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執筆&インタビュー

連載「6本指のゴルトベルク」/岩波『図書』 2007年10月号


  第16回 コンサートの魔
 
  アルゼンチンの名ピアニスト、マルタ・アルゲリッチが音楽総監督をつとめる別府音楽祭には、室内楽マラソンコンサートという出し物がある。
  直前まで何を弾くか決めたくないというアルゲリッチの要望を容れて、おおまかなプログラムと出演者が記されているだけで、どんな順番で演奏されるかは出たとこ勝負。演目もソロあり室内楽ありで、楽器の組み合わせもてんでばらばら。飛び入り参加もある。
  こんな自由さが受けて音楽祭でも一番の人気になっているのだが、二〇〇六年の第六回のときは、そこに一時間ぐらいのピアノ・リサイタルが組み込まれていた。
  演奏するのはアルゲリッチいち押しの少年ピアニスト、ゴメス・マンスール君。一九八九年ブエノスアイレス生まれというから、当時まだ十七歳。
  演奏予定曲目はリスト『バッハのカンタータによる変奏曲』、ショパンの練習曲二曲、ラフマニノフの前奏曲三曲、シューベルトの即興曲、スクリャービンの練習曲二曲・・・といったヴィルトゥオーゾ・プログラムである。
  どんなスリリングな演奏を披露してくれるのかとわくわくしながら待っていたのだが、さんざん待たされた挙げ句ステージに出てきたのは、当時八十四歳のイヴリー・ギトリス。よれよれの燕尾服にヴァイオリン一挺をぶらさげ、これから即興演奏をしますと言って弾きはじめたのが、なんと「きらきら星」! いろいろなキーにお散歩に行ったりリズムを変えたり装飾を加えたり、でもあんまりうまくない「即興」が延々とつづいた。
  あとでわかったのだが、マンスール君が出番の直前に楽屋の扉を固く締めて出てこなくなってしまい、アルゲリッチや関係者が説得している間、ギトリスおじさんは時間かせぎをたのまれたのである。結局少年ピアニストは最後まで出てこなくて、ギトリスは、日本フィルのコンサートマスター、木野雅之とのデュオでも予定にない演目を増やしたりして、大いに穴埋めに協力していた。
  アルゲリッチ自身も、ときどき楽屋の扉を固く締めて出てこないときがあるというから、マンスール君は故郷の大先輩を見習ったというべきか。

  コンサート前の緊張というのは、やった人でなければわからないし、また、やった人でもなかなか伝えられないようなたぐいのものだ。というのは、本番前はこの世の終わりのような気分になるのに、ステージが終わったとたん、すっかり忘れてしまうからだ。
  また、きれいに忘れることができなければ、次にまたくり返そうという気持ちにはとてもなれないだろう。
  私の場合、極端に過敏になる。たとえば腕をどこかに軽くぶつけたりすると、普段は何でもないのに大きなあざとなってひろがる。そういうふうに感じるのではなく、実際にあざができてしまうのだ。肩出しドレスではみっともないので、ドーランを塗って隠す。
  ドレスを着ると、決まってトイレに行きたくなる。着る前に用心して行っておいたにもかかわらず、もう一度行きたくなる。お腹が必ずゆるむから、整腸剤を飲みまくる。あっ、胃薬も。
  袖からこっそり舞台を覗くと、巨大な黒いピアノの肌がゴキブリのようにつやつやと光って見える。生まれてこの方ピアノなんて一度も弾いたことがないような気分になる。あわてて楽譜を見るのだが、何千回、何万回と弾いてきた曲なのに、初めて読むテキストのようによそよそしい面構えをしている。
  でも、私がさして上がり症ではない証拠には、出番前でもモノが食べられるし、胃がでんぐり返ったり吐いたりしたことはない。お酒を飲まなくても舞台に出ていかれる。
  ジャン・エシュノーズ『ピアノ・ソロ』(谷昌親訳・集英社)の主人公マックス・デルマルクは大変だ。彼は五十歳にならんとするベテラン・ピアニストで、音楽院の先生をしなくてもじゅうぶん食べていける売れっ子で、少なくとも百万人の人に知られる有名人だが、プレイエル・ホールの出番前はマネージャーのベルニーに付き添われながら蒼い顔してモンソー公園をふらつき、胃液がなくなるほど吐き、バーを見かけるたびにアルコールをひっかけたいという衝動にかられ、ついに開始時刻が来るとホールの楽屋口に連行され、舞台の袖からベルニーに背中をどんと押され、ついうっかりステージに飛び出してしまう。
  「そこには恐るべきスタインウェイがあり、人をむさぼり食わんばかりに白い鍵盤を広げていて、象牙とエナメルを存分に使って噛み砕くこの怪物じみた歯は、八つ裂きにしようと獲物を待ち受けている」 
  まるでコロッセオの闘技場だ。このときマックスが弾くことになっていたのはショパンの『協奏曲第二番』だから、ステージにはピアノだけではなくオーケストラの団員が待ちかまえていて、マックスがピアノの前に座ると指揮者は指揮棒をふりあげる。

  協奏曲というのは、ことに古典の協奏曲は長い前奏があり、オケが弾いている間、ソリストはずっと待っていなければならない。その間にどんな恐怖が襲うだろうと思われがちだが、実際には恐怖はモンソー公園に置き去りにされている。もう音楽が始まっているのだ。知らず知らずのうちにその情緒に耳と心を浸していく。自然に身体がゆれる。
  「そして、彼の出番となり、音の流れに入っていくとすぐに、すべてがいい方向にむかう。数小節後には恐怖もやわらぎ、そして、最初のミスタッチで消し飛んだ」
  勘違いしないでください。「消し飛んだ」のは、「恐怖のやわらぎ」ではなく、 「恐怖そのもの」である。不思議なことに、一回ミスタッチすると、気分はとても楽になる。これはたぶん、ピアニストたちが「すべての音をあるがままに完璧に弾かねばならぬ」という完璧病にとりつかれているからだろう。
  一回ミスしてしまえばすでに完璧ではないわけだから、ピアニストは呪縛から解き 放たれ、自由になる。マックスとて例外ではない。第三楽章の三分の二あたりで犯したもう一回のミスを除けば演奏は大成功に終わり、花束であふれた楽屋に戻ってきたマックスはすっかり恐怖を忘れている。
  しかし、家に帰り、シャワーを浴びてベッドに横になると、二回のミスタッチが大きな後悔となって押し寄せてくる。深刻なものではなく、たちの悪いミスでもなく、だいいち、自分以外は誰も気づかないようなささいなものだったにもかかわらず。
  そして、一週間後にはまたガヴォーホールでリサイタルがあり、ベルニーはマックスをモンソー公園に連れ出し、ところが今度は雨が降っており、マックスはこんなに寒くては指が関節炎を起こしてダメになる、とだだをこね、ベルニーの家でビールを一杯飲ませてくれ、と懇願する。
  ベルニーが躊躇していると、コートのポケットから蒸留酒の小ビンをとりだし、もしお前がビールをおごってくれないんなら、もっと強い酒をのんじまうぞ、とおどかす。そして、実際に彼はそれを半分以上飲んでしまったのだ。
  ふらふらになったマックスは、いつものようにベルニーにステージに押し出される。アルコールでかすんだ視界の中では、鍵盤はホンモノの上顎と下顎になり、本気で彼を噛み砕き、ばらばらにしてしまおうと待ちかまえているように見えた。聴衆がものすごい拍手喝采で迎えたので、正気を失っていたマックスはもうリサイタルが終わったものと勘違いし、深々と一礼して戻りかけ、再びベルニーに背中を押される。おやまぁ。
  こんな状態でもヤナーチェクのソナタ『一九〇五年十月一日』をバッチリ弾いて帰ってくるマックスはプロ中のプロ、たしかに百万人に知られたピアニストだけのことはある。でも、いつもいつもこれでは長生きしないぞ。

  ところで、マックス・デルマルクはどのみち長生きしないのである。物語の最初から、彼は不慮の死に見舞われることが告げられている。プレイエルの協奏曲から二十二日後、ガヴォーの二週間後、慈善演奏会に出演した彼は、帰宅途中で強盗に襲われ、刺殺される。
  そして、ここが『ピアノ・ソロ』のおもしろいところなのだが、物語はマックスが死んでからのほうが長くつづくのだ。
  死んだ人は病院を兼ねた管理センターに送られ、死亡の原因になった部位を手術され、ついで整形手術もほどこされる。マックスの担当はベリアールという男で、彼はこんなふうに告げる。死者には庭園部と都市部という、二つの行き先がある。決定は書類審査によってなされ、マックスは都市部に回されることになった。都市というのはパリのことで、要するに娑婆に戻るだけのことだ。
  戻るときに条件がある。身分・名前を変えること。生きていたときの職業に決してつかないこと、家族や友人、関係者にも名乗りでないこと。
  マックスはポール・サルヴァドールという人物になり、マジャンタ大通りのホテル内に住居を与えられ、ホテルの地下のバーでバーテンダーとして働きはじめる。アルコール依存症をすっかり克服したマックスは、毎日バーに出勤し、午前一時半ごろレジの勘定をすませ、掃除もすませて部屋にもどり、新しいカクテルの作り方を練習したりする平穏な毎日を送り、やがてホテルのフロント係と親しい仲になり、日曜日には恋人の連れ子とモンソー公園を散歩し、だんだんそんな生活にも飽きてきたところ
で、ベルニーに再会する。
  マックスはすっかり姿を変えていたのに、ベルニーには彼だとわかったのだ。ガヴォーホールでのリサイタル後、スポンサーと喧嘩したベルニーはクラシック界から足を洗い、ショービジネスの世界に鞍替えしていた。
  新聞を読まない(マネージャーなのに!?)ベルニーは、マックスが死んだことも知らなかった。そして、彼に新しい仕事を世話する。モンパルナス南のアレジア付近にあるナイトバーでピアノを弾くことだ。
  ポール・サルヴァドールは国際的なピアニストではなかったので、マックスはオーディションを受けるために店に行き、「ローラ」「ライザ」「セリア」とたてつづけに弾き、ついでにショパンの「ポロネーズ」も二曲ほど弾く。店主は大いに気に入って彼を採用する。
  さて、ここで素朴な疑問である。ナイトバーでジャズを弾きはじめるマックスは、規則正しい健康的な生活をつづけていくことができるのだろうか? もう演奏前に吐いたりアルコールを飲んだり、演奏後はミスタッチを気に病んだりしなくなるだろうか? 
  もし死んでも娑婆に戻って音楽がやれて、しかもアルコール依存症ともプレッシャーとおさらばできるとわかったら、ミュージシャンたちみんな長生きしたくなくなるかも。

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