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連載「ドビュッシーとの散歩」/『音遊人』 2007年4月号


  第7回 雪の上の足跡
                                      
  国際コンクールの審査でカザフスタンに行ったら、雪が降っていた。
  ホテルのドアの外に出ると、審査員の誰もがおーっと首をすくめる空気の冷たさだ。
  コートの襟を立て、毛皮の帽子をかぶり、手袋をはめた手をポケットにつっこみ、ブーツの先で踏むときゅっ、きゅっと片栗粉のような音がする雪の上を歩く。
  さっと風が吹いて雪が舞った。
  誰かが「雪は踊っている・・・」とつぶやき、小さな笑い声が起こった。
  ドビュッシーの作品には、雪をテーマにしたものが案外多い。
  「雪は踊っている」は、ピアノのための組曲『子供の領分』の中におさめられている。右手一本でミ、ファ、ソ、ラ・・・という並びの音が軽やかなスタッカートで弾かれたあと、ちょうど半拍遅れで同じ音形の左手がはいってくる。
  この部分の弾き方は、ピアニストによっていろいろだ。ミケランジェリは凍りついてしまったようなぶつ切れの雪を弾く。フランソワはふわふわと羽根のように軽い雪を弾く。
  しかし、同じ音形がピエール・ルイスの詩による歌曲集『ビリティスの歌』の第三曲「ナイアッドの墓」の伴奏部分に出てくるときは、重くるしいベタ雪のように弾かなければならない。
  ピエール・ルイスの原詩は、古代ギリシャの女詩人の一代記を短い詩の連作であらわすという形をとっている。第一部「パンフィリーの牧歌」は、清純な少女時代のビリティスだ。牧場で家畜の世話をしていたビリティスは、羊飼いの美青年リュカスに恋をする。母親の目を盗んで逢いびきを重ねたビリティスは、ある日、妊娠していることに気づく。

  「ナイアッドの墓」は、ビリティスが赤子をあやす「子守唄」のあとに置かれている。
   「霧氷に覆われた森に沿って歩いていた。
    口にかかったわたしの前髪には、細かな氷片が花を咲かせ、
    泥まじりの雪にまみれて、サンダルは重たかった。
    あの人がこう聞いた。『何を探しているんだい?』
    −−『半獣神の足跡をたどっているの。二股に分かれた
    小さな足跡が、真っ白なマントの穴みたいに交互に続いているわ』
    あの人はこう言った。『半獣神は死んでしまったよ』」
  恋の終わりを象徴するような冷え冷えした風景だ。

  ドビュッシーは、『前奏曲集第一巻』の第六曲「雪の上の足跡」を作曲するとき、この詩の一節を念頭に置いていたにちがいない。
  レ、ミ、ファという並びを、三連音符とタイを組み合わせた不思議なリズムでつないだモティーフの下には、こんなふうに書かれている。
  「このリズムは、哀しく凍てついた景色を響きの音価であらわしたものである」 
  『子供の領分』の「雪は踊っている」も、決して牧歌的な曲ではない。作曲のヒントになったのは、ドビュッシーが親しくしていた詩人ポール・ジャン・トゥーレの小説『ポール氏』の一節だという。
  雪にふりこめられた家の中で、窓に額をくっつけて座り、ガラスの曇りを指で拭きながらじっと降りしきる雪を見ている少女。
  よくある情景だが、実はこの少女は、かどかわされて恐ろしい城に幽閉され、救い出されたばかりなのだ。
  中間部で同じ音が三連音符で重ねられるモティーフを、私は「雪女の叫び」と読んでいる。とすれば、鍵盤の下の方でくぐもったように弾かれるメロディは雪男の歌だろうか?
  私のこんな連想があながちピントはずれでもない証拠には、サスペンスドラマでなどヒロインが追い詰められるシーンになったとき、「雪は踊っている」に似た音形がさまざまにアレンジされて使われていることからもわかるだろう。

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