【連載】「3つのアラベスク—宮城道雄とドビュッシーをめぐる随筆(終) 第三回 水に憑かれた作曲家」(宮城会会報224号 2016年1月号)

宮城道雄の作品表をみると、水にちなんだ作品がとても多く、ついついドビュッシーを連想する。

名作『春の海』(一九二九)は、正月中旬に皇居でとりおこなわれる歌会始の御題「海辺巖」にもとづき、かつて訪れた瀬戸内海の島々を思い浮かべて作曲された。

宮城はそれ以前にも《瀬音》(一九二三)を書いている。「利根川の辺にて得られた印象」をもとにした作品で、激しい川の流れは箏の旋律で、穏やかな水面は十七絃であらわしたとされる。一九五三年、亡くなる少し前には独奏曲《ロンドンの夜の雨》を作曲した。ロンドンに滞在していたころ、窓から聞こえてくる雨の印象をもとに即興で書いたという。

ドビュッシーやラヴェルなど、フランス近代のピアノ曲のきっかけとなったのは、ロマン派の作曲家リストの《泉のほとりで》や《波を渡るパオロの聖フランチェスコ》《エステ荘の噴水》である。

このうち《泉のほとりで》は「巡礼の年第一年」(一八五五)に組み込まれた佳品で、タイトルはドイツの詩人シラーの『追放者』からとられている。瑞々しいメロディが水のせせらぎを思わせる繊細なアルペッジョに装飾され、きらめくさざ波がしぶきをあげる。《波を渡る……》は「二つの伝説」(一八六五)の一曲。イタリア半島とシチリア島を隔てるメッシーナ海峡に立った聖人がマントを脱いで荒れ狂う海の上にかけると波がおさまって渡ることができたという伝説にもとついている。聖人を象徴する厳かな主題が波を思わせるトレモロの上で奏でられ、トレモロが大波のうねりを思わせる半音階にかわると、二つの線はひとつのアルペッジョとなって炸裂する。

《エステ荘の噴水》(一八七七)は、リストがローマ郊外の貴族の別荘に滞在しているときに作曲された。エステ荘の庭園には大小さまざまな噴水があり、リストは吹き上げられた水が滝をなして降り注ぐさまを眺めて何時間もときを過ごしたという。

リストの《エステ荘……》は、ピアノの高音のきらめきを巧みに利用した作品で、左手が牧歌的な旋律を歌う上で、右手が水の飛翔を思わせる軽やかなパッセージを奏でる。クライマックスではすべての噴水が一度に吹き上がるような轟音の中、雄大な歌が沸き起こる。

この《エステ荘の噴水》や《泉のほとりで》にヒントを得て《水の戯れ》(一九〇一)を書いたのがラヴェルである。《エステ荘……》を裏返しにしたような作品で、近代風の響きの上で、作曲者自身の言葉を借りれば「水のさざめきや、噴水、滝、小川が織りなす音楽的な響き」が透明な音色でつむぎあげられている。

その四年後、ドビュッシーは「映像第一集」の第一曲として《水の反映》という水にまつわるピアノ曲を書いた。交響詩《海》を作曲した同じ年だ。

ラヴェルが水の諸様相を音で描写したのに対して、こちらは水の表のさまざまなうつろいを眺める作曲家の心象描写のようなところがある。なめらかに水面にひとしずくの粒が落ち、それが徐々に波紋をひろげて渦を巻き、やがて大きなうねりとなる。

うねりがおさまったあと、水面はかすかにゆらぎつつ、もとの静けさに戻っていく。

ドビュッシーには、一九〇七年作の「映像第二集」第三曲《金色の魚》もある。こちらは日本の蒔絵の箱に刻された緋鯉をテーマにしたもので、ざわめく波の上で元気に泳ぎ、飛翔する魚の姿が活き活きと描写されている。

いっぽうラヴェルは一九〇八年作の「夜のガスパール」の第一曲《オンディーヌ》で、人間の男の住む窓辺にはりつく水の精の歌を妖艶に描写してみせた。うちふるえるしずくを思わせる右手の細かいトレモロの下で、オンディーヌは「私は湖の王の娘、私の指輪を受け取って、ともに湖の宮殿をおとずれてください」と哀願する。トレモロはやがて大きな盛り上がりをみせ、リストの作品のようにさかまく波となって轟きわたる。

宮城道雄がわずか一四歳で処女作《水の変態》を作曲したのが、同じ一九〇八年なのである。これは驚くべきことではないか。きっかけは、弟が『高等小学読本』を朗読するのをきいて、霧・霰・雲・露・雨.・霜・雪といった水の諸様相を連作短歌に詠み込んだテキストに興味をもったことだという。

録音を聴くと、最初に箏によって前奏が演奏され、「霧の歌」が伴奏つきで歌われ、ついで間奏がはいる。さらに「雲の歌」「雨の歌」「雪の歌」「霰の歌」「露の歌」が、ときに技巧の難しいソロをはさんで歌われ、「霜の歌」でしめくくられる。箏のパートは多彩で、たとえば「雨」はしとしと降っている様子、「霰」はパラパラ降っている感じなどが巧みに表現されている。とても一四歳の作品とは思えない完成度の高さで、あらためて宮城は天才であったのだと思う。

水の諸様相には、ドビュッシーもまた敏感で、生涯にわたってさまざまな作品を書いている。オーケストラのための「夜想曲」第一曲は《雲》。空を物憂げに流れていく雲を描写しながら、そこに心象風景を投影させる。ピアノ組曲「版画」の第三曲は《雨の庭》。からんと乾いたパリの歩道にパラパラ降る雨は、やがてどしゃ降りになる。

やはりピアノ組曲「子供の領分」には《雪は踊っている》という作品がある。あとからあとから降ってくる雪の片(ヒラ)は見る者を異次元に誘う。ピアノのための「前奏曲第一巻」の第一曲《霧》は、わざと合わない音を漂わせた神秘的な作品。歌曲集「ビリティスの歌」の第三曲《ナイアッドの墓》には「霜」という言葉も出てくる。

こうしてみると、宮城道雄とドビュッシーは、東洋の音楽家でありながら西洋に歩み寄り、西洋の音楽家でありながら東洋の要素を取り入れたということ以外にも、「水」を通して、天才だけがもつ親和性でむすばれていたような気がしてならない。

2015年12月30日 の記事一覧>>

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