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新連載「我が偏愛のピアニスト」/「ムジカノーヴァ」 2007年7月号

 第1回 坂上博子さん(前半)

 坂上博子さんの名を知ったのは、彼女が芸大の修士課程にすすんだ一九八三年である。私のほうはとっくに修士を出て留学し、東京デビューもすませてから、思うところあって博士課程を受験し、安川加壽子先生のクラスに再入学した。ちょうどそのころ坂上さんが、同じ安川クラスにはいってきたのである。
  その年の秋、日本音楽コンクールに出場した坂上さんは、二位入賞を果たしている。審査員でもあり指導教官でもある安川先生は、一位ではなかったことに−−公平な先生にしては珍しく−−不満をもらしていらした。新聞か雑誌で読んだ先生の坂上さんに対するコメントは、「音楽がほとばしり出るような演奏」。これは今でもおぼえている。
  もうひとつおぼえていることがある。坂上さんが本選で弾いたのはショパンの『ソナタ第三番』。ところで、ちょうど同じころ、私も同じ曲をレッスンで弾いた。弾き終えると、安川先生はなんにもいわず深ーいため息をつかれた。
  坂上さんは大学院を半年で中退してスイスに留学。ニキタ・マガロフに師事し、八七年にクララ・ハスキルコンクールで優勝した。過去の優秀者にはリチャード・グード(一九七三年)、ミシェル・ダルベルト(一九七五年)など錚々たる名前が並び、内田光子も二位に入賞している。ルーマニアの名ピアニスト、クララ・ハスキルの名を冠しているだけあって音楽性を重視するというのでヨーロッパでは評価が高い。以降、スイスをはじめヨーロッパ各地で活発な活動をおこなっているが、日本ではめっ
たに聴くチャンスがない。
  二〇〇六年七月十二日、安川先生の十回めのお命日に安川記念会第七回コンサートをプロデュースすることになったとき、真っ先に頭に浮かんだのが坂上さんだった。出演を快諾していただき、ショパンの『夜想曲作品37−2』と『舟歌』を弾いてくださった。
  東京文化会館小ホールのステージに坂上さんがあらわれ、ピアノを弾きはじめたとき、楽器も演奏者の姿も消えてしまい、音楽でできた円筒がゆるゆると時空に立ちのぼってくるような不思議な感覚におそわれた。演奏しているのがショパン後期の作品だから、その円筒からあちこちしなやかな蔓が発生し、その蔓からまた勝手に枝わかれたりして発展していくのだが、収拾つかないほどにのびひろがったとみせかけておいて、いつのまにかまたするすると円筒に吸収され、美しいまとまりをみせて終わる。
  そのまとまりようが見事で、静かな曲なのに聴衆は熱狂し、ブラボーがとびかった。

  四国の松山で育った坂上さんがピアノをはじめるきっかけは、安川先生だったという。周囲とまざらない変わった子供で、情操教育がわりにと両親が音楽教室に通わせたが、家には足踏みオルガンしかなかった。六歳のころ、松山で安川加壽子ピアノ・リサイタルを聴いたところ、美しいドレス姿にすっかり魅せられ、ピアノを習いたいと言い出した。
  −−ピアニストという言葉を知らなくて、ピアノのプロになる、と言っていたんです。
  とにかくいたずら好きでアマノジャクでいささか手の焼けるエネルギーいっぱいの少女が、ピアノでも勉強すれば少しはおとなしくなるかもしれないと、両親はアップライトのピアノを買うことにした。といっても、小学生時代のおけいこぶりはそれほど専門的なものではなかった。先生にいただいた課題はちっとも練習せず、ソナタアルバムを買ってもらうと、一ページめから最後のページまで片っぱしから初見で弾いてしまう。その中にはベートーヴェンの『熱情ソナタ』などもはいっていて、先生をあきれさせた。
  中学生になったとき、この野性児は東京に出て音大の先生のきびしい指導を受けることになる。「指はまわる」と言われたが、すべて基本にもどされた。ハノンは音階、バッハはインヴェンションの二声からやりなおしになったが、「プロ」になるためにと必死で勉強した。驚くべきことに、坂上さんは芸大の附属高校を受験するまで、チェルニーは『三十番』をマスターしただけだったのだという。ゆっくりとじっくりと完璧に弾けるようになるまで叩き込まれた。余計な力がはいらないようにといつも腕を支えながら指先を鍛えてくださった、あの訓練がなかったら今の自分はない、と先生に感謝する。逆を返せば、『チェルニー三十番』が完璧に弾ければそれで充分ということもできるかもしれない。
  無事芸高に入学したが、周囲は幼時からコンクール歴を重ねてきたようなエリートばかりで、「びっくりした。こういう人たちがくるところなんだと思った」。
  当時の坂上さんは「うるさく速く弾く」のが大好きだった。それまであまり技巧的なものを弾いたことがなかったので、ピアニスティックに豊かな効果が出せる作品に惹かれたという。校内演奏会ではリストの『スペイン狂詩曲』を演奏して大きな成果をあげる。
  芸大入学後も、一年生の試験ではラヴェル『夜のガスパール』を弾いたが、次第にヴィルトゥオーゾ系に疑問を感じるようになる。三年生の学内演奏会ではショパン『ソナタ第三番』、卒業演奏では、やはりショパン『二十四の前奏曲』を選んだ。気持ちは音楽表現のほうに向いていたが、つきぬけ方がわからなかった。
  −−作品の背景や作曲家の意図などを学んでも、その時点ではそれを活かせる実力はなかった。もっと手工業的な部分、たとえば「音楽的に弾く」とか「歌って弾く」というのは具体的にどういうことなのか、「音が出たあとの空気を弾く」など精神性に関する説明はなかなか得られなかったので、暗黒状態を泳いでいるような気分だった。
  そんな坂上さんが稀にみる音楽の名手になる転機は、大学院入学後に訪れる。(以下次号)

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