【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第14回 メナヘム・ブレスラー」(音遊人 2016年春号)

この記事は、二〇一五年十一月二十八日、サントリーホールでのメナヘム・プレスラーのリサイタルを聴いて書くつもりだった。同じ時期にN響とモーツァルトの協奏曲も予定されていたが、病気のためにドクターストップがかかった。同年の六月にはチャイコフスキーコンクールの審査員に招かれていたが、こちらもキャンセルしたので健康が心配だ。

何といっても、今年九十三歳なのである。

仕方なく、以前に入手していたDVDでモーツァルトの『協奏曲第二十七番』を聴いた。そして、自然に涙を流している。

二〇一二年十月の録音だから、このとき八十九歳。共演はパーヴォ・ヤルヴィ指揮のパリ管。「変ロ長調のコンチェルトは、天国的な部分もありますが、同時に悲しい個所もあります。しかし最後には、天国に入ってゆくのです」とプレスラーは語る。

フィナーレのテーマがたまらない。さまざまにキーが変わり、そのたびにプレスラーの表情もピアノの音色も変化する。オケのメンバーも指揮者も幸せそうに微笑んでいる。

アンコールはドビュッシーの『月の光』。行間から滲み出る慈愛。ここまで超越した心境に、いったいいつなれるんだろう。しかも、鍵盤の芯を的確に捉える素晴らしい指。

二〇一四年収録の二十三番とアンコールの『ロンド イ短調』も至福の演奏。

一九二三年ドイツ生まれ。ユダヤ人だったことからアメリカに移住し、一九五五年からインディアナ大学で教鞭をとった。同年に、ヴァイオリンのギレ、チェロのグリーンハウスと「ボザール・トリオ」を結成し、半世紀以上にわたって活動をつづけた。本格的なソロ活動は二〇〇八年に解散してから。二〇一四年一月、ベルリン・フィルで初めてモーツァルトの『協奏曲第十七番』を弾いてデビューしている。

インタビューでプレスラーは、「協奏曲を弾く際、ピアニストは技巧を披瀝して、賞賛を勝ち得たいと思うものです。これは私にとっては、重要でなくなりました」と語る。「以前はそうではなかった?」と質問されると、次のように答える。「そうです(笑)。私だって、他の人と同じでした。他の誰よりも綺麗で大きな音を出し、速いパッセージを華麗に弾きたいと思ったのです」

しかし彼はトリオに加わることになり、そこで音楽そのものに奉仕することを学んだ。「音楽では、一番速く弾ける人がチャンピオンではありません。あるフレーズを、本当に美しく弾くことができる人がチャンピオンなのです」という言葉には説得力がある。

二〇一一年三月、パリのシテ・ドゥ・ラ・ミュージックでのリサイタルを収録したDVDは、まさにプレスラーがチャンピオンであること証明している。

ベートーヴェンの『ソナタ第三十一番』。特別なことは何もしていない。しかし、何という美しさだろう。そこには押しつけがましさも悟りきった嫌らしさもない。目の前にあるフレーズを慈しんで大切に弾くこと。なるべく、音楽があるがままの姿で。それでも、工夫はしている。第一楽章の最後、コーダ部分が短く、座りが悪い。プレスラーはさりげなく音楽の行間をひろげ、全体のバランスをとる。あくまでもさりげなく。

二〇二二年十一月、九十歳のバースデーを祝ってサル・プレイエルで開催されたコンサートでのプレスラーほど幸ぜそうな演奏家を知らない。テノールが歌うシューベルト『鱒』のピアノを弾き、ついで孫のようなエベーヌ弦楽四重奏団と『鱒』を共演する。プレスラー自身がきらきら光る音で爽やかな流れをつくり、魚のように楽しげに跳ね、音楽と戯れる。

好奇心旺盛な目で団員たちにアインザッツを送るプレスラーは、誰よりも一番若かった。

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