【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第16回 イングリッド・フジコ・ヘミング」(音遊人 2016年秋号)

フジコ・ヘミングのリサイタルを聴くのは、集中的に取材して文芸誌『すばる』に記事を書いた二〇〇六年以来のことだ。このときは、サントリーホールもすみだトリフォニーホールも東京オペラシティも東京芸術劇場もいっぱいだった。十年後のフジコも相変わらず都内の大ホールを満員の聴衆で満たしつづけている。

今回興味を持ったのは、当初発表されたプログラムにシューマン『謝肉祭』が入っていたからだ。肘が強く、左右の跳躍に強いフジコだから、多くのピアニストが手こする『パガニーニ』もさほどむすかしさは感じないだろうか。クララをあらわす『キアリーナ』はどんなに情熱的に演奏されるだろう……等々、想像をふくらまぜる。

六月十二日、紀尾井ホールのチケットを取ったが、安川加壽子記念コンクールの審査が入り、知人に譲った。きいたら、『謝肉祭』は曲目になかったし、もちろん弾かなかったという。試してみてまだ出せる状態ではないと判断したのか。

私が聴いたのは同月二十四日のすみだトリフォニーホールの大ホール。シューベルト『即興曲第三番』ではじめ、当初から曲目に入れていたラヴェル『亡き王女のためのパヴァーヌ』につなぐ。テンポはゆったりしているが、広い音域にわたるためそんなに簡単な曲でもない。

フジコのパヴァーヌは、しっかりしたバス進行と伸縮自在なアルペッジョの上にメロディがきれいに乗っている。非常に美しい演奏だったが、一箇所ハーモニー進行がわからなくなり、唐突な転調でつないだ。フジコのコンサートではよくあることだし、音楽が自然に流れているのであまり気にならない。

前半の最後はモーツァルトの『トルコ行進曲付きソナタ』。音の粒がよく揃い、メロディはベルカントによく歌う。スタイル的にも適切で気持ちよく聴いた。

後半はドビュッシー『月の光』で開始。ほんの少しの揺らぎで聴き手に感動を与えるすべを知りつくした演奏。『雨の庭』はキレの良いタツチで軽やかに弾かれた。フジコの手は完全に脱力されており、左右の手の交代がスムーズで洗練された響きが出る。

最後は売り物のリスト。『パガニーニ大練習曲第六番』は、十年前にもショックを受けたほど遅いテンポで弾かれるが、音楽の形はくずれない。『ため息』はアルペッジョがしなやかで旋律がよく歌う。コンサートの度に最後に弾く『ラ・カンパネラ』も、以前よりもヴィルトゥオーゾ的な勢いや輝きが増したように思われ、プログラムには載せなかった『謝肉祭』の準備による隠れた効果を推察したりした。演奏家は、同じ曲目ばかり弾いているとテクニックや表現が固定されてクオリティが落ちてくる。二〇一六年十二月で八十四歳になるフジコの心意気を再認識するステージとなった。

この連載では、輝かしい経歴のピアニストが年齢を経て味わいを増す、あるいは若者より若々しい演奏を披露するさまを紹介してきた。しかし、フジコのケースは違う。NHKのドキュメンタリー番組で一躍世に知られるようになったとき、彼女はすでに六十六歳だった。フジコは最初からヴィンテージ・ピアニストとして出てきたのだ。

専門家サイドでは、フジコの演奏はテンポが遅くミスも多く、プロフェッショナルではないという批判が多かったように記憶している。今もそうかもしれない。

フジコ・ヘミングは、ある意味では遅く弾くほうが速く弾くよりもむずかしいこと、完壁な技巧よりも美しい音で歌うほうが人の心に届くことを身をもって示しつづけている。

2016年9月4日 の記事一覧>>

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