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第4回 風変わりなラヴィーヌ将軍
ドビュッシーは、大衆演劇が大好きだった。ボヘミアン時代、ロートレックも常連だったというロワイヤル通りのカフェ「レノルズ」に通いつめ、「新サーカス」に出演している道化コンビ、フッティとショコラのショーに興じた。
「バンジョーに合わせたジーグの踊り、叫び声、刹那的な陽気さ、高い靴音(中略)。テーブルがひっくりかえり、鏡が粉々に飛び散り、女の子たちはわめく・・・大狂宴だ!」
あるとき、フッティはいつも片隅のテーブルにいるドビュッシーに気づき、「ムッシューは芸術家ですか?」ときいた。
「あなたと同様に」と返すドビュッシー。
「私はただのクラウンですよ」とフッティは言う。「足げりの目に逢ったり、ピルエット(片足旋回)をしてみせたり」
「私たち音楽家もときどき和声でピルエットをやりますよ。そして、聴衆や批評家から足げりにされます」と、ドビュッシー皮肉たっぷりに答える。
一九世紀末には新進の前衛作曲家だったドビュッシーは、不協和音をたくさん使ったので、新作を書くたびに「音楽の国の検閲官」に追いまわされていたのである。
ドビュッシーは、シャンゼリゼ大通りの「マリニー劇場」にも行ったらしい。というのは、ここの支配人から、「ラヴィーヌ将軍 生涯兵役についていた人物」という出し物の伴奏音楽を依頼されているからだ。
一九一〇年に「マリニー劇場」でデビューしたラヴィーヌ将軍はアメリカ生まれの喜劇手品師で、もともと背が高かったが、つんつるてんの軍服を着てぎくしゃく踊るために、二メートル七十五センチぐらいあるような印象を与えたという。
ドビュッシーとも親しかった画家リュック=アルベール・モローの描くラヴィーヌ将軍のデッサンをみると、ナポレオンのような帽子をかぶり、肩章のついた軍服を着て腰からサーベルを吊るした芸人は、ニコニコ笑いながら三つの玉でお手玉をやっている。
ドビュッシーは、ショーの伴奏音楽こそ書かなかったが、『前奏曲集第二巻』の第六曲「風変わりなラヴィーヌ将軍」でとびきりの描写を残している。
耳をつんざく連打音で始まるイントロ部分。三本のトランペットが人をこばかにしたような調子っぱずれの三和音を奏でる。主部では、コントラバスのピツィカートを思わせる低音のモティーフが、関節がはずれたようなラヴィーヌの動きを模倣する。
「風変わりな」にあたるフランス語は「エキセントリック」だが、作曲したドビュッシー自身も相当にエキセントリックな人物だったらしい。
彼を見た人は、とりあえずものすごい「おでこ」にびっくりしたという。作家のレオン・ドーデは、彼に初めて会ったときの印象を「インドシナの犬のような額をして、隣人を怖けづかせ、燃える火のような眼、幾らか鼻づまりの声をして・・・」と回想する。
最初の妻リリーは、夫の外見を「中肉中背でとても茶色く、顔はほとんどオリーヴ色に近く、髪はちぢれ、額はコブのように突き出して」と描写している。性格的には「とても内気で、基本的にネクラで、突然陽気にはじけることもあったが、長続きしなかった」。
周囲の証言を総合しても、内向的、人みしり、無口、うたぐり深い、傷つきやすい、冷淡、臆病、躁鬱気質・・・等々、少なくとも友達にしたくなるようなタイプではない。
しかしいっぽうで、リムスキー・コルサコフ『シェーラザード』の初演後にドビュッシーと会食した作家のコレットは、すっかり音楽に魅せられたドビュッシーが、唇をぶんぶんいわせてオーボエの動機を探したり、ピアノの蓋を叩いてティンパニの効果を出したり、コントラバスのピツィカートを真似しようとしてワインの栓をガラス窓にこすりつけたりする様子を目撃している。
まさに一人ジャズバンド状態。『シェーラザード』というよりは口じゃみせん版『風変わりなラヴィーヌ将軍』みたいなエピソードだ。
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