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執筆&インタビュー

新連載「我が偏愛のピアニスト」/「ムジカノーヴァ」 2007年8月号


 第2回 坂上博子さん(後半)

 坂上博子さんが安川加壽子先生に師事したのは、大学院でのたった七ヶ月間でしかない。入学した時点で、すでにスイス政府給費留学生試験にパスしていた。西洋音楽の生まれたところで勉強してみたいという思いが強く、大学院も、留学生試験を受ける資格を得るための手段にすぎなかった。
  しかし、実際に安川先生のレッスンを受けてみると「留学したくなくなってしまった」という。言葉すくなにひとこと、ふたことおっしゃるだけなのだが、積み重ねの中から出てきた言葉には重みがある。鉛筆をとって楽譜にさっと線を弾いてくださると、それが、懸案の「歌うということ」につながるフレージングへのさりげない注意だったりする。そのころ先生はもうリウマチの悪化で演奏活動を引退、指は変形していたのだが、あるパッセージを横で弾いてくださると、手の落としかたとか、非常に参考になった。
  安川先生に説得されて大学院を休学し、ルツェルン音楽院に留学したが、師事した先生はほめるばかりであまり勉強にならない。安川先生に「ぬるま湯のようです」と手紙を書いたら、ニキタ・マガロフが講師をつとめる夏季講習会に推薦状を書いてくださった。
  そこでマガロフと意気投合し、ルツェルンに籍を置きつつジュネーヴに通う。一九八七年夏、ソリストのディプロムを取得し、帰国の準備をしていたころ、マガロフに、これからどうするの? ときかれた。「子供でも教えます」と言ったら、国際コンクールで優勝すればヨーロッパに残れるかもしれない、とクララ・ハスキルの受験をすすめられた。
  このコンクール、現在ではずいぶん重量級になったが、当時は課題曲がハスキルのレパートリーに限られていたので、リストの練習曲も『レジェレッツァ』だったり、二次予選ではシューベルトを必ず弾かなければならなかったり、音楽的な課題が多かった。
  本選は協奏曲を四曲用意し、二次予選の合格者発表のときに審査員が指定したものを弾くことになっている。坂上さんはモーツァルトのK476が当たってしまった。
  −−そのころのレパートリーはショパンなどロマン派が中心で、モーツァルトは本当には何もわからないで弾いていたと思う。

  コンクールで優勝すると、二〜三年はヨーロッパ各地から演奏依頼が殺到する。ハスキル・コン優勝者ということから、依頼は圧倒的にモーツァルトが多かった。協奏曲は十何曲弾いた。ショパンとシューマン、ベートーヴェンの一〜四番を弾く機会もあった。リサイタルでも必ずモーツァルトを弾き、そのあとは得意のロマン派で埋めた。
  ショパンはそれこそ「山のように弾いた」し、シューベルトの即興曲やソナタ、シューマンの『アベッグ変奏曲』『パピヨン』『子供の情景』、ベートーヴェンのソナタも『一〇九』や『告別』はじめたくさん弾いた。その他、ドビュッシー『映像』『ピアノのために』『喜びの島』。スクリャービン『24の前奏曲』『ソナタ第三番』『同第五番』など。 東フィルのヨーロッパ・ツアーのソリストとして来日し、日本ではソニー音楽芸術振興会の「今日の演奏」シリーズでデビューした。
  「ステージをたくさんこなしていたころは、本当にこわいもの知らずだった」と坂上さんは言う。演奏の醍醐味を知り、またこわさも知ったのは、ルドルフ・ゼルキンの代役でチューリヒでのステージに立ったときだ。
  −−ゼルキンの名前だからチケットは完売。ステージの上までお客さんがはいっている。もう、あがるなんてもんじゃなくて、どっどっどうしよう、と。これを切り抜けるためにはやるしかないというかそういう状態で弾いたら、あぁ、ピアノ弾くってこういうことなんだと、はじめてちょっとつかめた。
  そのときに得た「霊感がおりてくる」体験を坂上さんは忘れることができなかった。客席も、ただよく弾けた、うまく弾けただけのときとはまったく違う湧きかたをする。
  いつもそんな体験をすることなんてありえないし、マニュアルなんてないのだが、ついいつもそのような状態で弾きたいと思ってしまう。霊感はステージの上にしかないのに、練習中も、できたら霊感を得ておきたい、安心したいと思って修羅場になる。
  「演奏するというのは、とくにモーツァルトを弾いているときは魚をつかまえているみたいなもので、つかまえたと思ったらいないんですよ」
  ラドゥー・ルプーは波のある人だが、霊感がおりてくることがある。ベートーヴェンの四番を弾いたときがそうだった。もう、ピアノを弾いていない。音楽を弾いている。
  −−そのときすごく思った。そういうふうにピアノを弾きたいというのが理想です。
  その理想は、安川記念会で弾いたショパン『舟歌』でも、スイスでリリースしたアルバムのベートーヴェン『ソナタ作品三十一−三』でもかなえられていると思う。

  二〇〇六年はモーツァルト・イヤーだったので協奏曲の依頼が相次いだが、今年は室内楽の活動が多い。ここでも坂上さんがこだわるのは、霊感を共有できる仲間との共演だ。二、三小節いっしょに弾いているとそれはすぐにわかる。カルミナ弦楽四重奏団とは一九九〇年来のつきあい。今年はリートの伴奏もはじめるつもりだ。
  一八八七年、クララ・ハスキルを制した年からルツェルン音楽院の教授に就任し、後進の指導にもあたっている。ソリストのコースとともに、室内楽とソロを両方履修できるコースがあり、「日本人留学生も大歓迎」という。
  子供のころから「ピアノのプロになる」と言っていた坂上さんにとって、ステージとは依頼されるものだ。日本でのステージも話があれば喜んで受けるが、もし自分で主催するとなればリサイタルではなくサロンを開きたいという。いつもは自分が仕事を依頼されるほうなので、サロンを主催して自分と同じものを探しているお客さまに来ていただき、ともに喜びをわかちあうことができれば。
  −−つらいこともあるけれど、音楽は自分の生きていく中身だから、ねっ。これがなかったら、自分は何をやったらいいんでしょうという感じ。そういうものに出会うことができたのはとてもありがたいと思う。そういう意味では本当に幸せです。
  坂上さんの成熟の過程を日本でも追うことができたら私たちもどんなに幸せだろうか。

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