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第10回 音楽家は悪人?
玉川上水で情死した太宰が、「井伏さんは悪人です」と書き残したことを知った井伏鱒二が、「ばか言え、小説家なんだから悪人でないわけがない」と返した話は有名だ。といっても、あのまんまる顔で悪事(?)をなしている井伏の姿を想像するのはかなり困難だが、作家にしても画家にしても、女性遍歴が激しかったり変態だったりギャンブル好きだったりヤクにはまったり、そんなに聖人君子ではないのは折り込みずみだろう。
ところが、ことクラシックになると、偉大な音楽家は「聖人君子」でなければならぬ、「聖人君子」ではない場合も無理矢理「聖人君子」に仕立てねばならぬ、という不文律のようなものを感じてしまうのはなぜだろう? 何しろ「楽聖ベートーヴェン」だもんなぁ。だからこそ、モーツァルトがかなりの困ったちゃんだったことを暴露した映画『アマデウス』があそこまでのインパクトを与えることができたわけだ。
音楽家のなかでは、指揮者が一番「聖人君子」度が低い。というより、ヤな奴だったことをばらしてもよいことになっているらしい。ルーペルト・シェトレの『指揮台の神々』(喜多尾道冬訳・音楽之友社)や『舞台裏の神々』(同)には、その手のエピソードが満載だ。
音楽以外の場ではシャイで母性本能をくすぐるタイプだったフルトヴェングラーは、上流階級の婦人たちのあとおしでステップアップしていった。彼がベルリン・フィルの首席指揮者に就任したとき、ブルーノ・ワルターは「フルトヴェングラーはこの地位を得ようとして、天国や地獄やその他あらゆるところを駆けずりまわった」とため息をついたとか。
クレンペラーは無類の女好きで、魅力的な女性に出会うたびに言い寄る癖があり、警察沙汰になることもまれではなかった。彼はまた口が悪く、プーランクが自作の協奏曲を弾くのを指揮したとき、コンサートマスターに大声で「シャイセ(ドイツ語でくそったれの意味)はフランス語で何と言うのかね?」とたずねて顰蹙を買った。
なかでも伝記などで美化されすぎているのはカール・ベームだという。教授然とした風貌でとくに日本で人気があったベームは、実は金品大好き人間だった。コンサートが終わると、団員たちが下がったあとも一人で拍手に応じる。彼が腕時計に目がないことを知っている聴衆は、握手してもらいたいいっしんで、腕時計を餌に差し出す。味をしめたベームは、腕時計をはめていない手とは握手しなくなってしまったというが、ホントかね。
バランス感覚にすぐれたベームは、カラヤンやフルトヴェングラーのように表立った行動をとることはなかったが、第三帝国時代のドイツでは熱狂的にナチスを支持し、戦争が終わると支持を撤回し、風見鶏のようにくるくる政治的態度を変えたという。どうも、シェトレはベームのことがあまり好きではないらしい。
しかし、いくらフルトヴェングラーがたちまわるのがうまくてもクレンペラーが女好きでも、ベームが風見鶏でも、ジョン・ガードナー『マエストロ』(後藤安彦訳・創元推理文庫)に登場する老指揮者ルイス・パッサウにはかなうまい。
ガードナー作品ではおなじみの元イギリス諜報部員、ハービー・クルーガーからパッサウの来し方来歴をきかされた女スパイのパッキーは、思わずこう叫ぶ。
「わたしはこれまでずっと音楽家というものが−−優れた音楽家というものは−−それぞれ気質の違いはあっても、基本的にすばらしい人たちばかりだと思ってたわ」
ドイツ系ユダヤ人の靴職人の家に生まれたパッサウは、家族とともにニューヨークにわたり、マンハッタンのスラム街では、のちに「ゆすりのカルロ・ジアッレ」と恐れられた暴力団の幹部の息子と友達になり、彼の手引きでアル・カポネの子分になり、カルロの従妹で歌姫のソフィーとねんごろになったが、カポネが密輸した十万ドル相当のウィスキーを奪って逃走し、身分を隠して指揮の勉強をしていたところに、ハリウッド女優のリタに見初められて逆玉の輿に乗り、麻薬におぼれる妻を見殺しにして莫大な遺産を相続し、高名な指揮者に一服盛って代役としてデビューし、カリスマ性のある指揮者として活躍しつつ、戦争中はナチスに協力し、戦後はCIAのスパイとしてロシアの機密を流し、九十歳を目前にした今、ハービー・クルーガーの事情聴取を受けている。
これだけのことを知っても、指揮者としてのパッサウに対するハービーの尊敬は変わらない。ハービーにとってパッサウは偉大なマエストロたちの最後の一人で、自分で組織した最高のオーケストラを率い、最高のオペラを編成し、最高の演奏をする。八十九歳になってもまだ大きなコンサートを何度も開き、レコーディングしている。パッサウのマーラーはバースタインやショルティのものより感動的で、霊感を呼びさます力を持っている。
幼いパッサウが音楽に目ざめるくだりは、やはり靴職人の息子だったトスカニーニの逸話にも似て美しく、感動的だ。ユダヤ教の教典を学ぶ講習に出席したあと、悪名高いヘスター通りをぶらついていたパッサウは、ごろつきの少年たちにおそわれ、袋叩きに逢う。
彼を救ったのは、通りに住んでいたユダヤ人の音楽家アーロン・ハモヴィッチで、部屋には大型のピアノがあり、楽譜がところせましと積まれていた。
少年のケガの手当てをしたアーロンは、ピアノを珍しげに眺めているパッサウを見て、バッハの『平均律第一巻』のプレリュードとフーガを弾いてくれる。生まれてはじめてピアノの音を聴いたパッサウは、すっかり魅せられてしまった。
「それはわたしが全生涯でまだ一度も聴いたこともないような音楽だった。顔やあばらがずきずき傷んでいたが、きれいに止まってしまい、そして−−なんといったらいいかな?−−冷たいまったく氷のように冷たい感覚が襲ってきたんだ。その感覚は背骨を伝ってずっとしたまで伝わっていくと、今度は逆に項のあたりまで上がってきた。たぶんわたしの髪の毛は逆立っていたと思う」
パッサウはバッハの名もモーツァルトの名も知らなかったが、アーロンの前で、今聴いたばかりの曲を、きれいな声で正確に、まったく誤りなしに歌ってみせる(と本には書いてあるが、グノーの『アヴェ・マリア』の伴奏で有名なプレリュードはともかく、多声部にわたるフーガをどうやって全部同時に歌うことができたのだろう?)。
驚いたアーロンは、今度はもっと複雑な曲を弾いて少年を試す。しかし、少年は二十世紀に生まれたモーツァルトだった。聴いたそばからラララとダダダで音符のひとつひとつを正確無比に再現する。しまいには、弾いたこともないピアノの前に座り、おぼえたばかりのバッハを片手でたどたどしく、しかし正確に弾くことすらできた。
その日こそ、「わたしがある才能を持っていることを神がわたしに知らしめたもうた特別の日だったんだ。それも並の才能ではなく、桁はずれな才能だ」とパッサウは語る。
「わたしはけっきょくその才能を自分の手で握り、そしてそれを使ったんだ。それを使って世界をわたし自身のためにこじ開け、それを使って誘惑し、人を殺し、人のものを盗んだ。(中略)わたしはそれを使って世界をわがものにしたんだよ。ハーブ。そしてやがてわたしをとんでもない怪物にしてしまったのもその才能だ」
その才能が、あのアル・カポネをも籠絡したのだ。カルロに連れて行かれたナイトクラブではじめてジャズというものを聴いたパッサウは、それまで一度もセッションしたことがないくせに、即座にジャズ風にアレンジしたバッハを弾いてみせた。カポネの求めに応じてピアノを弾いたときは、ヴェルディの『アイーダ』前奏曲でイタリア・オペラ好きの親分に涙を流させ、ブルースやハード・ブギで完全にノックアウトしてしまった。
本書の圧巻は、ハービーを前にしたパッサウが、想像上のオーケストラでラヴェルの『ボレロ』を演奏しながら、「プローベ(練習)」の極意を解説してみせるシーンだ。
自分では一音も発することなく百人以上の奏者をあやつり、意のままに従わせる神秘の業には、誰もが不思議な思いをいだくだろう。
最初は、ごくごく技術的なところからはじまる。動悸を打っているようなボレロのリズムをばらばらに分解したパッサウは、それを細かく分析する。ついで、目に見えない弦楽器や管・打楽器の奏者たちに語りかけ、それぞれのパーツを分奏させてからひとつにまとめる。これは、実際に指揮者たちがプローベで実践していることだ。ハービーの耳には、マエストロが魔術の力で呼びよせた架空のオーケストラの音が聞こえてくるようだった。
「『これは心臓の鼓動だ』ある箇所で彼はそういった。『これは血液が動脈に押しこ聖まれるところだ。きみたちはこの曲のなかにこめられている全生命力をここに注ぎこまなければならない。いや、だめだ。わたしはもっと騒々しく異教的に演奏してほしいのだ。彼が人類に生命を吹きこんだときに、神の耳に聞こえたであろうように演奏したいのだ。音のレンガで建築するようなものなんだ・・・・」
音楽とは、人間の知性や感性がないまぜになった意識の流れに音高とリズムと響きを与え、時空のなかで再構築したものだ。当然、そこには正ばかりではなく負の感情、善も悪も生も死も、形而上的なものも形而下的な要素もはいりこんでくる。
指揮者は、テキストを詳細に調べて作曲家が何を聴衆に聴かせたがっているかを解釈し、楽団員に伝える。繊細な言語感覚をもっていたカルロス・クライバーは、いつも絶妙な表現を思いついた。『オテロ』のある部分で、団員が正確に演奏しすぎていると感じたクライバーは、こう言ったという。このオペラを演奏するには、少々「おかしく」なることが必要不可欠です。私を憎んで、憎んで、憎みまくり、それを私にぶつけてください!
パッサウのもの言いはもっと直截的だ。『ボレロ』の最後で、彼はこうしめくくる。
「クライマックスは巨大で一つの集合音なのだ。それは性の絶頂だ。作品全体をセックスだと思ってほしい。奔騰し、あらゆる器官に影響を与え、世界を呑み込む巨大なオルガズムなのだ・・・」
やっぱり、聖人君子では無理ですね。
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