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第24回 二対七十五
音楽家なんて多かれ少なかれみんな変な人種だと思うが、私も買い物をするときはほんのちょっぴり変な人になる。
何でもスペアで買うのである。
セーターやTシャツは同じ型の色違い。パジャマや靴下も右に同じ。スカーフやショールは同じタイプの柄違いでワンセット。靴はまったく同じ型の同じ色のものを二点−−。
商品を並べてもらって鏡の前でいろいろ試した末に、どっちを選ぶのかなと思っている店員さんに「じゃ、これ二つとも」というときの快感!
同じものをスペアで買う心理というのは、いったいどういうものだろう? 自分で自分の行動をうまく分析できないだが、ひとつには私はとことん相対人間で、選択するというのがとてもかったるいのである。
AとBとどちらが似合うか、AかもしれないしBかもしれない、今Aだと思うのはお店の照明のせいかもしれない、また、今の気分のせいかもしれない、Aしか買わなかったらBの気分になったときに後悔するかもしれない、ええままよ、二つとも買っちまえ・・・てなところだろうか。
また、とりわけ気に入った品物の場合は、使って傷むのがいやなのでスペアを買っておくと安心する・・・という心理(もう片方はたいてい未来永劫使用しない)もある。
かくして私のクローゼットには、赤と青のカーディガンとか黒地と白地の花柄カットソーとか濃い茶とオフホワイトの帽子とかモスグリーンとパープルのマフラー、グレーとワインレッドのハーフブーツなどがぎっしり詰め込まれることになる。
これがブランドものだったらたちまち金欠病になってしまうところだが、私はリサイクルショップや量販店専科なのでせいぜいウン千円の出費ですむ。
ウン千円もままならないころは、選択するのがひと苦労だった。これぞと思った商品を並べさせてためつすがめつ、どちらを買おうかと考える。試着できるものは試着し、できないものは身体に当てて店員に意見をきく。
購入候補の商品だけでは不安になり、店にある同タイプのありとあらゆる商品を出してもらう。すべて袋から出してひろげ、ああでもない、こうでもない。
これが小一時間もつづくので店員はうんざりしている。
やっと買うべき商品が決まってお金を払い、店を出たとしても油断はならない。途中で引き返してもういっぽうの商品に替えてもらいたい衝動にかられるからである。
それも、さっき相手をしてくれた店員では恥ずかしいので、店の前をうろうろして別の店員が出てくるまで待っていたり。
私はまだダブルですむけれど、フランス近代の大作曲家モーリス・ラヴェルの場合はこれが六十通りだったり二十五通りだったりしたらしい。
本連載の第16回でご紹介したジャン・エシュノーズの最新作『ラヴェル』(みすず書房)には、こんなくだりがある。
「例えばワイシャツ六十枚、靴二十足、ネクタイ七十五本、パジャマ二十五着などが入っていて、部分から全体を想像するという原理にのっとれば、彼のワードローブの総体のイメージをここからつかむことができる」
一九二七年暮れ、五十二歳ではじめてカナダとアメリカに演奏旅行に出たラヴェルが「フランス号」(ややこしい)という豪華客船に持ち込んだ荷物の、ほんの一端らしい。
ル・アーヴル港から出帆し、ニューヨークに到着するのが二八年の一月四日。以降四ヶ月間、北アメリカ大陸二十五の都市を縦横無尽に行き来し、三日にあげず公演や講演会をこなし、歓迎レセプションや社交界の催しに出席し、ハリウッドではダグラス・フェアバンクスやチャーリー・チャップリンにも会うのだからむしろ当たり前かもしれないが。
『ラヴェル』は小説だが、作曲家の評伝や同時代人の証言などを参照しているので、ほぼ事実に近い(ちなみに、伝記ではパジャマ二十着、ネクタイ五十七本となっている)。
ラヴェルのおしゃれは有名で、彼がまだ存命中にパリ音楽院で学んでいた恩師安川加壽子先生からも、「ネクタイ七十五本」のエピソードはよくきかされていた。だから、小説の中で「フランスで最初にパステルカラーのワイシャツを着たのも彼だったし、ポロシャツ、パンツ、靴、靴下に至るまで、上から下まで白で揃えた格好をしたのも彼が最初だった」と書かれているのも本当のことだろう。
しかし、とにかくエシュノーズは小説家だから、その筆はときに伝記作者たちの慎み深さを振り捨て、ラヴェルの船室にまでしのびこむ。
「彼は服を脱ぎ、緑色系のパジャマの中からどれを着ようか迷って、結局ヴェロネーゼ・グリーンではなくエメラルド色のをただ個人的な好みで選び、夜用の二十五着の部屋着の中からそれを広げる」
この、だいたい同じだが微妙に色あいの違うパジャマを何着もそろえるというあたりが、ポイントだと思うのだ。
ラヴェルの楽譜の書き方は、とにかく細かい。普通の作曲家なら、「エスプレッシーヴォ(表情豊かに)」とか「テンポ・ルバート(速度を変化させて)」と書きつけてすませてしまうところも、ラヴェルは全部音符で表現しないと気がすまない。
たとえば、『夜のガスパール』の第一曲「オンディーヌ」。出だしは左手のメロディを右手が伴奏する形になっているが、その右手の音型があまりに複雑なので弾くだけでせいいっぱい、メロディを自由にのびちぢみさせている余裕がない。
ところがそれがラヴェルのねらい目で、長い旋律が出てくるとてれんこてれんこ歌いたがるピアニストを制御するために、わざと右手に舌を噛みそうな音型を書き込んだのだ。
クライマックスはその反対で、メロディのひとつひとつにつけられた細かい音符が、一音ごとに増えたり減ったりするのだ! 音符がたくさん書き込んであるところはメロディの音ものびるし、少し減らしたところはそれにつれてメロディもちぢむという仕掛けだ。
この細密画のような書き方が、エシュノーズの『ラヴェル』にはよくあらわれている。
出だしからして、やたら細かい。
「ラヴェルは湯船から出て、身体を乾かし、真珠色の上等なバスローブを羽織り、折り畳み式歯ブラシで歯を磨き、一本のそり残しもしないようにひげを剃り、分け目一つもないがしろにせず髪を撫で付け、夜のうちに触覚よろしく方向違いに伸びてしまった眉毛を抜く」
ラヴェルの作品を弾くピアニストたちもこんな手順をふむ。たとえば、組曲『鏡』の終曲「鐘の谷」。大小さまざまな鐘がひびきあっているような幽玄きわまる音楽だ。
冒頭、オクターヴで鳴らされる鐘の音ひとつ、またひとつ。中音域では四度の重ね合わせが鏡の反射のようにかすかなきらめきをもって反復される。その上で鐘がまたひとつ。エコーがまたひとつ。ときおり、中低音域で猫の哭き声のようなモティーフがしなだれかかる。そうした音色の出し入れを、完璧なテンポの制御と響きのコントロールのうちにおこなわなければならない。
決して極端な対比にならないように。ふたつの鐘の音はヴェロネーゼ・グリーンとエメラルド・グリーンぐらいの差異しかないように。右手の小指と人さし指、薬指と親指を交替させる鏡の反射モティーフは、ホワイトピンク系とピーコックグリーン系の真珠ほどにしかコントラストがつかないように。
ほとんど同じものを出しつつ微妙に色彩を変化させていく手法は、アメリカから戻った年の暮れに書かれた『ボレロ』で最高潮に達する。計百六十九回も「ダン、ダダダ、ダン、ダダダ、ダンダン」というリズムを反復させながらそのたびにソロ楽器を変え、アレンジを変えて徐々にテンションを高め、聴き手の生理に激烈な作用をおよぼす『ボレロ』は、世界的な成功をおさめた。
「ネクタイ七十五本」のラヴェルが、たった一度だけ「スペア」にこだわったことがある。アメリカ旅行から帰ったあと、戦争で右手を失ったピアニストから『左手のための協奏曲』を依頼されたラヴェルは、まったく自主的に、以前からスケッチしていた両手のための『協奏曲ト長調』を作曲しようと思いたつ。
エシュノーズの小説ではこんなふうに書かれている。
「今まで、彼は一曲ずつ、独立した曲しか創作したことがなかった。双子を当時に産み出したいと思うのはこれが初めてである」
しかし、この双子は二卵性双生児だ。協奏曲という形式こそ共通しているが、暗い情熱のうねり、激しい自己告白をのぞかせる『左手』と、アップテンポの舞曲に乗った軽やかでおしゃれな『ト長調』では、タキシードと水着ほどの対比がある。
そして、たぶんこの「極端な対比」がラヴェルの脳に負担をかけたのだ。
ともに一九三一年に完成された二つの協奏曲は、ラヴェル最後の大作となった。翌年には連作歌曲が書かれているが、作曲はそれでおしまい。残る五年間は、伝記作者たちの間では「失語症」とされているさまざまな症状との戦いの日々である。
エシュノーズの筆は、ちょっと残酷すぎるぐらいにラヴェルの崩壊の過程をあらわにしていく。待ち合わせ、演奏用のエナメル靴、荷物、時計、鍵、パスポート、音楽会の招待状などあらゆるものを忘れる。家政婦の名前も出てこない。サインができなくなる。水泳は得意だったのに泳げなくなる。そのうち、自分の曲も聞き分けられなくなる、等々。
心配した友人たちは脳外科医に相談し、彼に開頭手術を受けさせたが、失敗に終った。
最後までおしゃれだったラヴェルは、黒い礼服に白いベスト、ウィングカラーのシャツに白い蝶ネクタイ、明色の手袋といういでたちで天国に旅だったという。
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