「吉田秀和さんのお葉書」白水社創立百周年記念冊子 2015年4月

吉田秀和全集

吉田秀和さんのおはがき

「ボクのことを秀和さんと呼ぶのはあなたと青柳いづみこさんだけなんだよ」

吉田秀和さんは、朝日新聞文化部の吉田純子さんにそう言っていらしたそうだ。吉田純子さんは同姓だから便宜上仕方なくだが、私はどうも、他の方々のように「吉田先生」と呼ぶ気になれず、いつも「秀和さん」で通していた。

とはいえ、そんなに親しかったわけでもない。吉田さんの批評対象は海外のスター・アーティストに限られていたから、国内で細々と活動する私などお目に止まるわけもなく、『翼のはえた指』(白水Uブックス)で吉田秀和賞をいただき、水戸芸術館での授賞式でお会いしたのが最初だった。

それからは、本をお届けするたびに「おもしろかった」「おおいに健筆をふるってください」というような意味のお葉書をくださるようになった。

奥さまを亡くされ、膝を痛めていらしたときに、鎌倉のお宅に伺ったこともある。「お茶の時間にいらっしゃる?」と優雅に誘っていただいたものの、家の中には他に誰もいないので、紅茶は私が淹れ、クッキーも「その缶にはいっているから」と言われて自分でサービスした。

そのとき吉田さんは、「僕は批評を書くので演奏家とは癒着になるからあまり会わないんだけど、あなたはもう僕らの仲間なんだから、たびたび遊びにいらっしゃい」と言ってくださった。有り難いお誘いなのだが、私は自分を評論家とは思っていなかったので仰せのとおりにするわけにはいかない。吉田さんに批評を書いていただくような存在ではなくても、現場のピアノ弾きとしてモノを書いていきたいと思った。音楽は自分でやってナンボのものだと信じているからだ。

『翼のはえた指』が白水Uブックスにはいるとき、吉田さんに解説を書いていただいた。「平成の才女」というタイトルはいただけなかった(”才女”よりは可愛い女でいたいと思っているので)が、私のスタイルについて、「自分の頭と心と身体でよく知り、たっぷり経験していることを、具体的に、誰にもわかるはっきりした文章で書く」と総括してくださったのは嬉しかった。

その後、グレン・グールドの本で行き詰まっていたとき、もう一度鎌倉詣でをした。吉田さんは私の訴えをきいて、実に的確なアドバイスをしてくださった。日が暮れてきてお部屋は真っ暗になったが、吉田さんは電気をつけにいかないし、私は電気のスイッチがどこにあるのかわからない。暗闇の中でのやりとりは頭が冴えてとてもスリリングだった。帰り際、私を送って廊下に出た吉田さんは、ポツリと「ボクはね、死ねないんだよ」とつぶやいた。

吉田さんのアドバイスに力を得てグレン・グールドの本も順調に書きすすみ、筑摩書房から刊行されたとき、「これまで誰も多分ー踏みこんだことのないところまで目の届いた分析、胸のすくような名文の幾つか」という勿体なさすぎるコメントをいただいた。

それが吉田さんからいただいた最後のお葉書になった。

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1975年刊行開始、2004年全24巻完結
偉大なる評論家の業績を集成。当初全10巻で進められたが、続判の要望こ応え79年に3冊、86年に3冊、2001年に6冊が加えられ、最終的に吉田氏の2003年までの著作2冊を加えて完結した。

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