【連載】「音楽という言葉—記憶の中にある祖母の庭 (終)」(神戸新聞 2012年12月22日)

モノを書いたりピアノを弾いたりしていると、遠い親戚の方からご連絡をいただくことがある。

つい先日も、神戸在住のピアノ講師の方からHP経由でメッセージをいただいた。亡き祖母は養父市の旧家の一人娘で、家を継ぐために祖父と養子縁組を結んだ。その祖父が、ピアノ講師の方の曾祖父(そうそふ)さまの弟さんだという。なんとも気の遠くなるような話だが、小さいころは祖母の家を訪ねてくださったとのことで、なつかしさが増した。

もうお一人、こちらは祖母の縁戚に当たる、赤松康世さんという方がいらした。神戸市須磨区在住の赤松さんは、私が関西でピアノを弾くたびに聴きに来てくださった。

いつだったか、少し体調を崩しております…とお便りに書かれていて案じていたが、しばらくして卦報が届いた。

心ばかりのお供えをお送りしたところ、お返しにご本をいただいた。赤松さんが折にふれて綴(つづ)った文章を編んだ「鈴の音」という書で、2002年に刊行されている。

一読して、魅了された。赤松さんの文章には映像喚起力があり、情景がまざまざと浮かんでくる。たとえば、次の一節。

「萩の枝がしなやかに伸びて、そろそろ秋だと見ていたら、今日は白やピンクの花をぼつぼつつけはじめて、そよ風にゆれていた。しばらく通らなかった桜並木の木の下に、まんじゅしゃげの群れがすいすいと集合している。『近日中に真っ赤な花が開くよ、いよいよ開店だよ』と言つているようだ」

本には、祖母の家を訪ねた折のことも記されていた。赤松さんのお祖母(ばあ)さまは、縁あって祖母の家で生まれ育った。赤松さんも、3歳ぐらいのとき遊びにきたというかすかな記憶があるらしい。

もうずいぶん前になるが、テレビの「暴れん坊将軍」の舞台にこの旧家が使われたことがある。七十数年前の記憶をたどりつつ画面を凝視していた赤松さんは、生け垣に囲まれた庭が映されたとたん、たしかに幼い自分がそこに座っていたという確信を得た。体調が許すうちにもう一度あの家を見ておきたいと思い、ご姉妹や姪御(めいご)さん夫婦と訪ねてくださつた。

「家の裏手にある、雪舟を模して「造られたという枯山水の庭に、私たち五人はしばらぐ黙つて佇(た)つていた。山をとり込んだ庭の端っこに、大きな楠の木が立っている。この木は優に百年を生きているのだろう。涼風をはらませてそよいでいた。庭の真ん中に、どうだんつつじの一株があった。秋には、無人の庭を炎のように彩るだろう」

楠はまだ立つているが、どうだんつつじは鹿やイノシシの害にあってみるも無残な姿になった。

しかし、私の記憶の中の庭は、赤松さんの描写そのままに、つつじが炎のように燃えさかり、苔(こけ)庭を照らしている。

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