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| 新連載「我が偏愛のピアニスト」/「ムジカノーヴァ」 2008年2月号 |
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第8回 小川典子さん(後編)
1987年6月末、リーズ国際コンクールを受けるための奨学金を得てロンドンに渡った小川典子さんをつき動かしていたのは、音楽的飢餓感だった。小学校3年生からほぼ野放しのため、からからに乾いたスポンジのような状態だったという。
指導したキャプラン先生は、ブゾーニの愛弟子から往年のヴィルトゥオジティを、ミケランジェリからは希有のタッチを、ドイツの先生からは厳密な読譜を、ハンガリーの先生からは演奏の実践面を学んだ方で、彼女の飢えを満たす最適の先生だったといえよう。
最初のレッスンは、シューマン『幻想曲』。第1楽章の3分の1ほど、曲の背景からフレージングからひとつひとつの音の意味まで2時間半かけて指導された小川さんは、やっと信頼する師にめぐりあい、踏み込んだ指導を受けられる喜びにうちふるえ、目が「ハートマーク」になってしまったという。コンクールまでたった2ヶ月半しかなかったが、3日にあげずレッスンに通い、わからないことがあると朝からおしかけて、準備を重ねた。
リーズに出発する前、小川さんは奨学金を預けておいた銀行に行き、40ポンド(約1万円)をおろした。すると、窓口の人が心配そうに「あと7ポンドしか残っていない」と言う。でも、若いっておそろしい、と小川さんは回想する。往復のチケットはある。コンクールでは1次に受かれば宿舎を保証してくれる。アイム・OK!と明るく宣言した。
リーズのコンクールでは地元の人々がボランティアとして働いており、きめ細やかな支援で受験生の心をほぐしてくれる。本来とても緊張する質だという小川さんだが、家庭的な雰囲気ですっかり気が楽になり、第1次予選は無事通過した。第2次予選も、キャプラン先生の特訓を受けたシューマンの『幻想曲』がびっくりするほどよく弾けて通過。
第3次予選では室内楽もあり、モーツルァトのヴァイオリン・ソナタを弾くことになっていたのだが、かんじんのヴァイオリニストが食事から戻ってこない。あわてて捜しに行き、まだ口をもぐもぐさせている奏者をひっぱってきたり、そんなこんなで上がっているひまもなく、リストのソナタやドビュッシーの前奏曲、自国の作品として武満徹『雨の樹素描?』を弾いて見事合格。
本選ではさすがに緊張したのと、指揮者のサイモン・ラトルがプロコフィエフ『協奏曲第3番』の第3楽章で、打ち合わせとはまるで違うテンポで振ってきたので少し失敗してしまい、3位にとどまったが、小川さんの演奏は聴衆の絶大な指示を得た。
イギリスの聴衆のよいところは全員が自分なりの美意識をもっていて、他者の意見に左右されないところだという。新聞に批評が出ても、その批評じたいを批評してしまう。聴衆に愛された小川さんは、予選の段階ですでに演奏の依頼をたくさん受けた。とりわけBBC放送の出演依頼がいくつかはいってきたことで、活動がつながっていく。
「まるで浮草というか、たんぽぽの種がふわっとおりてきて、それが根付いてどんどんひろがっていく。それを受け入れるイギリス人のふところの深さ、そしてたまたま私のピアノがどこかで彼らの共感を得ることができたのは幸運だった」と小川さんは語る。
しかし、もちろん運だけで片づけられることではない。小川さんは、笑顔がチャーミングだし、マーメイドラインのステージドレス姿もとてもセクシーで女性的な魅力にあふれているが、音楽的にはむしろ男前だ。多くの女性ピアニストが時系列に沿って「道なりに」音楽を解釈するのに対して、小川さんはリストの『ソナタ』など規模の大きな曲で非常に建設的なアプローチをする。そこのところがまずよかったのではないかと思う。
日本国際コン当時の「大型ピアニスト」のイメージとは違うが、武満徹やドビュッシーで見せる繊細な表現と音色の多彩な変化も小川さんの持ち味のひとつだ。リーズで弾いた武満徹は評判がよく、テレビでも放映されたので、以降武満を弾く学生が増えた。
小川さんは、晩年の武満さんと面識があった。八ヶ岳のホールで『雨の樹素描?』を弾いたときは、ステージに出る直前に主催者から武満さんがいらしていると知らされたという。客席を見たらおでこだけが目にはいり、「ああ、写真とおんなじだー」と思ったり。その後ふしめふしめで聴いていただき、「君の音はボクの曲に合っているよね」と言われたこともある。
子供時代は外国志向が強かった小川さんだが、イギリスで活動するうち、日本人であることをポジティヴに考えられるようになり、選曲にも演奏にも日本的な特質を活かしたいと思うようになる。当時、日本人ピアニストによる武満徹の録音はあまりなかったので、デモテープをつくり、レコード会社に売り込んだ。企画はいいが売れないだろうと言われ、なかなかうまくいかなかったが、北欧最大のレーベルBISが引き受けてくれた。
武満作品を収録したのが1997年、レコーディング中に次の企画を考えるように言われ、『滝廉太郎から坂本龍一まで』という邦人作品によるアルバムをリリース。さらに、欧米の作曲家が東洋にヒントを得た作品を集めたアルバム『ジャポニズム』をリリースし、軌道に乗ったところでライフワークとなるドビュッシー作品集にとりくむ。
実は、小川さんは子供のころからドビュッシーが大好きだったが、師の井口愛子先生から「あんなものは指の弱い人が弾くのよ!」と言われ、隠れて練習していたという。
今にして思えばそれが正解だった。
ドビュッシーを弾くためには脱力が不可避だが、ふにゃふにゃの指で力だけ抜いても楽器はきちんと鳴らない。小川さんのドビュッシーはタッチがクリアーで音の粒が見事にそろっている。だから、ペダルを踏むと美しい響きが立ちのぼり、その中にテクスチュアがはっきりと浮かびあがるのだ。BISの音づくりは独特で、小川さんがこだわるさまざまな層の弾きわけを実に鮮やかに蘇らせる。
アルバムはいずれも完成度の高い演奏だが、私がとりわけ感心したのは『おもちゃ箱』だ。可愛い挿絵のはいった子供向けバレエ音楽だが、音楽的には決してわかりやすい内容ではない。しかし小川さんは、すべての音の意味を正確にとらえ、あるべきところにあるべき音色で配置し、時空の中で見事な彫琢をほどこしている。この手腕には舌を巻いた。
メモリアルとなる2008年2月19日のリサイタルは、過去・現在・未来の小川さんを象徴している。リストの『ソナタ』は「ここぞ!」というときに力になってくれた曲。ドビュッシー『12の練習曲』は、CDのリリースとともに、現在の自分を一番よく表現したいという気持ちから選んだ。そして、ロンドン在住の新進作曲家藤倉大に委嘱した『リターニング』は未来の小川さん。藤倉大は小川さんのためにピア
ノ協奏曲を作曲中で、2009年にはイギリスと日本で初演されることになっている。
「日本人アイデンティティが強いので、これからも、世界の先端を行く日本人の曲を弾いていきたい。初演と言う素晴らしい機会の快感は、クセになります」
2008年は、まだ一般的には「大型ピアニスト」としてとらえられている小川典子の多彩な魅力と、大きな可能性を示す年になるだろう。 |
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