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執筆&インタビュー

評論「進化するフジ子ヘミング」/「すばる」  2006年8月号


 フジ子ヘミングを追いかけてみようと思ったきっかけは、二〇〇六年一月に刊行された篠田節子の『讃歌』(朝日新聞社)だった。クラシック音楽とメディアとのかかわりを、いかにも篠田らしく直球勝負で扱った書である。
  ドキュメンタリーや報道番組を手がけている東経映像のディレクター、小野は、中目黒の教会で柳原園子というヴィオラ奏者の演奏を聴く。クラシックをまったく知らない小野にコンサートの情報を与えたのは、クラシック専門のマイナーレーベル「ミカエルレコード」の社長、熊谷だった。
  ヴァイオリンより少し大きめの楽器を下げて出てきた出てきた柳原園子は、五十歳近い年齢で、髪をシニヨンに結い、地味な灰色のワンピースを着ている。宮崎アニメの主題歌をいくつかと映画やコマーシャルで耳なじみのよいクラシックの小品を弾いたあと、シューベルトの『アルペジオーネ・ソナタ』が流れる。子供たちの話し声が止み、わずか数小節で自分が泣いていることに、小野は気づいた。
  前代未聞の体験をした小野は、『アルペジオーネ・ソナタ』のCDを買ったり、日本のトップクラスのヴィオラ奏者のコンサートに行ってみたりもしたが、同じような感動は得られない。
  柳原園子はもともとヴァイオリニストで、十四歳のとき学生コンクールで優勝し、ついでベルンの国際コンクールで一位なしの二位にはいり、天才と謳われた。その後アメリカのハースト音楽院に留学し、名伯楽ディミトリウス女史に師事したが、厳しい競争に耐えきれず大量の睡眠薬を飲んで自殺自殺未遂を起こす。後遺症で寝たきりの生活を送ったあと、佐藤清一郎という大物指揮者兼弦楽器教育家のアドヴァイスでヴィオラに転向し、二十数年ぶりに復活した。といっても、佐藤門下の奏者たちによって結成されたアンサンブル・オブ・サトウに加わることはなく、教会や公民館で親しみやすい音楽を弾き、口コミでファンを増やしていった。

  周辺のモデルはわりとはっきりしている。大物指揮者の佐藤は小澤征爾を育てた斉藤秀雄、ハースト音楽院の教師は五島みどりの師ドロシー・ディレイ。
  柳原園子には複数の人物が重ね合わされているのだろう。天才ヴァイオリニストで、やはり自殺未遂で再起不能となった山本茂夫もはいっているし、わが恩師安川加壽子の影もちらりと見える。しかし、一番オーバーラップするのは、やはりフジ子ヘミングだ。
  小野が制作した「心へ届け ヴィオラの響き」という園子のドキュメンタリー番組は大きな反響をよび、CDは発売一週間で二十万枚のヒットになるわ、サントリー大ホールの公演チケットは即日完売するわで大変なさわぎになった。
  このあたりは、NHKのドキュメンタリー番組「フジコ−あるピアニストの軌跡」で全国区の知名度を得たフジ子によく似ている。ヒトラが政権を握る前のベルリンで、ロシア系スウェーデン人の父と、日本人の母の間に生まれたフジ子は、五歳のときに帰国。芸大出身のピアニストだった母の手ほどきでピアノをはじめ、十六歳で右耳の聴力を失ったが芸大にすすみ、在学中の昭和二十九年にNHK・毎日コンクールで第二位に入賞、このときは母方の姓をとって大月フジ子と名のっていた。翌三十年芸大を卒業、卒業名簿には「外国人特入生・イングリード・フジコ・ゲオルゲ・ヘミング」と記載されている。

  ベルリン国立音楽院卒業後、ヨーロッパ各地で活動をはじめたとたん左耳の聴力も失ったフジ子は、長いリハビリで左耳だけ四〇パーセントの聴力を回復した。一九九五年に帰国後、病院の慰問コンサートなどで弾きはじめ、やはり口コミによるファンを増やしていった。フジ子の場合、柳原園子の『アルペジオーネ・ソナタ』にあたるのはリストの「カンパネラ」こと『演奏会用練習曲第3番』で、この曲を収録したCD『奇跡のカンパネラ』は、クラシックのCDとしては空前の大ヒットを記録し、日本ゴールドディスク大賞「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を受賞したのである。
  しかし、そのあとがずいぶん違う。『讃歌』の柳原園子の場合は、クラシック界から大バッシングを受ける。全国紙の夕刊には、園子をNHKドラマ「ふたりっ子」で劇中歌を歌ったオーロラ輝子になぞらえ、「その音楽性とレベルについては、あえて何も言うまい」と、素人同然であることをほのめかすようなコンサート評が載った。これに対して、同じ新聞の朝刊にファンからの抗議の投書が掲載され、番組を放映したテレビのHPにも書き込みが殺到した。なかには「コマーシャリズムによる芸術汚染に抵抗する勇気ある批評」と支持するものもあったが、ごく少数派だった。

  こうしたなか、佐藤清一郎門下のアンサンブル・オブ・サトウのメンバーは、園子が佐藤に見いだされたという事実はない、そのような報道は佐藤の名誉を傷つける、と番組審議会に抗議を申し入れる。大手出版社系週刊誌には、国際コンクールでの経歴詐称を暴露する記事が出る。
  ここで、さる月刊総合誌に、文芸評論家神宮行男の「音楽の心が殺されるとき」というエッセイが掲載された。ここ二、三十年のクラシック音楽がいかに技術偏重におちいり、人間の心を置き忘れられてきたかということを強調した神宮は、園子を絶賛する。
  「ときおり音は擦れ、フレーズが揺れる。しかしそれは園子の心の揺れである。わずかな揺れは魂の絶唱なのである。なるほどそれはクラシックの専門家のいうところの芸術音楽の外面的美しさには欠けるだろう。しかしその深い精神性と母なる海にも似た優しげな響きに、一人の日本人として感動できた人々は、自らの感受性に誇りを持ってよい」
  すると今度は、東経映像とは別のプロダクションがハースト音楽院に取材し、「心へ届け ヴィオラの響き」の反証番組をつくる。留学時代の園子は決して天才ではなく、促成栽培の少女に共通する「不安定な構えとボウイング(弓をひく技術)、センチメンタルで勝手な解釈」といった欠点をもっていたとコメントするディミトリウス女史。スタッフから「心へ届け ヴィオラの響き」の存在を知らされた女史が、新聞社系週刊誌に「実にでたらめな演奏」と批判するおまけまでついた。

  私がつくづくうらやましかったのは、ファンと専門家、演奏家とメディア関係者の間でこうした喧々囂々の議論が戰わされる”状況”そのものである。現実のクラシック専門家の中にも、フジ子ヘミングを評価する人も否定する人もいるだろう。評価する理由も否定する理由もわかりすぎるぐらいよくわかる。しかし、その声が外に出ることはまずない。
  世間一般ではフジ子ヘミングは「世界的ピアニスト」として認識されているかもしれないが、クラシック界ではあくまでも「タレント」である。クラシックの専門誌には、フジ子の記事は載ってもコンサート評は載らない。フジ子のCDは、四回も「アルバム・オブ・ザ・イヤー」に輝いているが、レコード雑誌の批評にはとりあげられない。クラシック演奏家の多くが会費を払っている日本演奏連盟の名簿にも、フジ子の名はない。
  フジ子ヘミングは、日本のクラシック界とは別のところに生息し、別の聴衆を集め、春と秋には毎晩のように大ホールでリサイタルを開いたり協奏曲を演奏したりしている。まちがいなく、今、日本で一番忙しいアーチストのひとりだろう。しかし、ピアノ界ではその活動について公式に語られることはない。
  これは少しおかしいのではないだろうか。まず、フジ子を聴いてみよう、そして、可能なら篠田と同じようにがっぷり四つに組んでみよう、そう思った。


  フジ子を聴いてみよう、と思ったのはよいが、実際問題として聴くのはなかなか困難である。フジ子のチケットはほとんど常に完売だし、主催者からは音楽雑誌にも批評家にも招待状は届かない(ついでに言うと、私は批評家ですらない)からだ。まず、簡単に取り寄せられるCDをいくつか聴いてみた。
  二〇〇三年九月、ベルリンで録音したアルバム。冒頭にはいっているリスト『コンソレーション』でまずびっくりした。語りかけてくるような左手のアルペジオと、その上にぱっと花開いたようなふくよかな音。メロディが長くのばされている間に、伴奏の和声が刻々と変化する。すると、上にのびている音まで変化するように聞こえる。ものすごくきれいに倍音が出ているのだろう。
  次のリスト『パガニーニ大練習曲6番』は別の意味でびっくりした。ヴァイオリンの悪魔的名手、パガニーニの『カプリス24番』のテーマにもとづく変奏曲で、超絶技巧がウリの曲だが、とにかく遅い! 天国的な遅さ。オクターヴでテーマを弾く変奏曲や、左右の手がスタッカートで和音をとばす変素曲では、休み休み坂をのぼっている感じ。左手がオクターヴでテーマを弾き、右手に激しいアルペジオが出てくる終曲など、あまりにテンポをひろげるので、凹面鏡の映像を思い出した。でも、普通はこれだけ遅いと
曲の体をなさないものだが、不思議な説得力がある。
  ラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』では、旋律とそれを支える伴奏のアルペジオのふくらみが、呼吸するたびに隆起する乳房を思わせる。ショパン『前奏曲作品45』でも、伴奏のアルペジオの微細な変化まで克明にぬりこめていく弾き方が音楽に深みと陰影を与える。しかし、同じショパンの『舟歌』は異様に重たく、電車で隣に座っている人がどんどんもたれかかってくる様子を連想してしまった。
  ある意味でいちばんおもしろかったのが、思いっきりテンポをゆらしたドビュッシー『喜びの島』。ふしめふしめで、おっ、こうくるのかと新鮮な驚きがある。フジ子にあっては、リズムもメロディックに処理するということがよくわかる演奏だ。左手のアルペジオがぶるんとはずむところ、リズムのうねりに従ってトリルまでのびちぢみする。ドビュッシーが響きの効果をねらって書いた部分、さざ波がちゃぷちゃぷ音を立てるところまでテンポをゆらすので、波乙女たちが豊かな髪をなびかせて船乗りを誘惑しているように聞こえる。その波乙女たちが溺死者をゲットして激しく踊るシーンはどうやって弾いているのだろう? 普通は、バスをボンと入れて上の和音にとびつくのだが、フジ子の録音では、まず上の和音がきこえ、それからバスがどろーんと響く。下から上ではなく、上から下にとんでいるのだろうか? 刺激的なクライマックスだった。

  『1973年のフジ子』というアルバムもある。聴力がやや回復し、ヨーロッパでの活動を再会したころのフジ子が、イイノホールという六〇〇人ぐらいのホールで自主コンサートを開いたときの録音がおさめられている。たぶん、このときのリサイタルは音楽雑誌に批評も出ただろうし、演奏年鑑にも記録が残っているだろう。自分でチケットを売ってお客さんを集める、本なら自費出版にあたるコンサートでも、一般のプレイガイドで流通し、一律に新聞・雑誌の批評でとりあげられるのが、日本のクラシック界のならわしなのだ。
  イイノ・ライヴを一聴して、現在のフジ子のオーラは、あの異様に遅いテンポに宿っているのかもしれないと思った。今の時代、あまりに誰もが超ハイスピードで弾くので、なまなかなテンポでは少しも驚かないが、逆に遅いテンポは新鮮に聞こえるからだ。
  当時推定四〇歳のフジ子は、リスト『ため息』もショパン『別れの曲』も『革命のエチュード』も「当たり前のテンポ」で弾いている。二一世紀のフジ子よりは速いが、世界新記録というスピードではない。一九七三年といったら、ポリーニ、アルゲッチが新進ピアニストのころだ。アルゲリッチは七〇年に初来日して、その強靱なテクニック、内面をさらけだすような奔放な演奏ぶりで話題をさらった。七二年にポリーニが出したショパン『24の練習曲』のレコードは、正確無比なテクニック、テキストのすみずみまで読み込む透徹した解釈で、以降のピアノの規範をつくってしまったようなところがある。
  七三年の音大生の意地悪い耳でフジ子の演奏を聞くと、たしかに居場所はなかったろうなと思う。迫力はあってもミスが多い。『革命』は左手と右手が合っていないし、ときどきすっとばしてしまう。『カンパネラ』も、九八年盤より四八秒も速いが、腕が左右にとぶ場面やアクロバティックな部分など、ポリーニの洗礼を受けた耳には少々辛いものがある。迫力十分のデフォルメした演奏なら、アルゲリッチという代表選手がいたわけだし、演奏家の浮き沈みは時代とともに、というのがよくわかる。


  CDはいくらか聴いたが、とにかく実演を聴かなければ何も語ることはできない。最近のフジ子はステージを重ねるごとにうまくなっているという話もあるが、逆に、あまりにステージが多すぎて演奏がボロボロだという噂も伝わってくる。協奏曲を自分勝手なテンポで弾くのでオケと合わず、指揮者が怒って帰ってしまったとか、途中で暗譜がわからなくなり、どたっと止まって指揮者のもとに行き、今の何だっけ?と楽譜を見たという、信じがたい光景を目にした人もいる。人間プロンプターがつき、横で楽譜をめくりながら次の箇所を教えるらしいという話もきこえてきた。
  三月の東京文化会館小ホールでのレクチャー・コンサート・シリーズに何とかもぐりこめないかと画策していたところに、キャンセルが報じられた。ネットで検索していたら、三月二十六日のびわ湖大ホールの公演で一枚だけ空きが出た。こちらもキャンセルを心配していたが、ホール関係者から、リハーサルに姿をみせたと連絡がはいった。
  ロビーで列をつくっていた人々は、通常のクラシックのリサイタルに集まる聴衆とは少し肌あいが違っていて、多少カジュアルな印象がある。年配の女性が多いときいていたが、そうとばかりも言い切れない。若い女性もいるし、男性もちらほら見かける。

  曲目はベートーヴェンの『皇帝』。指揮は、往年の名ピアニストだったタマーシュ・ヴァシャーリ。スペイン・カダケス管弦楽団をバックにステージに出てきたフジ子は、黒のパンツに長くすそをひいた黒のチュールを巻きつけ、日本風の模様のはいった上着を着ている。金茶色の髪は豊かで、さまざまなとめがねやリボンで結び、後れ毛がほおや額にたれている。年老いたオフィーリアといった風情である。歩くと体が横揺れしてなかなかっぽい。しなをつくってお辞儀する動作もなまめかしく、微笑む顔はかわいらしい。
  あとで知ったのだが、このとき腰と背中を傷めていたフジ子は、痛みどめを飲んでコルセットをはめてステージに臨んだのだ。
  オーケストラが大音響で変ホ長調の主和音を轟かせ、それにかぶってフジ子のカデンツァが出てくる。悠揚迫らざるという表現がぴったりの弾き方で、腕を上下にぶつけるようなタッチで最高音のトリルをギラギラ輝かせ、アルペジオでは音と音の間を思いきってぐいっと拡げる。拡げたあとの戻し方がいささか唐突で、カデンツの終わりはオケとタイミングが合わなかった。
  ここで感じたのは、フジ子のすぐれた和声感である。カデンツァというのは、音楽的には宙ぶらりんな部分だ。オケが鳴らす和音の残像の中でソロが華麗な技巧を示す。技巧に頼りすぎるとそこだけ目立つ。しかし、フジ子はあくまでも和音のがっしりした枠内でカデンツァを弾く。指さばきは流麗とはいいがたいが、ベートーヴェンの圧倒的な音楽力のようなものは伝わってくる。
  横に噂の人間プロンプターがついている。髪をひっつめにして眼鏡をかけた秘書タイプの女性で、ひざの上に楽譜をのせてめくっている。オケが第一主題を弾いている間、フジ子が彼女に何事かをささやく。ぴったり横にはりついていたプロンプター嬢が椅子をずらし、うしろに下がった。なおも管弦楽呈示部はつづく。その間、フジ子はしきりにチュールをなおしている。ころんとした肉厚のいい手だ。

  ついで、ソロの呈示部。フジ子の高音は黄金色に輝いているし、ひとつひとつが実によく歌う。しかし、とにかく遅い。第一主題はフジ子一人で弾くからいいものの、主題の装飾はオケとの協奏になるため、弦楽器は弓が足りなくなるし、管楽器は息がつづかなくなる。展開部にはいり、右手に第一主題のアレンジ、左手に三連音符が出てくる難所でも、フジ子の腕の落下に従ってさらにテンポが落ち、オケは合いの手が入れにくそうだ。
  といっても、フジ子は自分勝手に弾くだけでオケのことはまったく気にしないというのは当たっていない。出番が終わったあとは手で拍子をとっているし、微妙なタイミングではときおり指揮者のほうを見るからだ。
  ピアニスト出身のヴァシャーリがまた、オケではなくフジ子のほうを向き、こわれ物を扱うようにていねいに、ていねいに指揮している。一瞬すき間があいたりはっとする場面もあったが、一楽章は無事終了した。
  二楽章も、指揮者はほとんどフジ子のほうばかり見て振っている。滴がしたたり落ちてくるようなメロディの微妙なゆらし方、和音外音(音階の中にない音)のきわだたせ方が魅力的なアダージオ。終了近く、主題を装飾する十六分音符のきざみが際限なくのびるので、ソロを吹くホルンは悶絶しかかっていたけれど・・・。
  切れ目なしにつづく三楽章、モティーフが階段状に積み上げられているロンド主題は、移動が多く弾きにくいパッセージだが、フジ子は堂々たる弾きっぷり。最後の音はひじでぐいと向こうに押しやって決める。腰が痛いせいかオクターヴのトレモロなどやりにくそうだったが、全体に躍動感があり、ロンド主題も回を重ねるごとにパワーを増していく。
  オケとかけあいのロンド主題も終わり、コーダ部分では指揮者が祈るような気持ちでオケを鎮めているのがわかった。ティンパニーも最大限の努力をして遅いテンポで叩く。緊張の一瞬。フジ子は、鉄砲水のように噴出するスケールをものすごい集中力で弾ききり、いかにもサクラっぽい声でブラボー! が響きわたった。弾き終えたフジ子は一瞬ぼーっとし、疲れたという感じで顔をゆがめる。

  アンコールではプロンプターなしで出てきた。弾く前にトークがはいる。ソフトな声だ。「もうみなさんネットなどで知っていると思いますが、三ヶ月前、パリで凍った道路の上でころび、二ヶ月ベッドにしばりつけられていました。今日も薬を飲んで出てきたので、これからカンパネラを弾きますけど、最後までいくかどうかわかりません」
  その『カンパネラ』の前に、ショパンの「エオリアン・ハープ」こと『練習曲作品二十五』が演奏された。中音域でアルペジオをかきならし、右手小指が点描ふうのタッチで鐘のような音を響かせる。点と点をむすぶ線が、見事にメロディのカーブを描き出す。
  売り物の『カンパネラ』は小指だけではなく親指がよく歌う。私が注目したのはひじの動きだ。『カンパネラ』は跳躍が多いので有名な曲だが、フジ子のひじは的確な場所にすばやく腕と指を運び、どんなに間隔が離れてもほとんどめったにはずさない。ここで思い出したのは、コロラトゥーラの歌手である。彼女たちが共鳴するスポットに次々と声を当てていくように、フジ子も、ひじと腕の上下動でひとつひとつのタッチを「いい音の出るツボ」に当てていく。上声部でトリルを弾いている間、下のカンパネラ主題が哀しく歌うあたりがたまらなかった。


  休憩中、ロビーに出ると、「フジ子の実弟ウルフ」が店を出し、オペラ歌手のように響く声で呼びかけている。絵はがき一セット七百円。フジ子が昔描いた絵らしい。額はサインなしが六千円から六千五百円。サイン入りは一万五千円。額も大きいからいいでしょ、とウルフさん。でもちょっと高いからね。高いっていってもデパートでは十二万で売ってるよ。フジ子ビールまである。これは通信販売。生酵母だからすぐに飲んでね。でも瓶はとっておいて。フジ子はね、今日は腰が痛くてね。椅子に座っても痛い痛いって言ってたよ。でも『カンパネラ』なんて腰が痛い方がかえってよかったね。かわいそうだけどね。あとでびわ湖ホールの人にきいたら、このウルフがブラボーを叫んでいたそうだ。
  フジ子の公演のあと、中ホールで野村萬斎一座の狂言をみた。出し物は『仁王』。すってんてんの博打うちが、ある男に入れ知恵されて仁王さまのふりをしたとたんに人が集まってくる。贈り物を持ってきてあがめてくれる。病気を治してくれと陳情にやってくる。 フジ子も大月フジ子からフジ子ヘミングになったとたん、仁王さま状態になった。ただし、彼女の演奏は決していかさまではない。テクニックが足りないと人は言うけれど、楽器をこれだけ見事に鳴らすというのは、それだけでものすごい技術ではないか。テンポはたしかに遅いが、スピードで押しまくれないぶん、遅いテンポで形をつくるほうがずっとむずかしいはずだ。本当の意味の造形能力がないとできないことだろう。
  メロディ、和声の造型もきちんとしている。たとえば、音階の七番目にあたる導音(ドレミのシ)は、最初の音にあたる主音(ドレミのド)に強くひっぱる働きをする。導音には緊張感があり、主音には安堵感がある。この機能を十分に使わないと、「ありがとうございました」と言うとき、「ございまし」まで言って、「た!」だけ強く言うような感じになる。日本の子供たちのオーディションなどを聴くと、古典のソナタでは「た!」のオンパレードだ。フジ子のピアノには、そうした文法上の誤りがほとんどないのである。


  フジ子体験の二回めは、五月七日、新潟市民文化会館でのリサイタル。今回もプロンプターはつけずに登場した。黒のパンツはかわりないが、上着とチュールがブルー系。
  前半の最初にドビュッシーの『版画』が置かれていた。つくづく、この人はメロディストだと思う。リズムにしても旋律にしてもゆらし方が独特だ。第一曲の「パゴダ」では、二つのガムラン旋律が交差するところが見事だった。
  拍手がはいらないように、大急ぎで第二曲「ハバネラ」を弾きはじめる。『カルメン』でおなじみのハバネラのリズムは、ターンタ、タッターの「タッ」のあとで大きく間をとり、最後のタで長く立ちどまる。ドビュッシーが「しどけなく」と記したところは、まさにフジ子そのもの。
  第三曲「雨の庭」は、切れはよいが日照不足。童謡「もう森へ行かない」のところで出口がみつからなくなってしまった。パンを鳥に食べられてしまった親指太郎のよう。しばらくさまよっていたが、やっと抜け出した。
  映画『戦場のピアニスト』で有名になったショパンの遺作のノクターンあたりから、だんだんフジ子サウンドになってきた。ショパンの練習曲メドレーは、作品二五−二、「黒鍵」へと弾きすすむ。「別れの曲」は両手で弾く六度(ドからラまでの間隔)の連続がむずかしい練習曲だが、フジ子はひじのやわらかな動きで楽々と運んでいく。
  つづく「蝶々」がすばらしかった。「ポワニエ」といって手首のすばやいスタッカートを使い、面白いように鍵盤がはずむ。「木枯らし」は力わざの練習曲だ。フジ子が弾くと全体が霧のようになってしまう。しかし、やはりひじの動きは的確で、しかるべき場所に指を運んでいく。フランス語のレッスン用語で「ミザンプラス」というやつだ。最後のスケールは、『皇帝』のときと同じようにリキを入れてものすごいスピードで弾く。最後の音をはらうように斜めに切って捨てるのがフジ子流。すかさずウルフがブーラヴィオと叫ぶ。

  プログラムでは次が「革命のエチュード」だが、その前に「エオリアン・ハープ」を弾く。こういうふうに曲が増えるのはお得感がある。ホールの音響の関係から、びわ湖のときほど美しくはなかったが、和音の上の音がぽーっとともり、いさり火がまたたいているようだ。拍手をさえぎるように弾きはじめた『新しい練習曲ヘ短調』でも、メロディを指でつなぐかわりにひとつひとつ響かせ、微細な音程の違いに心のうつろいを託す。フジ子の手にかかると、ショパンというよりはラフマニノフ風の憂いを帯びた曲にきこえる。
  と、感心して聴いてきたのだが、かんじんの「革命」はいただけない。左手は単なるうねりで音の粒はまったくきこえない。右手もメロディのトップが消えたりしてまだらになっている。ときどきバスにオクターヴを足しているのは一九世紀風。かなりアバウトな演奏だったが、ものすごい拍手が起きた。私が思わずブラボーと叫びそうになった「蝶々」では拍手がこなかったのに。このあたり、専門家的な耳のつけどころの違いだろう。

  休憩後は紫にお召しかえ。最初の二曲のスカルラッティがすばらしかった。ピアノも後半にはいって見違えるように鳴りはじめている。機械的にからっと弾かれることが多いスカルラッティだが、フジ子は同じリズムのくりかえしでもどこかをゆるめて間をとり、同じ音のくりかえしでもさまざまに音色を変える。
  リスト編曲のショパン『乙女の願い』は、一九世紀の名ピアニストたちが聴衆をとりこにしたロマンティックピースだ。オクターヴのメロディが輝かしく鳴りひびく。かと思うと、旋律がおりてくるところでふっと立ちどまる。即興的で、今生まれたばかりの音楽のように新鮮な演奏だが、リズム的にも和声的にもツボはしっかりおさえている。
  リストの『ため息』は、オペラの一場面のように演奏された。メロディのアゴーギグに合わせてアルペジオが緩急自在にはいってくる。上声は往年のプリマ・ドンナ、レナータ・テバルディのように、内声は往年のテノール歌手マリオ・デル・モナコのようにフェルマータを思う存分のばし、自在に歌う。『愛の夢』はカンツォーネの世界。聞き手をさんざんそそっておいて、クライマックス直前で待たせ、じらすあたりが憎い。
  つづく『泉のほとりで』は、腕の回転運動につれてプリズムのような光の乱反射が沸き起こる。あくまでもメロディに則したアルペジオで、決して機械的にならない。最後は、毎度おなじみの『カンパネラ』。ひじの動きのす速いこと。明らかに以前よりスピードが上がっている。恐るべし、進化するフジ子ヘミング。


  五月十二日にはすみだトリフォニーでの頼近美津子とのコラボレーション。神戸、東京、横浜と三回シリーズの真ん中だ。演奏曲目は新潟とほとんど同じで、第一部がショパン名曲集、第二部は頼近のトークをまじえてリストとショパンを弾く。
  前半のソロは新潟ほどの出来ではなかった。『華麗なる大円舞曲』は、いつもバスの音を間違えて弾いている。ついでに言うと、よく弾く『マズルカ第49番』でも、バスの音がひとつ違っている。フジ子を絶賛したというピアニスト、サンソン・フランソワにも同じようなことは起きたが、彼の場合は作曲家だったので、こちらのほうが響きがよいとわざと変えて弾いていたわけで、意味が違う。このワルツやマズルカに限らず、フジ子の舞踊ものはやや跳躍感にかける。やはり、基本的にメロディストなのだろう。
  「黒鍵」では思わず知らず一オクターヴ下までおりてしまい、ちょっと混乱する場面があった。「木枯らし」でも、あるパッセージがざざっと横にずれてしまい、ちょっとあぶなかった。巷でうわさされているフジ子の「ボロボロ」はこういうアクシデントが重なったときなのだろう。しかし、このときはすぐにたてなおして弾ききった。
  「革命のエチュード」はトリフォニーのほうがよかった。新潟ではカオスだった左手にもはっきりうねりが出ていたし、まだらだったメロディも右ひじをくいっとひねるようにして決まった音を出していた。こんな風に、ステージごとにコンディションが違うから、同じ曲を弾いてもその日どうなるかは神様にしかわからないのである。

  後半は「リストとショパン〜その華麗なる音楽人生」と題したステージ。まず頼近が登場し、スポットライトの中で挨拶する。スポットが消えると舞台明かりになり、フジ子が出てきてリストの『ため息』を弾く。終わると袖にひっこんで、また頼近が出てくる。
  リスト彼が活躍した上流階級のサロンは、ふかふかのカーペットにゴブラン織りの絨毯、シャンデリアの世界。ピアノの即興演奏や詩の朗読もあった。ショパンとリストもそうしたサロンで出会った。サロンでもっとも好まれたのがショパンのノクターン・・・とふって、フジ子が登場し、二番のノクターンを弾く。頼近のソフトな声とフジ子の音がマッチする。
  また頼近のトーク。リストとショパンの演奏の比較をする。リストはピアノをバンバンたたきこわし、汗をとびちらせ、婦人たちはその汗を香水ビンに入れたという。アイドルグッズも売っていて、顔を彫刻したメダルが飛ぶように売れたそうだ。ショパンは反対に公衆が嫌いで、主催者は視界の中に知っている人だけ並ぶように工夫した。
  こんなふうに、頼近がショパンやリストの逸話をわかりやすく紹介したあとひっこみ、つづいてフジ子が出てくる。これのくり返しなのだが、そして、頼近自身も、いつもはステージに出ずっぱり、椅子に座りっぱなしで自分のタイミングで弾くフジ子が演奏を中断されてやりにくくないかと心配したそうだが、とくに気にしている様子はなかったとのこと。毎回話が終わると出てきて、そのつどちょっと会釈をし、あまり思い入れなく、すぐに『愛の夢』や『夜想曲』を弾く。袖で待っている間に手が冷えたりはしないらしい。そのたたずまいと演奏スタイルと音がその場にすっとなじみ、ステージの空気をなごませる。
  さあ、女性の話です! と頼近が意気込んで言う。リストの愛人はダグー伯爵夫人、六歳年上で十年間つづいた。ショパンの愛人はいわずとしれた女流作家ジョルジュ・サンド。こちらも六歳年上で九年間つづいた。トークにつづいてフジ子が弾くのはショパンの晩年の作品で『ワルツ作品64−2』。ここでは、メロディを宙ぶらりんにする休符の魔力に堪能させられた。細かい走句は軽やかで羽根のよう。さきほどフジ子の舞踊ものには躍動感がないと書いたが、早速訂正しなければならない。
  プログラムの最後に『カンパネラ』を弾いたあと、アンコールにリスト『パガニーニ変奏曲第6番』を弾くという。これが凄演だった。思いのたけをぶつけるようで、迫力満点。すべての音に腕の重みがかかっていてきらきら光る。最後の和音を、手前にひっかくようなタッチでつかみとる。フジ子の猫好きは有名だが、もしかして獲物をねらう猫の動きを参考にしているのだろうか?


  終演後、頼近を楽屋に訪ねる。フジ子の生を聴くのは今回のシリーズがはじめてだが、リハーサルのとき、フジ子の演奏に吸い込まれるような感覚を味わったという。ほとんど毎日のようにどこかで弾いているのに、第三回のみなとみらいホールでは二五〇名もキャンセル待ちが出ていてびっくりしたというような話もする。
  頼近とともにフジ子の楽屋に行く。舞台衣装のままで椅子にゆったりと座り、たばこをくゆらしていた。右耳は聞こえないので、左側にまわって話をする。左耳に銀色の補聴器をつけている。聴力は四〇パーセント回復したということだが、ちょっと小さい声でしゃべると「えっ」と聞き返す。
  さっそく手を比べてみた。フジ子の手は、私の二割増しは大きく、指はソーセージのように太い。親指は反り返っていて使いやすそう。何よりいいのは、小指が長くて他の指とさして変わりないことだ。これであのきらめく高音が出るのだろうと思った。
  腰はまだ痛くてコルセットをはめているとのこと。これがないと自分はぐにゃぐにゃになってしまうと言っていた。頼近が私のことを、安川加壽子門下で『翼のはえた指 評伝安川加壽子』という本を書いていると紹介すると、その本は持っているとのこと。安川さんのピアノは好きで何回も聴きにいったが、どんな演奏だったか忘れてしまった、さらさらしていて・・・と言う。音楽性はまったく違うのだが、手が交差するところなど、互いちがいに腕をかぶせるフォームが安川にとてもよく似ている。
  新潟のスカルラッティがすばらしかったと話す。びわ湖の『皇帝』も聴いたと言うと、表情がやわらぎ、ヴァシャーリさんは私のエンペラーは世界中どこにもない、こんなエンペラーはどこを探してもないと言ってくれた、うれしかったと言っていた。
  タマーシュ・ヴァシャーリ夫人は舞踊家で、来年は三人でコンサートをやる。頼近が、ピアニストが二人? と言うと、そう、本当は私はいらないんだけど、私がいないとチケットが売れないから、人寄せパンダなのよと笑う。


  最後に、もう一度協奏曲演奏会に出かけた。五月二十五日、池袋の東京芸術劇場。北東ドイツフィルハーモニー管弦楽団との協演で、指揮はマティアス・フスマン。
  このときは、前の会合が押していて、途中からロビーにはいった。事前発表では演奏曲目はショパン『ピアノ協奏曲第一番』となっていたが、プログラムをみると、ベートーヴェン『皇帝』とショパンが並べて書かれている。二曲弾くんですか? と案内係にきくと、「フジ子さんはそのときの気分でどちらを弾くか決めるので、両方書いてあるんです」という回答。でも、これではショパンとベートーヴェンを両方弾くように読めてしまう。
  『皇帝』の途中からモニターで見る。びわ湖では付き添っていた人間プロンプターがいない。指揮者も、ヴァシャーリのようにピアノのほうばかり向き、つきっきりで面倒を見たりしない。ちゃんと真正面を向き、普通にさっさと振っている。フジ子も可能な限りさっさと弾いている。ときどきだれそうになると、指揮者がギュッとテンポをひきしめる。
  フィナーレが終わり、会場内にはいった。アンコールに応えたフジ子は、『木枯らし』と『カンパネラ』をつづけて弾くので、間で拍手しないで下さいというようなコメントをする。
  新潟では霧のように流していた『木枯らし』の右手のタッチがきちんと鳴っているのにはびっくりした。途中で下降する音形がすこしずれてしまったほかは事故もなく、フジ子にしてはかなりのスピードで弾く。ひじで楽句の最後の音をねじ切るような動作をする。あの、間近で見た太い親指で内声を雄大にひびかせる。
  『カンパネラ』もずいぶんテンポが上がり、一九七三年のフジ子に近づいていた。しかもミスタッチははるかに少ない。聴衆は沸いたが、その拍手は、テレビのドキュメンタリーやドラマで知られたピアニストだからという拍手ではなかった。純粋に演奏の内容に動かされた拍手だった。
  いっぽうで、ショパンを弾かなかったことには苦情が出た。やはり両方弾くのだと思い込んでいた聴衆が多かったようで、「サギだよな!」と吐き捨てる青年がいたかと思うと、「ご高齢だからベートーヴェンだけで疲れちゃったんでしょうかね」と気づかう年配の婦人とか、あちこちで声がきこえる。プログラムにひとこと書いておくべきだったろう。

  コラボレーション・シリーズの三回め、横浜みなとみらいでの公演を終えた頼近美津子が興奮してメールを打ってきた。
  「アンコールで演奏されたリストの『パガニーニによる大練習曲第6番』、凄い集中力でした! ご一緒した三回しか生の演奏は聴いていませんが、あの演奏は、『そこで音楽が生まれた!』という場に立ち会った気がしました!」
  私もその場にいたら同じことを感じたにちがいない。フジ子ヘミングは、クラシックのピアノ界では異端かもしれないが、彼女の音楽は決して異端ではない。『讃歌』の柳原園子は、ディミトリウス女史から、ヨーロッパ音楽の背景を理解していないと批判された。しかし、フジ子ヘミングの演奏からは、むしろ一九七〇年代のピアノが意識的にとざした古きよき時代のピアノの記憶、自由で即興的な一九世紀的伝統の名残のようなものがうかがわれる。クラシックのピアノを学ぶ者なら、いくつかの逸脱点はさておき、そこから多くの貴重なヒントを得ることができるだろう。
  今、いくつかの逸脱点と留保をつけたが、フジ子の強みは、逸脱点すらプラスに転換させてしまうところにある。柳原園子が「不安定なボウイングや「音の間違い」を指摘され、プロの演奏家としては零点以下と斬って捨てられたように、演奏中に止まる、楽譜を間違える、あるいはミスタッチするというのはクラシックのピアノでは「大罪」だ。その恐怖はすべてのピアニストをしばっているといっても過言ではないし、実際にそれで活動がつづけられなくなった演奏家も多いのだが、フジ子はそうした呪縛からも解き放たれている。何をしても聴衆は受け入れてくれるという自信が、彼女のピアノをどんどん磨きあげているように思う。
  『讃歌』の柳原園子は悲しい結末を迎えるが、フジ子ヘミングはさらにヴァージョンアップしそうな気配だ。

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