【連載】ドビュッシー最後の1年【2】(ふらんす 2017年5月号)

石炭が欲しい!

1917年1月25日、死の1年と2か月前のドビュッシーは、寒さに震えていた。友人の作曲家ポール・デュカへの手紙で彼は、「J’ai peur du froid.J’ai si peurdes grands froids.」と、メーテルリンクにもとづくオペラ《ペレアスとメリザンド》のセリフを引用しながら書いている(《ペレアスとメリザンド》の第5幕、死の床に横たわるメリザンドは、老アルケルに「冬がきらいなのかね?」ときかれ、「寒いのは、こわい。うんと寒いのは本当にこわいんです」と答えるのである)。

「そしてわが手から筆がすべり落ちていく、落ちていく……。et la plume me tombe me tombedes mains...」

その頃、パリは大寒波に見舞われ、2月初めにはマイナス15度を記録したという。時は第一次世界大戦のさなか、電気とガスは前年暮れから制限され、石炭も欠乏しはじめていた。

2月9日にもドビュッシーは、フォーレに宛てて次のような手紙を書いている。「寒さも石炭相場も、ありとあらゆる生活の悲惨さに、私は日に日に途方に暮れていく。e ffoid, le cours au charbon,toutes ces miseres domestiques et autres me desemparent tous les jours davantage」

トロンカンという石炭商に宛てたおびただしい数の手紙を見ると、この状態が数週間続いたことがわかる。しかし、病気(直腸ガン)で仕事のできないドビュッシーには、石炭を買うお金もなかった。

音楽が好きだったらしい石炭商は、作曲家の窮状を見かねて、では、私に何か曲を書いてくだされば石炭を持ってきましょうと提案した。

ドビュッシー最後のピアノ曲〈石炭の明かりに照らし出された夕べ<Les soirs illumines par l’ardeur du charbon>はこうして生まれた。タイトルは、ボードレールの詩集『悪の華』の「露台」から取られている。曲の冒頭部分は、やはり『悪の華』の「夕べの階調」の一節をタイトルに持っ《前奏曲集第1巻》(1910)の〈音と香りは夕暮れの大気に漂う〉そっくりだ。

ドビュッシーは、若き日に『悪の華』から5篇を選んで《ボードレールの5つの詩》という歌曲集を作曲している。〈露台〉は1曲め、〈夕べの階調〉は2曲め。唐突な転調で音がとりにくく、今もあまり歌われることがない歌曲集だが、当時はさらに理解されず、出版社も初演者も見つからなかった。支援者が予約募金をおこない、1890年に限定150部で自費出版されている。

版元は象徴派のコロニーのような「独立芸術書房」。ユイスマンス、リラダン、マラルメらの長老が集い、アンドレ・ジッドの処女作から『パリウド』までのすべての作品、ピエール・ルイスの『ビリティスの歌』『アフロディット』、アンリ・ド・レニエの『古代ロマネスク詩集』などを刊行した伝説の書店である。

この歌曲集がマラルメの目に止まり、芸術劇場を主宰するポール・フォールと計画していた《牧神の午後》の舞台上演のための音楽を依頼されることになる。1891年はじめには、2月27日に開催予定として「《牧神の午後》、ステファヌ・マラルメの1場の韻文劇。音楽担当はド・ビュッシー氏(ドビュッシーは貴族を気取ってこう綴っていた時期があった)」という告知がされたこともある。その後マラルメは上演の延期を要請しているが、この幻の企画が94年初演の《牧神の午後への前奏曲》につながるのだ。

マラルメがスケッチ段階の《牧神》を聴くためにドビュッシーの家にやってくるエピソードはなかなか感動的だ。1910年になって友人の問い合わせに答えたところによれば、それはロンドン街のアパルトマンだった。「聴き終わったあと、彼は長いこと黙っていた。それから、『こうしたものは思いもよらなかった!この音楽は、私の詩から情緒を延べひろげ、それに色彩よりも熱烈に背景を置く』と言った」

住居については微妙なのだが、もし本当にドビュッシーが回想するようにロンドン街のアパルトマンなら、「片足のテーブルと藁のはみ出した椅子3脚、どうやらベッドらしくみえる物体が1つに、1台のすばらしい借り物のフ.レエルのピアノ」という貧しい屋根裏部屋だった。

94年に《牧神の午後》が初演されて評判をとり、99年に《管弦楽のための夜想曲》を仕上げても、ドビュッシーは貧乏なままだった。仕事は遅く、少し金がはいるとすぐに本や美術品を買ってしまう浪費家でもあった。1899年12月18日には、当時のエディター、アルトマンに宛ててこんな手紙を書いている。

「この頃本当に困っているので、少し助けていただけませんか?「石炭の明かりに照らし出された夕べ」は本当に高くつきます!」

それから18年後、フランスを代表する作曲家となってもなお寒さに震えていたドビュッシーが、石炭と引き換えに書いたのが〈石炭の明かりに照らしだされた夕べ〉というのはあまりにも皮肉ではないか。

わずか23小節の小品は、2001年に楽譜が発見され、ドビュッシー新全集に収められている。ぜひお試しあれ!

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