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執筆&インタビュー

連載「ドビュッシーとの散歩」/『音遊人』  2008年8月号


 第15回 金色の魚

 『映像第2集』の第3曲「金色の魚」のことを「金魚(きんぎょ)」と呼ぶ人がいる。
  デメ金、リュウ金、縁日の金魚すくい・・・・。すぐに破れる網。
  ちがいます! あくまでも金色の魚、日本的には緋鯉のことです。       
  ドビュッシーは東洋の美術品が大好きで、ずいぶん蒐めていたらしい。
  なかでも浮世絵には目がなかった。彼が友達にサイン入りで贈った安東広重の連作『東海道五十三次』(もちろんコピー)の一枚が残されている。書斎でストラヴィンスキーとともに撮影された写真の背景にも、喜多川歌麿の美人画や、交響詩『海』の表紙を飾った葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』がかすかに見える。
  暖炉の前でサティと談笑している写真の真ん中には金色に輝く仏像が鎮座ましましているが、これも彼のコレクション。
  机まわりにもこまごまとした品を置いていた。ドビュッシーが生まれた街サン=ジェルマン・アン・レイの記念館には、そんな美術品の数々が展示されている。
  今なら間違いなくメタボ判定されるような大きなお腹の中国人がひじ枕でねそべっ ているインク壺、竹製の筆立て。うるし塗りのシガレットケース。
  飛び出した瞼を半分閉じていかにも眠そうな蛙の置物は、代表作のオペラ『ペレアスとメリザンド』の登場人物にちなんで「アルケル」と呼ばれていた。
  そのうちのひとつが「南州」の落款がある蒔絵の箱で、黄金に輝く二匹の緋鯉が浮き彫りにされている。
  これが「金色の魚」のイメージ源だと言われている。
  それにしても、なんて生きのいい鯉たちだろう。流れが相当速いらしいことは、柳の枝のそよぎ、斜めにかしいだ水草からもわかる。しかし魚たちは背びれをぐっとそらし、果敢にその流れに立ち向かっていく。水しぶきがかかりそうなほどのスピード感だ。

  ドビュッシーの書いた音楽も、蒔絵の躍動感を見事にあらわしている。
  イメージ源は東洋だが、音楽にはあんまり東洋的なところはない。たしかにさまざまな組み合わせのペンタトニック(日本のわらべ歌などに見られる五音音階)は使われているが、同じ『映像第2集』の「しかも月は廃寺に落ちる」のように漂っているような感じはしない。
  それは、もっぱらリズムのせいだと思う。「しかも月は・・・」がゆったりした2拍子系なのに対して「金色の魚」は3拍子で、緋鯉たちは西洋ふうにとびはね、空中浮遊し、トンボ返りして着地する。
  ときどき、飛び魚のように水面からさっと飛び出し、波をとびこえとびこえすいすいと泳いでいく。
  この曲を生徒が弾いているのを聴くと、鯉ではなくクジラがばたばたしているような印象を受けることがある。
  ざわざわした水の感じをあらわす右手と左手のトレモロがうるさいからだろう。
  こういうときは、指先をうんと固くして、鍵盤にさわるかさわらないかぐらいの軽
いタッチで弾くとちょうどいい。上に出てくる「ハロー!」という呼びかけモティー
フは、手首をきかせて、水面を叩く鯉の尾びれのように勢いよく。
  私が一番好きなのは、「気まぐれに」と指定された中間部だ。
  中音部域にメロディがあらわれ、魚が元気にとびはねているようなアルペジオがそれを装飾する。そのアルペジオのしっぽがメロディのしっぽとしておさまる。するとまたトレロモロが渦をまき、キーを変えて、同じようなメロディ、装飾音が展開される。
  以降、どこか不安げなたたみかけ部分も、右手と左手が激しく打ち鳴らされるクライマックス部分も、大音響の中で透明感や繊細さを失わずに弾くのはなかなかむずかしい。
  「金色の魚」は、決してガラス鉢の中で優雅に泳ぐ鑑賞魚ではない。かといって、大海原に潮を吹き上げる哺乳類でもない。
  金魚以上、クジラ未満が「金色の魚」を演奏するポイントだろうか。

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