|
第2回 沈める寺
花の都パリ。その語源が「イス」という街だったことをご存じだろうか?
「パール・イス」つまり、「イス」を超える街になりたい、という願いが結実したのがパリという街の名なのだ。
イスは、ワーグナーの楽劇で知られる『トリスタンとイゾルデ』のヒロイン、イゾルデの生まれ故郷、ブルターニュの海辺の街だったという。
とても栄えた都で、巨大なカテドラル(教会堂)が自慢だった。ところが、四、五世紀ごろ、悪魔と結託した悪い娘が水門をあけたため、一夜にして海の底に沈んでしまった。沈む理由は、住民の不信心のためとか王女の嫉妬とか、他にもいろいろある。
今も岸辺にたたずむと、波間からかすかに僧侶の読経と鐘の音が聴こえてくるという。
ドビュッシーは、ルナン著『幼児期と少年期の想い出』という本で、ブルターニュに伝わるケルト民族の神秘的な伝説を読み、大いにこころ動かされたらしい。
『前奏曲集第一巻』の第十曲「沈める寺」も、この伝説にもとづいている。
ピアノの鍵盤のうんと離れたところで、高い音と低い音の和音が鳴らされる。これをペダルでのばしたまま、教会旋法による六つの和音が軽い、軽いタッチで間を埋めていく。ちょうど水のおもてに波紋がひろがるように、六つの和音の余韻がくぐもったような響きでゆらゆら揺れる。
「波間からかすかに僧侶の読経と鐘の音」の部分は、すぐにわかる。鐘は、いつも同じ音でカーンと鳴らされる。ここは、指先をエンピツの4Hのようにとがらせて弾く。僧侶の読経は、指の腹のやわらかい部分を使ってそっと鳴らす。
このメロディは、日本の「さくら さくら」と同じ陰旋法の音が使われている。なぜケルトの伝説で「さくら さくら」なんだかよくわからないが、とにかくそうなのだ。
ドビュッシーは徹底的にカテドラルを意識していたようで、譜面をちょっと離してながめると、どの小節もさまざまな様式による教会のアーチを描いているという。
私がいちばん好きなのは、海の水がどんどん盛り上がって、海の中からオルガンを思わせるフォルティッシモの和音がせりあがってくるところだ。バスもボーンと鳴り響く。
イスのカテドラルは、他の人々へのみせしめのためにときどき海の上に浮かびあがるというから、そこを表現したのだろう。
一度、この部分の夢を見た。波の上に鐘つき堂の先端の十字架が見えて、それからたくさんの塔があらわれて、とうとう目の前に大伽藍がそびえたった。壮観だった。
『沈める寺』は、ドビュッシーが初演している。パリ音楽院のピアノ科にいたこともあるドビュッシーは、とてもピアノが上手だったのである。大きくてよくひろがる手で、とくに和音をつかむのが得意だった。
一九一〇年五月二十五日、パリのエラール・ホールでドビュッシーが『沈める寺』を弾いたとき、聴いていた人は、なんてデリケートなタッチだろう! 鍵盤をなでるように、かすかな余韻まで美しく響かせている、と感嘆したのだった。
ドビュッシーがロールに録音した『沈める寺』のCDも出ている。こちらは、一九一三年。深々とした演奏で、とてもステキだ。でも、ちょっと変なところがある。
海の上にせりあがった寺院がふたたび海の底に沈み、もう一度浮かびあがる気配をみせるあたり、左手も右手も上の方で弾いていて、バスだけがうんと下にあって急いでとびつかなければならない箇所。はずしっぽいのでやりにくい。
でも、ドビュッシーはこの部分の音形を変えてしまって、先にバスを出しておいてゆったりと上に行けばいいように弾いているのだ。これなら、楽だ。
和音の中でも、楽譜に書いていないシャープやナチュラルをつけてしまったり。
作曲家の特權だなー。
「楽譜通りに弾きなさい!」と先生から叱られて育った私は、ちょっぴり嬉しかった。
|