【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第17回 ホアキン・アチュカロ」(音遊人 2016年冬号)

ある音楽プロデューサーと話していたとき、何かのついでに、「日本にも若く優秀なピアニストがたくさん出てきているけど、その人たちが六十年、七十年を超えて活動していけるかどうか、何が決め手だと思いますか?」ときかれた。

即座に音だと思う、と答えた。単に美音というのではなく、その人の信条、美学、思想、そして人間性などが自すからにじみ出てくるような音。ピアノはときにたくさんの音をあやつるが、たったひとつの音でも人を泣かせることができる。そこまでの背景をもった音。

九月十六日夜、読売日本交響楽団との共演で聴いたスペインのピアニスト、ホアキン・アチュカロの音がそうだった。

一九三二年、バスク地方のビルバオで生まれたアチュカロは、今年八十四歳。頭髪こそ真っ白だが、背筋がぴんとのび、かくしゃくとした演奏スタイルは年齢を感じさせない。

ヘスス・ロペス=コボスの指揮で弾いたファリャ『スペインの庭の夜』は、香り高い名演だった。冒頭から高音のきらめく音に魅せられる。指のバネは非常に強く、ダイレクトなタッチで音を光らせる。かと思うと手首を巧みに使って響きを微細に混ぜていく。そのさじ加減がたまらない。

スペイン物特有のユニッソンのメロディは、ひとつひとつの音に民族の哀しみが宿っている。基本的に指を曲げたテクニックだが、ときどき指の腹で鍵盤をなでると、おもしろいように音色が変わる。オーケストラのうねりに合わせて肘をぐるぐるまわし、何回目かに弾きはじめる仕種がユーモラス。

ある意味でファリャ以上にぐっときたのは、アンコールに演奏されたスクリャービンの左手のための『夜想曲変二長調』。なめらかなアルペッジョと際立たせられるメロディ。ふとしたハーモニーの陰り。気持ちのうつろいに寄り添うルバート。決してベタベタした演奏ではないけれど、さりげない表情に万感の思いがこもっている。

スクリャービンの夜想曲は四日後の浜離宮朝日ホールでもアンコールに演奏された。

この日はリサイタル。前半、べートーヴェンの『ソナタ第十番』がすばらしかった。音と音の間から音楽への慈しみが溢れてくるとでもいおうか。個々の音はクリスタルのように透明なのだが、にもかかわらずよく歌う。印象的だったのは第二楽章の変奏曲。単純な和音がそのまま主題となっているのだが、アチュカロがポンとはずませると、立ち上った響きがそのままメロディとなって連なっていく。とても不思議な現象だ。左手に主題が移り、右手のシンコペーションがふくよかに装飾する第一変奏も、夢のように美しい。

後半は、お得意のスペイン音楽。モンポウ『十二の前奏曲』の第一番は、神秘的な音の連なりに耳を奪われる。「星でできた棕櫚の葉」と題された第七番は、すごみのある低音ときらめく高音のコントラスト、虹色に輝くアルペッジョなど、サウンドの魅力を堪能した。グラナドス『ゴイエスカス』から「嘆き、またはマハと夜鳴きうぐいす」は”音色の魔術師”アチュカロの独壇場。中音部で切々と歌われるメロディの上にしたたり落ちるトリルは、渦を巻いてはほどけ、また渦を巻いてからみつく。

おもしろかったのは、アルベニス『イベリア』から「港」と「エル・アルバイシン」。どちらも両手のすばやい交替が出てくるのだが、弾く前に何度か両腕を振り、予行演習するあたりは、『スペインの庭の夜』での肘をぐるぐるまわす動作を思い起こさせた。

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