【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第15回 ルース・スレンチェンスカ」(音遊人 2016年夏号)

一九二五年、アメリカのカリフォルニア州に生まれたルース・スレンチェンスカは、九十一歳を迎えるユダヤ系ポーランド人。二〇〇五年、八十歳でステージは引退しているが、二〇一六年六月刊行予定のチャオ・ユアンプーによる対談集で非常に興味深いインタビューが収録されているので紹介しよう。

スレンチェンスカはきわめつきの神童で、四歳でリサイタルを開き、五歳でカーティス音楽院に入学、年上の同級生にチェルカスキーやアベイ・シモンがいる。六歳でベルリン・デビュー、九歳でラフマニノフの代役をつとめ、ニューヨークタイムズで「モーツァルト以来もっとも輝かしい神童」と称賛された。

師事した先生たちの名前がすごい。ラフマニノフをはじめ、ホフマン、コルトー、シュナーベル、ペトリ、バックハウス。

しかし、ヴァイオリニストだった父親からのスパルタ教育に反発を感じ、十四歳で演奏活動を引退、カリフォルニア大学で心理学を学ぶ。二十六歳で指揮者のアーサー・フィードラーに請われて活動を再開。世界の名指揮者と共演し、多くのLPをリリースした。

絶頂期の三十八歳で胃潰瘍になり、医者に「一年間休むか、死か」と宣告され、商業的な活動からは引退。サウス・イリノイ大学で教鞭をとり、多くの若いピアニストを育てた。

そんなスレンチェンスカの演奏を聴くことができるのも、岡山在住の歯科医師、三船文彰氏が彼女を招いて演奏会を開き、個人レーベルを立ち上げてライヴCDをリリースしたおかけだ。

二〇〇五年に岡山シンフォニー・ホールで開かれたラスト・コンサートの模様は『ルース・スレンチェンスカの芸術㈿』に収録されている。ショパンのスケルツォ四曲とバラード四曲は圧巻だ。とりわけ『バラード第四番』。悠揚ぜまらざる歩みとたっぷりしたサウンドで、行間にこめられたすべての感情が見事に描き出される。思索的であると同時に情感豊かな演奏。ここまで音楽を拡げた中で緊張感と統一感を保つのは、よほどの音楽力が必要だ。そしてもちろん、速度が必要なところは適切なテンポで弾いている。

ステージ引退後も岡山で録音はつづけられ、八十二歳のときにはクララ・シューマンが使用した一八七七年製グロトリアン・シュタインヴエッグによるアルバム、八十四歳でブラームス晩年の小品を集めたアルバムをリリース。いずれも至芸ともいえる名演だ。ドイツ・ロマン派もロシア音楽も堂々と弾きこなすスレンチェンスカは、実は小柄で手が小さい。九歳でべートーヴェンの『熱情』ソナタを弾いたとき、楽屋に二歳上の女の子が訪ねてきて、自分も手が小さいのであなたの指使いを教えてくれないかと頼んだ。その「女の子」こそスペインの名ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャである。

やはり九歳のとき師事したラフマニノフは対照的に巨大な手の持ち主だったが、ルースに指を伸ばしたり拡げたりする方法を教えてくれた。ラフマニノフ自身は手の小さなホフマンにあこがれ、彼のような明晰なテクニックを得るために必死で練習したという。

チャオ・ユアンプーによるインタビューでは以上のような興味深いエピソードが紹介されているが、もっとも胸打たれるのは、アラウがルービンシュタインやホロヴィッツ、ゼルキンを自宅に招いて新しいピアノを披露したときの話だろう。巨匠たちの間でもっぱら話題になったのは、音楽でも食事でもなく、「ステージに上がる前にどんな薬を飲むか」ということだったという。演奏前に緊張する点では、どんな名手も変わりないのだ。

2016年5月26日 の記事一覧>>

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