「ショパコンファイナル、どちらを選ぶ?」(ショパン 2017年8月号)

選曲の時点で勝負あり!?

第17回ショパン・コンクール、チョ・ソンジンとシャルル・リシャール=アムランの順位を分けたのは、協奏曲の選曲だったと言えよう。ショパンの協奏曲はいずれもワルシャワ時代、20歳前後の作品だが、1番の方が後に書かれ、より完成度が高い。2番は初恋の人への思いがあふれ、繊細な美しさが魅力だが、演奏時間が短く、難しいわりに効果が上がらない。

おまけに2番は縁起が悪い。過去のコンクールで2番を弾いて優勝したのは、第1回のヤコフ・ザーク(第2、第3楽章)と1980年のダン・タイ・ソンだけ。1990年の第3位(1位無し)の横山幸雄も、1995年の第2位(1位無し)のアレクセイ・スルタノフも2番のジンクスに阻まれた。とりわけスルタノフは、1989年クライバーン・コンクール優勝の大本命で、切々と訴えかけるような2番で聴衆を魅了したが、蓋を開けてみたら対照的に端正な1番を弾いたフィリップ・ジュジアーノと同率の2位だった。

1965年の覇者アルゲリッチも2番を用意していたが、周囲のすすめで直前に1番に変更したと伝えられる(それであのみごとな演奏というのは本当に驚かされる)。

いきおい、消極的な意味で2番を選択する人が多い。ダン・タイ・ソンはオーケストラとの共演経験がまったく無く、短いほうが楽だろうと2番を選んだ。横山も第17回のリシャール=アムランも、コンクールの時点では2番しかレパートリーに入っていなかった。

第17回の場合、81名の本大会出場者のうち2番を申告していたのは21人だから、ほぼ4分の1。「イタリアの抒情詩人」ルイジ・カロッチア、「フランスのグールド」オロフ・ハンセン、「中国の哲学者」チェン・ザンなど個性派ぞろいだったが、枕を並べて討ち死にしてしまい、10人のファイナリストのうち、アムラン一人が2番を弾くことになった。

次点のディナーラ・クリントンも2番の予定だったので、彼女が進出していれば事情は変わったと思うが、明らかにオーケストラが準備不足。リハーサルに立ち会った関係者の情報によれば、第1楽章を通したところでオケの部分練習が始まってしまい、アムランはずっと待っていたという。

1番を選択したチョ・ソンジンも、リハの時とはうって変わってテンポが遅く、重くなったオーケストラに悩まされたが、「肝心なのはソロ・パートだから」とマイペースを貫いたのが功を奏した。1960年の優勝者ポリーニの例を引くまでもなく、1番ならピアノがイニシアティヴを取っても何とか形になるが、2番はアンサンブルの要素が多く、よりコミュニケーション能力が求められる。

室内楽が得意なアムランはオーケストラが出やすいように拍をマークしたり、指揮者とアイコンタクトを取ったり、彼の長所を存分に発揮していたが、ただでさえ重圧のかかる本選で余計な神経を使ったぶん、やや消耗してしまったような気がしてならない。

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