものを好きな人間は、年齢も職業も境遇も、経歴も性別も超えて、容易に打ち解けることができる。それは何とも不思議なことだ。共通の話題も要らないし、話が正確に伝達されることさえ不要なのだ」
  樋口はもっぱら怪奇小説の話をしたし、沢木は麗子さんが生態学にも多少通じていることを知って快い驚きにおそわれた。五歳のゆみちゃんも負けじと「わけのわからない話」をたくさんした。
  パパは世界一偉いおまわりさんで、ママはパパと結婚する前はお花をきれいにして回るのが仕事だった・・・。
  実際には、ゆみちゃんのパパは小さな警備会社の社長さんで、ママはフラワーアレンジメントの仕事をしていただけだったが、意味不明な会話を麗子さんはていねいにきき、ヴィオラを思わせる低く柔らかい声で、ハーブガーデンの理想について話した。
  「ぼくは、ああいう声には、少し弱い」
  沢木は、さるアマチュアのオーケストラでヴァイオリンを弾いているのだ。
  麗子さんへの淡い想いはしかし、すぐにたちきられた。ハーブガーデンへの道に花占いをしたあととおぼしき都忘れの花びらが散らばっているのを樋口は、「花びらをむしられた花」の連想から、沢木が系統を特定できないと悩んでいた「切り花のつぼみ」に思いをはせる。植物生理学を専攻する樋口が導き出した結論は、おそろしいものだった・・・。
  そこに至る「植物学的な」推理も微に入り細をうがっていてワクワクドキドキなのだが、ネタばれになるので本を読んでいただきたい。澤木喬は立教ミステリクラブ出身で、若竹七海などの仲間うちにいた人らしいが、今のところこの一作しか出ていない。
  連作エッセイを書くために音楽ミステリを捜していたころ、表紙のヴァイオリン奏者の絵に魅せられて買い求めたのだが、かすかな違和感にとりつかれて妄想に近い推理をめぐらせ、現実にはありえないような結論に至ってしまうあたりの方法論が気に入り、今もときどき読み返している。
執筆 & インタビュー一覧へ

トップページ| プロフィール | 今年の活動 | 新刊新譜コンサートCD書籍書評、CD評 |
執筆&インタビュー日記 | E-メール

Copyright(c) 2001-2005 WAKE UP CALL
fountain@ondine-i.net