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執筆&インタビュー

連載「我が偏愛のピアニスト」/「ムジカノーヴァ」 2008年7月号

 
第13回 岡田博美さん(前編)

 四年に一度しかこないうるう年の2月29日トッパンホール、岡田博美さんの弾くバッハ『ゴルトベルク変奏曲』を聴いた私は、ほとんど四年に一度の感激を味わっていた。
  その興奮は情緒的なものではなく、たとえば見事に構築された評論を読んだときの知的興奮に近いが、ことは音楽だから、それだけではない。
  ゆったりしたアリアで始まった変奏曲が、30の変奏曲を経てまたアリアで結ばれる。富士山の稜線のようにすそ野が長くのびて、それが本当に消えてから岡田さんが我に帰るまでの時間の心地よかったこと。
  『ゴルトベルク』といえば、グールドの録音がよく知られている。モダンピアノで弾いているのにわざわざチェンバロのような効果を出したグールドの場合は、個々のタッチに音色の変化はない。しかし岡田さんはさまざまな濃淡、光のグラデーションをつけ、錯綜したバッハのテクスチュアを見事に浮かびあがらせる。カノンでは教会で聴いているようにあちこちで音がとびかい、応唱する感じだ。
  バッハの反復記号はすべて守る。多くの場合退屈になってしまうものだが、岡田さんの演奏ではそういうことは起きない。かといって、装飾音をつけ加えたり、音色やアゴーギグを変化させたりはしない。「リピートのあとは意識して細かく変えているんですけど、あまり目立たないように、でも単色的にならないように気を配っています」。
  古楽器ブームだが、岡田さんはあくまでもモダンピアノでの解釈にこだわる。
  「バッハは当時としては非常に革新的なことをやっていた。古楽器での演奏もおもしろいと思うが、ハープシコードではなくクラヴィコードを好んでいたバッハのことだから、今のピアノがあったらきっと表現や音色に留意して作曲したにちがいない。もちろん、当時の演奏習慣や古典調律の響きを知っておくことは大切だが、すべてをふまえた上で、バッハが考えた以上の効果を考えて弾こうと思っている」

  『ゴルトベルク』もだが、その前に置かれたウェーベルンの『変奏曲』がまたすばらしかったのだ。非常に大きなスパンの中で必要最低限の音しか使われていない作品である。いきおい、奏者は数少ない音のエネルギーでその大きな空間を支えなければならない。
  「この組み合わせの意図は?」という質問に岡田さんは、「極端な対照をめざした」と答える。「同じ変奏曲でも変奏の仕方がまったく違います。共通点としてはどちらも恣意的なことをしていない点でしょうか」。
  演奏家に貼られたレッテルというのは恐ろしい。アーティストの資質にアポロン型とディオニュソス型があるとしたら、岡田さんは間違いなく前者にカテゴライズされよう。学生時代は「桐朋のポリーニ」とうたわれた。デビューしてからも正確無比な超絶技巧ばかり強調されたために、ずっとそれがつきまとっている。
  岡田さんがアルベニスの『イベリア』を全曲演奏するというと、一曲をノーミスで弾くだけでも大変な曲集なので、人々の興味は「ノーミス」で止まってしまう。その裏には、完璧な技巧の持ち主は「音楽が冷たい」という先入観が働いている。実際には、それぞれの楽曲のルーツの考証、民族舞曲ごとのリズムの違い、雰囲気の弾きわけ、声部のきわだたせ方などさまざまな工夫をしてそれが見事に結実しているというのに。
  一般的に”スペイン物”というと濃い情熱をふりまくというイメージがあるが、その情熱は決して個人的なものではなく、民族のよろこびや哀しみ、民族の血のさわぎ、民族の想いなのだ。岡田さんのアプローチはあくまでもテキストが喚起させた情感であり、個人的な感傷に堕することはない。ナニワブシの好きな日本人聴衆が「冷たい」「鉄仮面」と聴くなら、それは耳のほうを変える必要がある。というのは、岡田さんはバルセロナのコンクールで優勝するとともに当のスペイン音楽作品の演奏賞をかち
えているのだから。
  実は、岡田さんがスペイン物を弾くのはこのときが最初だった。アルベニスの『スペインの歌』から「セギディーリア」を弾いてみたところ、すっかり気に入ってしまった。
  スペイン音楽にはさまざまなリズムがある。二拍子系のハバネラ、サンブラ、三拍子系のファンダンゴ、ホタ、セギディーリャ、フラメンコのサパテアード、五拍子のソルツィーコ、ミックスのヘミオラとか。
  「民族的なリズムというのは自分でも不思議なぐらいなじみます」と岡田さんは言う。「とくにヘミオラは大好きで、変拍子も大好きなんです」。

  リズムのセンスは先天的なものらしい。岡田さんには『アンコール・セレクションズ』というごきげんなCDもあるが、そこでシマノフスキ「マズレク」と「クラコヴィアク」の絶妙な弾きわけを聴くことができる。
  「30歳ぐらいになっていたと思うが、ショパンのマズルカを弾いたときに、あのなまりのようなリズムがすっと身体にはいった。とくに研究しなくてもここはこのぐらい間をもたせるというのがわかった」
  岡田さんの演奏の秘密を探るために、インタビューの現場に、恩師の森安芳樹先生が校訂した『イベリア全4巻』の楽譜をもって行った。有名な曲が多い前半の1、2巻より後半のほうがずっとむずかしいらしい。「とりわけ大変なのは第3巻の『ラパピエス』や第4巻の『ヘレス』で、たとえばこのあたり・・・」と岡田さんは楽譜を指さす。
  初演者のブランシュ・セルバがいったんは「演奏不可能」と放り出してしまったテキトスである。両手の交替がひんぱんにおこなわれ、短い時間内に大きな跳躍がある。右手のパッセージには装飾がちりばめられ、左手の内声ではメロディが歌われる。その旋律をくっきり出しつつ不定期にはいってくるアクセントをきわだたせ、かつバスからの大胆な跳躍をミスすることなく弾きこなすだけでも大変なことだが、「その上にあの酒場のざわざわした感じまで出すのが至難のわざです。すべてはバランスの問題ですね」
  森安先生が亡くなった1998年に、森安版のテキストを使って全曲演奏された『イベリア』のライヴ録音は、それまでのディスクよりはるかに自在さを増した名盤だと思う。2007年の「ラ・フォル・ジュルネ」でも全曲演奏を聴いたが、リスクを冒してまで瞬間の即興に賭ける意気込みが伝わってきて、観客は文字どおり熱狂した。
  ステージで実際に岡田さんの演奏を拝見して、おもしろいことに気づいた。割合に椅子が低いのである。いっぽう、『イベリア』を初演したブランシュ・セルバは椅子が高いことで有名で、肩から腕を吊り下げるような奏法を開発し、技法の理論書も書いている。
  「左右の移動が多いときは高いほうが楽ではないですか?」ときいてみたら、椅子の高さは楽曲によっても多少異なるが、全体的にはロンドンでの師マリア・クルチオの助言によってだんだん低くなってきたという。
  「鍵盤に近いほうが掌から指先に向う感覚をとらえやすく、色彩を変えやすい。上からかぶせて弾くと単調になってしまう」
  こう語りながら、岡田さんは手を裏返し、実際に「掌から指先に向かう」神秘の感覚が流れていくさまを示してみせた(以下次号)

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