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執筆&インタビュー

連載「我が偏愛のピアニスト」/「ムジカノーヴァ」 2008年8月号


  第14回 岡田博美さん(後編)

 岡田博美さんの正確無比な超絶技巧は、幼時からの厳しいトレーニングの賜物かと思ったら、まったく反対。生まれ故郷の富山で過ごした子供時代は自然児だったそうである。 
  小学校のころは好き勝手に弾いていた、と岡田さんは言う。といっても、作曲したり曲をアレンジするようなタイプではなく、あくまでも楽譜を弾く喜びに魅せられていたらしい。バッハなど『平均律クラヴィーア曲集』の2巻まで弾いてしまった。エチュードはショパンではなくドビュッシーのものを2、3曲弾いていた。
  そのころから才能はきわだっていたのだろう。富山での先生が井口基成門下だったため、中学1年のとき桐朋の夏季講習に参加して井口先生の前で弾いたところスカウトされ、やはり基成門下の森安先生に師事することになった。ここがターニングポイントである。
  中学2年までは2週間に一度東京に通ってレッスンを受けた。森安先生は非常に細かくきびしい先生で、練習曲は『チェルニー50番』、バッハはインヴェンションの2声にもどされた。各関節ががっちりと鍵盤をとらえる今の岡田さんからは考えられないが、 「指が弱い」と言われてハノンを叩きこまれた。
  「最初はちょっとつまらないなと思ったがすぐに慣れた」と岡田さんは笑う。
  その後のことはよく知られている。桐朋に在学中の1979年に第48回日本音楽コンクールで優勝、ミスのない演奏でセンセーションを巻き起こし、「桐朋のポリーニ」と呼ばれた。私が初めて聴いたのは、81年3月、ショパン協会第84回例会でのリサイタルだった。プログラムの後半でショパンの『練習曲作品25』を全曲演奏した岡田さんは、アンコールとして、往年の大ヴィルトゥオーゾ、ゴドフスキが編曲したショパン『練習曲作品25−1』を弾き、ついでブラームスによる『同作品25−
2』 の編曲を弾いた。
  このアンコールで私は、「桐朋のポリーニ」にポリーニ的な完全無欠とは少し異なるものを感じたように思う。ポリーニの場合は、それまでの伝統を打ち破って20世紀的なヴィルトゥオーゾの姿を示してみせたわけだが、岡田さんの演奏からは、もっと音楽が自由だったころ、19世紀的ヴィルトゥオーゾへの郷愁が漂ってくるような気がした。

  83年に第2回日本国際コンクール、84年には南アフリカのプレトリア国際コンクールで優勝した岡田さんは、その年からロンドンに留学し、マリア・クルチオに師事する。
  名伯楽として多くの優れたピアニストを育てているクルチオ女史は、岡田さんのピアノについて、「溢れるような思いはわかるがそれを伝えるための技術が足りない」と診断し、独自のシステムによる指導をほどこすとともに、呼吸法や身体のトレーニングの先生にも紹介した。そのトレーニング方法を岡田さんは「まず丹田に力をこめて息を吸い、ついで身体を前屈させて息を吐きながら脱力する。こうすると肩までリラックスできる」と説明しながら実際にやってみせてくれた。
  85年にはロンドン・デビュー、「タイムズ」紙で「図抜けて確かなテクニック」と「想像力に富む情熱的な音楽性」を絶賛された。86年にはチャイコフスキー・コンクールに参加している。このときの模様は中村紘子『チャイコフスキー・コンクール』で少し触れられている。岡田さんの腕達者ぶりは審査員の間でも話題になっていて、そのことが必ずしもプラスに作用しなかったらしい。第2次予選で弾いたブーラムス『パガニーニ変奏曲』でほんの一瞬だけ音をかすったときには、大げさに驚いて
みせるといったふうに。
  1960年にポリーニがショパンを受けたときは、アルトゥール・ルービンシュタインが「審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と絶賛したと伝えられているが、半世紀を経てピアノ界の趨勢もずいぶん変わってしまったのだろう。
  「チャイコフスキーに入賞していたら人生が変わっていたと思いますか?」という少し意地悪な質問に、岡田さんは言葉を選びながらこんなふうに答えてくれた。
  「コンクールは政治的なこともかかわってくるし、自分にとってよい演奏ができればよしとします。入賞していたら、もしかするとわっと騒がれてダメになっていたかもしれません。一度に仕事をたくさん入れられて飽きるとポイ捨てされるケースをたくさん見ています」
  以降岡田さんは、ロンドンと東京を拠点に「まわりに左右されず、自分がそのときに弾きたいと思う作品を弾き、よいと思う音楽づくりをする」というスタンスを貫いている。

  岡田さんは、演奏家になるために生れてきたようなピアニストだ。まず、ステージではまったくあがらない。いい意味の緊張感はあるが、心臓がドキドキしたり固くなったりというのは経験したことがない。だからこそ、アルベニスの『イベリア』やドビュッシー『12の練習曲』の見事なライヴ録音が実現するのだろう。
  時差ボケにも強いため、演奏旅行も苦にならない。年間100回でも200回でもステージをこなせるのだが、岡田さんの演奏回数がそこまで達することはない。華々しいデビューを飾ったピアニストも、中間地点の過ごしかたはむずかしい。次々に新しいスターが出てきて、以前ほどは活動を注目されなくなってしまう。
  「うんと年寄りになるとまた、この年にしてはよくやっていると評価される」と、岡田さんは苦笑する。
  「今はまだ、音楽的にもテクニック的にも完璧を期したいと思っています」
  演奏会にしてもCDにしても、岡田さんの魅力は何といってもプログラミングにある。新しいもの好きの時流におもねるのではなく、安易に大衆の趣味に迎合するのでもなく、音楽史的な興味と洗練された美意識に則って注意深く選択されている。2006年には、矢代秋雄没後30周年に寄せて矢代とデュティユによるすばらしいリサイタルを開いた。矢代作品では、湯浅卓雄指揮による『ピアノ協奏曲』の名演もナクソスからリリースされている。
  今年はフランス近代の作曲家フローラン・シュミットの没後50年に当たり、秋にはシューマンとシュミットという思いがけない組み合わせでリサイタルを開く。ちなみに、2008年は岡田さん自身の生誕50年にも当たっているとか。
  こうした玄人好みの活動形態を可能にするためには周囲がしっかり支える必要があると思うが、幸い岡田さんには堅固な後援会が組織され、公演はいつも満員になる。
  いっぽうで、岡田さんはヴァイオリニストの天満敦子さんとデュオを組んで各地を演奏旅行している。大衆的な人気を誇る天満さんと岡田さんとでは一見水と油のようだが、実際には相性抜群なのだそうだ。個性の違うアーティスト同士が相手の実力を正確に把握して、ときには相手に合わせ、ときには戦い、相手を自分のペースにひき込む。
  「アンサンブルはものすごく好きで、異なったアーティストと共演するたびにまた自分の別の側面が発見できる楽しさがある」と岡田さんは語る。
  岡田さんの趣味は読書で、中でも筒井康隆の小説は大のお気に入り。帰国するたびに書店で買い占めるとか。
  「いろいろのタイプの作品があるのがよいと思います」
  ピアニスト岡田博美もまたさまざまな顔を隠しもっていて、私たちはひとつひとつの公演、CDリリースのたびにそれを享受する愉しみがある。

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