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| 連載「我が偏愛のピアニスト」/「ムジカノーヴァ」 2008年3月号 |
第9回 花房晴美さん
花房晴美さんは2007年10月と11月、デビュー30周年として、実に18年半ぶりとなる自主リサイタルを二夜にわたって開いた。
18年半ぶりということは、逆を返せば、その間、依頼による協奏曲やコンサートだけで活動をつづけてきたということになる。次々に新人が出てくる日本のピアノ界で、これはきわめて異例ではないだろうか。
私も拝聴したのだが、一夜ずつ、手書きの封書に招待チケットを入れ、ていねいなコメントを添えて送ってくださる。
「大変じゃなかったですか?」と伺ったら、勿論依頼の仕事も一生懸命とりくむが、
今回は自主なのですべてに責任をとらなければならず、演奏外でも気を使ったとのこと。プログラムも、いつもは事務所に任せておくのだが、記念公演だからといろいろな方にコメントを寄せていただき、その人選や写真の選定、ご招待状の差配など、同時期にまったなしでくるので直前まで手をとられた。
やっぱり・・・。自主リサイタルを開くピアニストは1に雑用、2に雑用、3、4がなくて5に練習・・・というぐらい事務仕事に追われるのだ。
花房さんがいちばん困惑したのは、プレイガイドでのチケットの販売方法だったという。新幹線のチケットのように、窓口がひとつのコンピューターで管理され、どの列車ではどの座席があいているか一目瞭然ならいいのだが、日本のプレイガイドはそれぞれシステムが違い、互換性がない。事務所でもどこに出しているかはわかるが、どこでどのあたりの席を扱い、どのぐらい売れているかまでは把握できない。
そして、ひとつのプレイガイドで売り切れると「完売」と出てしまう。それを見た人はあきらめてしまうかもしれないが、実際には他のプレイガイドのチケットは関係ないし、事務所扱いだって、アーティスト扱いだってあるのだ。
プレイガイドで「完売」のコンサートに行ってみると、けっこう空席があるというケースにぶちあたるが、要するにそういうことらしい。
そして、人気ピアニストの花房さんのことだから、プレイガイドでも事務所扱いでも「完売」してしまい、アーティスト扱いのチケット求めて申し込みが殺到したのだった。
さて、30周年記念のプログラムは、一夜、二夜合わせてひとつの作品になるように考えぬかれたものだった。モーツァルトで開始し、ショパンの『葬送ソナタ』とラヴェルの『夜のガスパール』を置いた第一夜。リストの『ソナタ』をメインに、スクリャービンの練習曲とガーシュウィン『ラプソディ・イン・ブルー』を配した第二夜。一夜目の二番目にはショパンの、二夜目の冒頭にはシューベルトの即興曲が置かれているのに目がいく。 当初、事務所から連続公演を提案されたとき、花房さんは漠然
と三夜ぶんのプログラムを考えたという。しかし、ここ数年原因不明の腰痛に悩まされていたこともあり、あえて二夜におさめることにした。
プログラミングには苦労したが、あれこれ考えるのはとても楽しかった、と花房さんは語る。30周年記念ということは、当然20代でも30代でもない。本来は、得意なレパートリーを乗せようと考えるだろう。得意なものとは「簡単に弾ける」という意味ではなく、自分が長いキャリアの中できわめてきた、音楽だけではなく人間の生きざまとして蓄積してきたものを存分に発揮できる曲のことなのだ。
演奏というのは人間性がまる裸になるものだし、レヴェルが上がれば上がるほどよりそうなるものだが、その中でも、自分で自信のある作品を選ぶとしたら、ドビュッシーの前奏曲集を入れただろう、と花房さんは言う。でも、自分はよきにつけ、悪しきにつきチャレンジャーで冒険型。あえて、体力的に今がリミットだと思うリストの『ソナタ』をメインに、今まで弾いてこなかったものをまじえたプログラムを組んだ。
とりわけシューベルトは初挑戦。ひとつひとつ独立しているショパンの即興曲と、四曲でひとつの世界を形作っているシューベルトの即興曲。意図的に配置したものではなかったが、弾いてみたらそれぞれの違いがわかっておもしろかったという。
聴いているほうもおもしろかったし、この位置にシューベルトがはいっていてとても効果的だったと思う。華麗で外向的なピアニストというイメージがある花房さんの、まったく違った一面、ひたむきで真摯な気持ちが滲み出ていたのだ。
しかし、基本的に花房さんは、奔放な演奏で聴き手を翻弄する人だと思う。 とりわけ 『夜のガスパール』 の 「スカルボ」 では、猫のようにしなやかな動作で目にもとまらぬパッセージをつぎつぎにくり出す。
きわめて即興的なアプローチで、そのステージでの花房さんの意識の流れ、想念のうねりとか、体内リズムとか、その瞬間でしかつかまえられないものがビンビン伝わってくる。イメージが発展しすぎてしまって破綻が起きることもあるのだが、あくまでもそのときに彼女が感じている音楽が優先される。
予定調和が嫌いな花房さんにとって、ステージで演奏するというのは、練習したも のをそのまま発表することではない。ホールによって残響も楽器も違うし、その日の気候も湿度も違う。お客さまの年齢層によっても、雰囲気がまったく違う。そのときに返ってくる呼吸を感じながら音楽の”間”をつくっていくのが花房さんのやり方だ。
だから、そのときどきで指づかいも変わるし、ペダリングも変わってしまう。といっても、楽譜にスラーが書いてあるところを切って弾くようなことはないけれど、表現については、たぶん、ステージによってずいぶん変わると思う。意識的に変えているつもりはないのだが、その場でこうだと感じたらそれをやってしまうタイプなんです、と花房さんはたたみかけるように話す。
プログラムで音楽評論家・藤田由之さんの解説を読んだら、花房さんはジャズが大好きで、「できればジャズピアニストになりたい位の気持ちもあった」と書かれている。美人でスレンダーでファッショナブルな花房さんがジャズを弾いたら、また全然違うファンが増えるだろうなぁ。
何に関してもそのときの「ノリ」がほしい、と花房さんは語る。そういえば、マルタ・アルゲリッチもやはりジャズが好きで、即興演奏さえできたらそちらに行きたかった、と語っている映像があるが、花房さんも大いに共感するとのこと。
そういう意味で、2夜めの最後に置かれた『ラプソディ・イン・ブルー』が30周年記念演奏会の白眉だったと思う。わざとリズムをずらしておいて、舌なめずりするように装飾音を弾く。お客さんをじらしてニコニコ笑う(実際に笑っているように見えた)。そのサジ加減がぞくぞくするように魅力的なのだ。
本当は、同じことをクラシックでもやりたいのだ、と花房さんは言う。ここまでやるかという、許されるぎりぎりまで。作曲家が聴いたら目をむいて怒るかもしれないけれど・・・(以下次号)。 |
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