【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第2回 アリス・アデール」(音遊人 2013年3月号)

アリス・アデールという名前をご存じだろうか。
一九四五年生まれというから、六十七~八歳になるフランスのピアニストである。

アルゲリッチが四一年、ポリーニが四二年生まれだから、ヴィンテージ・ピアニストというには若すぎるかもしれないが、彼女が前二者と違うところは、主に二十世紀音楽の分野で活動し、コンテンポラリーの専門家と思われていたことだ。ところが、二〇〇七年に突然バッハ『フーガの技法』の見事なアルバムをリリースし、識者をあっと言わせた。

ご存じのとおり、『フーガの技法』は未完の作品である。何のために書かれたのか、どんな楽器のために書かれたのかも判然としない。

アデールは、たったひとつの単純なテーマがあらゆる対位法的な技巧の粋を凝らして複雑に発展させられていくさまを、悠揚迫らざる歩みで描き出してみせる。いや、描くという言い方すら作為的に感じられるほど、彼女はテキストとともに歩む。音楽が豊かになれば彼女のピアノも豊かになり、ひっそりと静まりかえれば、彼女のピアノも静かになる。そうして何度ものクライマックスを迎え、再びたった一本の線で主題が弾かれはじめたところで、バッハは筆を置き、アデールも演奏をやめる。しばらくして沸き起こる拍手で、ようやくこの録音がライヴだったことがわかる。

筆者は、たまたまドビュッシーの『聖セバスチャンの殉教』の録音を検索していて、彼女がピアノで弾いているアルバムに出会い、一聴して快い驚きに襲われた。ここで彼女は、『映像第一集・同第二集』『仮面』『版画』『ハイドンを讃えて』『英雄的な子守歌』を弾いている。一九九一年の録音ということだが、寡聞にしてまったく知らなかった。

聴いた印象は、とにかく明晰ということだ。ピアニスティックな意味でも解釈の意味でも。印象派ふうのもやもやしたところはまったくなく、すべてのテクスチュアが明快に処理され、曖昧なところはまったくない。かといって無味乾燥な演奏ではまったくない。表現はたおやかで、音の一粒一粒はしっとりと露を含み、不思議な光に満ちている。

とりわけ舌を巻いたのは、一九〇四年作の『仮面』である。八分の六拍子と四分の三拍子のポリリズムで書かれており、しばしばどちらに読むか混乱が見られるのだが、アデールは見事に弾きわけている。

二〇一二年には、ラヴェルピアノ曲全集がリリースされた。録音は十年前なのだが、まさに今、世に問うべき録音という気がする。『夜のガスパール』『鏡』『クープランの墓』。腕自慢のピアニストたちによって荒らされてきた作品が、すっかり洗いなおされ、テキストそのものとして立ちあらわれる。つくりすぎの嫌らしさもナルシシズムの影もない。なかでも「スカルボ」がこれほどまでに名人芸の垢をそぎ落とされ、喚起力豊かに弾かれたのを聴いたことがない。

アリス・アデールはシャンゼリゼ劇場やプレイエル・ホールで演奏するわけではない。名だたるオーケストラと協奏曲を演奏するわけでもない。各地に演奏旅行するわけでもないのだろう。少なくとも一度も来日していない。パリ音楽院やエコールノルマル音楽院の教授でもない。いったいどうやって生活しているのかと不思議なのだが、そうした一切の商業主義的な要素を排し、純粋にただ音楽に向き合い、テキストを読み、音に変換する作業を黙々とおこなう。その姿勢が、たくまずして感動を呼ぶ。

こんなピアニストを静かにはぐくむフランスは、本当に奥深い国だと思う。

2013年3月25日 の記事一覧>>

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