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| 連載「ドビュッシーとの散歩」/『音遊人』 2007年12月号 |
第11回 月の光
ドビュッシーのピアノ曲でいちばん有名なものといったら、『ベルガマスク組曲』の第三曲「月の光」ではないだろうか。甘美な曲なので、単独でもよく演奏される。
甘美ではあるが、決して甘ったるい内容ではない。ゆるやかにらせんを描きながらどこまでも下降していくメロディには、はかなげな、滅びの美学のようなものが漂っている。
もとになったと思われるのは、フランス象徴派の詩人ヴェルレーヌの「月の光」だ。
お前の心はけざやかな景色のようだ、そこに
見なれぬ仮面(ルビ・マスク)して仮装舞踏(ルビ・ベルガマスク)のかえるさを、
歌いさざめいて人ら行くけれど
彼らの心とてさして陽気ではないらしい。(後略・堀口大学訳)
歌われているのは仮装舞踏会に出席した人々だろうか、それとも、月明かりの道を次の興行地に向かう旅役者たちだろうか。
「月の光」は『雅びなる宴』という詩集の一篇である。「雅びなる宴」とは、十八世紀の宮廷でおこなわれていた貴族たちの優雅な宴のことで、運河に贅を凝らした舟を浮かべ、イタリア喜劇の役者たちがさまざまな余興で座をもりあげた。
イタリア喜劇は十六世紀に発生した即興仮面劇で、役者にはベルガモ出身者が多かった。なまりがひどく、ただしゃべるだけで笑いがとれたという。「ベルガモの」というような意味の「ベルガマスク」と、「仮面」のフランス語である「マスク」をひっかけて韻をふんだのが、ヴェルレーヌの「月の光」というわけだ。
『雅びなる宴』が刊行されたころフランスは第二帝政時代だったが、フランス革命以降も政情は不安定で、文人たちは、フランスがもっとも光かがやいていた太陽王ルイ十四世の時代に思いをはせていた。ヴェルレーヌの『雅びなる宴』にも、そんなアンシャンレジームへの憧れの念がこめられている。
ドビュッシーは若いころ『雅びなる宴』からいろいろな詩を選んで歌曲を書いている。 「マンドリン」「パントマイム」「あやつり人形」。そこには、背中に大きなこぶをつけたスカラムッツァや大きな鼻のプルチネッラ、ボローニャ生まれのお医者さんドットーレなど、イタリア喜劇のキャラクターがたくさん登場する。
役者たちは仮面をつけ、それぞれのキャラクターに扮してパントマイムを演じたし、マンドリンは彼らがセレナーデを歌うときにつまびいた楽器だ。
イタリア喜劇の代表的な道化といったら、ピエロとアルルカンだろう。二人のキャラクターは対照的だ。すばしこい道化のアルルカンは市松模様の衣装でこん棒をもち、トンボを切るのが得意だし、のろまな道化のピエロは白塗りの顔にだぶだぶの衣装を着け、いつもアルルカンにぽかぽかぶたれている。ピエロはパンタロンの娘コロンビーヌに恋こがれているのだが、いつもアルルカンにとられてしまう。
ドビュッシーがバンヴィルの詩につけた歌曲もある。「ピエロ」の前奏には、「月は青いピエロさん」ではじまる童謡「月の光」のメロディが出てくる。「セレナーデ」では、アルルカンがコロンビーヌの部屋の窓辺でギターをかきならしながらセレナーデを歌う。
やはりバンヴィルの詩による「雅びなる宴」は、広大な庭園で開かれる宴の情景を歌った優美な作品だ。このメロディは、のちにピアノ連弾の『小組曲』の「メヌエット」に転用された。やはり『小組曲』の「行列」というタイトルは、ヴェルレーヌのほうの『雅びなる宴』の一篇からとられたものだろう。
やんごとなき貴婦人がお供をひきつれて宮殿の石の階段をしずしずとのぼっていく。赤い着物をつけた小姓は、手にかかげた晴れ着のすそを必要以上に持ち上げて中を覗こうとするし、金襴の衣装を着た猿は、高いところから彼女の襟元を覗こうとする、というようなユーモラスな詩だ。
こんな情景を思い浮かべて弾いたら、とてもおしゃれな演奏になるにちがいない。 |
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