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| 連載「6本指のゴルトベルク」/岩波『図書2007年6月号 |
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第12回 バッハのアナグラム
仰天するような話をきいた。ショパン・コンクールにも優勝した著名なピアニスト。年間の演奏活動を五十回程度におさえているためブーニンのような人気はないが、正統的な大家風の演奏で専門家筋の評判が高く、毎年のように来日している。
しかし、どうもこのところ評判が芳しくない。完璧主義が行きすぎてあちこちでトラブルを起こしているというのだ。
そのピアニストは、指になじんだ楽器でなければ自分の芸術を十全に実現することはできないと、来日のたびに自前のピアノを持ってくる。しかし、日本とヨーロッパでは気候やホール環境に大きな差があり、なかなか思うような音が鳴ってくれないらしい。
雨がしとしとふるコンサート当日、こんな楽器の状態では演奏できない・・・とステージの袖にしがみついてなかなか出ていかず、主宰者をあわてさせたとか。
そこまでは、まぁよくある話である。往年の名ピアニスト、ベネデッティ=ミケランジェリも自分の楽器とともに世界をまわっていて、温度・湿度・調律・調整・ホールの音響等々、すべての条件が整わないと演奏会をキャンセルするので有名だった。
しかしそのピアニストは、楽器が一台だけでは不安になり、とうとう二台もってくるようになった。といっても、さすがに全体を運ばせるのはむずかしいので、中身だけを二台ぶんもってきて、会場にそなえつけのピアノにとりつけるのだという。
そんなことできるの? といぶかる向きには、ピアノの機構からご説明しなければならない。ピアノという楽器は、巨大な共鳴箱である本体とアクションや鍵盤をふくめたメカの部分に分かれる。会場で調律師が仕事するのを見ていると、鍵盤の下にあるネジをはずし、蓋もはずし、鍵盤とアクションがつながった部分を前に引き出して調整している。
ピアニストが指先に感じる「タッチ」は、弦を叩くハンマーに巻いてあるフェルトの固さやわらかさ、ハンマーを動かすアクションの深さ浅さ、敏捷性にかかってくるから、一応その部分だけあれば「ピアノをもってきた」ことになるのかもしれない。でも、メカだけ運んでも本体との相性があるし、ハンマーが叩く弦じたいは本体に張ってあるわけだし、だいいち、気候との相性の問題がなくなるわけではないし・・・。
問題はだからそういうことにあるのではなく、そこまでの完璧性を求めるピアニスト気質というか、あるいは、そこまでのわがままが通用する立場にのぼりつめたとき、なんでもありになってしまう怖さとか、そんなところだと思う。
山之口洋『オルガニスト』(新潮社)に登場する世界的なオルガン奏者、ラインベルガー教授はこうつぶやく。
「覚えていた方がよい。芸術の道で己を高めたいという真摯な気持ちにこそ、悪魔がつけいるということを。悪魔の道は神の道のすぐ隣を通っているんだ」
ミステリーとクラシックの相性がいいのは、こうした究極のシチュエーションをお膳立てしてくれるからだろう。
『オルガニスト』の物語は、アルゼンチンの音楽雑誌の記者が、ハンス・ライニヒという幻のオルガニストを発掘するところから始まる。ブエノスアイレスの教会でライニヒの演奏を聴いた編集者は、すっかり魅せられてしまい、是非雑誌で紹介したいと思ったが、ライニヒなどという名前はこれまできいたこともなければ出自も不明。オルガニスト自身に取材しようとしても、気むずかし屋で快く応じようとしない。
ライニヒには無断でミニ・ディスクに演奏を録音した編集者は、知り合いのヴァイオリニスト、ニュルンベルク音大の教授スティーヴン・シャンクに聴かせる。
一聴したシャンクは、同僚のテオ・ヴェルナーにディスクを渡す。
「録音は悪いが、演奏自体は恐るべきものだ。実に精確無比なんだが、それでいて感情豊かだ。なんというか・・・僕らの楽器でもあるだろ。技巧が完璧であってはじめて表現できる感情が」
自宅に帰ってくだんのディスクを聴いたテオは、ある想いにとらわれ、音大時代懇意にしていたオルガン科のラインベルガー教授にメールを打ち、意見をききたいと頼む。
約束の日、ニュルンベルクのマイスタージンガー・ハレにテオとシャンクを迎えた教授は、彼らとともにミニ・ディスクに録音されたライニヒの演奏を聴いた。
曲は、バッハのコラール『主イエス・キリスト、われ汝に呼ばわる』。演奏は一見単純だった。基本的なストップを使うのみで奇をてらったところはない。テンポは遅めだが、最後の部分でわずかに速くなり、神の国の到来を希求する感情が堰を切って流れだす。
ところで、「ストップ」って何だろう? 私もよく知らないので、『オルガニスト』でわかったことを簡単に書いてみよう。
オルガンの場合、ピアノの鍵盤とアクションに当たる部分は演奏台といい、弦に当たるのはパイプである。ピアニストがタッチのヴァリエーションで音色を変化させるところ、オルガニストは演奏台にとりつけたストップを操作することによって呼応するパイプをさまざまに組み合わせ、自分が求める音色を出す。これをレジストレーションという。
バッハはレジストレーションに関する指示をほとんど残さなかったが、バッハの権威であるラインベルガー教授は、詳細なテキスト研究を通じて作曲家の「音楽的感情」を考察した結果、バッハその人のレジストレーションを再現するに至ったという設定になっている。
コラールにつづいて、ときどきCMなどで流される「タラリー、タラタラター」という『トッカータとフーガ』が演奏され、最後にフランス十八世紀の宮廷作曲家クープランの『小教区のオルガン・ミサ』が流れてきた。
テオは、テープに聞き入る教授の額から鼻の付け根にかけて斜めに走るしわが気になって仕方なかった。粘土にヘラで切り込んだようなしわが、表情を読みにくくさせていた。
演奏についてどう思われますか? ときかれた教授は、こう答える。
「美しく、快いが・・・・同時に不快でもある」
重ねて説明を求められた教授は、さらにこう言う。
「演奏は完璧だし、曲も、一つ一つの音も快い・・・だが、快い音の一つ一つに、眼に見えない不快の萌芽がカプセルになってつぶつぶと胚胎しているような・・・」
その後、ライニヒの演奏を聴き込んだ『メリスマ』の記者は、すでに彼のまわりに、ヨーロッパのどの都市にもひけをとらないファン層が形成されつつあると告げ、十五年の記者歴にかけても今世紀に何人とは現れない非凡なオルガニストだと思う、素人の勇み足に終わらないためにも、是非ラインベルガー教授の意見がききたいと手紙を寄こす。
ところが、教授の態度は煮え切らない。自分も専門家であるからには中途半端な段階で見苦しい見解を公表したくない。もっと長いスパンでとらえる必要がある。
新たなテープが届けられるたびにライニヒの才能に対する印象は高まっていったが、教授は表だったアクションを起こそうとせず、天才をスクープしようと意気込んでいた『メリスマ』誌の記者も次第に関心を失っていく。
そうこうしているうちに、ニュルンベルク郊外の教会で慈善演奏会を開いた教授が、バッハの『プレリュードとフーガハ短調』を演奏中に殺されてしまったのである。しかも、彼しか再現できないはずのバッハのレジストレーションを組み合わせたときはじめて起動するような爆弾をしかけられて。
犯人はオルガンに深く通じた人物であるにちがいない! 同じ教会堂で過去に『プレリュードとフーガハ短調』を弾いたオルガニストの録音を手わけして聴いた捜査チームは、教授殺害の二ヶ月前にライニヒが客演で演奏していたことをつきとめる。
捜査本部から依頼されてライニヒの演奏を解析した音響技師は、おどろくべき事実を発見する。音符の長さが異様なまでに正確なのである。普通の演奏家は、同じ四分音符でも五十分の一秒、ときには二十分の一秒ほどのばらつきが生じているが、ライニヒは千分の一秒か二千分の一秒単位で一致する。さらにありえないことには、だんだん速度を遅くする部分で、となりあう音符はどれも完全に同じ割合で長くなっていて、一万分の三秒の狂いしかないのだ。
いったいそれはどういうことなのかと噛みつかれた技師は、二つの場合が考えられる、と答える。オルガンじたいに自動演奏が仕掛けられているか、もしくは、ライニヒ自身がなんらかの意味で「機械」であるか・・・。
ここでラインベルガー教授が感じた「眼に見えない不快の萌芽」がにわかに迫ってくるのだが、あとの推理は本を読んでいただくことにして、物語の最後で重要な役割を果たしているバッハのアナグラムについてちょっとご紹介しておこう。
ドイツ語で小川を意味する「バッハ」はBACHと綴る。これをドイツ音名になおすと「シ♭、ラ、ド、シ」という組み合わせになる。この連なりをモティーフにして、いろいろな国や時代の作曲家が音楽を書いている。
フランス六人組のプーランクは、いかめしいバッハの名前をしゃれたワルツに仕立てていて、これがとても楽しい。このピアノ曲は、かの名ピアニスト、ホロヴィッツに献呈された。ちょっとグロテスクな手法で知られたイタリア表現主義のマリピエロは、バッハの名前で「架空のフーガ」をつくっている。ロシア五人組のリムスキー・コルサコフはバッハのモティーフを主題に六つの変奏曲を書いた。
しかし、一番有名なのは、何といってもリストの『BACHのモティーフによる前奏曲とフーガ』だろう。ピアノの低い音域で「シ♭ラドシ」が勇ましく鳴らされ、ぐるぐる回転したあと、リスト特有のオクターヴの連続とか分散和音で華麗にパラフレーズされる。
ふー。こんな曲を完璧に弾きこなすためには、それこそ筋肉増強剤でも注射するしかないか、という思いも頭をかすめるが、くわばら、くわばら、ラインベルガー教授も言うように、「悪魔の道は神の道のすぐ隣を通って」いるのだから。
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