「日本を掘り出す下--骨董 文士の系譜」(日経新聞2015年1月11日朝刊)

本物を見抜く圧倒的な力

ー級の先達が示した哲学

青山二郎と同様、多くの文士仲間に「骨董病」を感染させた人物がいる。仏文学者で翻訳家の青柳瑞穂だ。

「孤独な散歩者の夢想」などの翻訳で知られるが、骨董商顔負けの掘り出しをした目利きでもあった。鎌倉時代の古い能面、尾形乾山の色絵皿など、骨董狂でも一生に一度出合えるかという名品をいくつも探し当てた。左の尾形光琳筆の絵は、格安で手に入れ、後に光琳唯一の肖像画と判明した。横行する贋作の中で真作を見つけるのは「浜の真砂(まさご)の中から、一粒のダイヤを探し出すようなもの」と喜びを書いている(「掘出しというこど」)。

瑞穂が住んだ東京・阿佐谷界隈(かいわい)には、ほかにも大勢の文士がいた。井伏鱒二を筆頭に外村繁、太宰治、亀井勝一郎、火野葦平、上林暁らが「阿佐ヶ谷会」を結成、瑞穂は家の一室を会合場所に提供し、集めた骨董で酒食をふるまったそうだ。それ以外でも会のメンバーは掘り出しを聞くたびに瑞穂の家に駆けつけている。ところがーー。

「骨董のことで冗談口をきくと青柳君は腹を立てた。ことに掘出しものをしたときなど、僕などそれを見に行って混ぜ返しをいうと忽ち腹を立てた」(井伏鱒二「青柳瑞穂と骨董」)。「見せてくれ」でなく「眼福の栄にあずからせてくれ」と言わないと機嫌を損ねる。掘り出しの能面を見てくすっと笑った作家が絶交を言い渡され、井伏が仲を取り持ったという話もある。

「ふだんは温厚で、自分の感情を表に出さない人でしたが、骨董の目利きという自負もあり、大切なものを見せるときは様子が違ったようです」。瑞穂の孫で評伝の著書もあるピアニストの青柳いつみこ氏はそう話す。「太宰治が祖父の家の物はみんな骨董だと勘違いして、ヤカンまでほめたという話があります。むしろ文士たちのほうが、うまく話さなきゃと思って緊張していたのでしょう」。神妙な面持ちで「眼福の栄」にあずかっている面々を想像するとなんだかおかしい。

ともあれ、瑞穂のおかげで目が肥えた井伏は、その後も骨董や骨董仲間をテーマに多数作品を書いた。山っ気たっぷりの骨董鑑定士を描く「珍品堂主人」。難破船から古備前を引き揚げようという怪しげな投資話をめぐる「海揚(あか)り」。戦国時代の隠者たちの架空の茶会をつづった「靹(とも)ノ津茶会記」は、茶器や掛け軸などの事細かな描写が骨董好きの面目躍如だ。こうした作品の端々に、瑞穂の見えない影を感じる。

蒐集(しゅうしゅう)家としての井伏は備前焼を愛した。生誕地の広島県福山市にあるふくやま文学館に、旧蔵の備前が多数ある。右下の赤い火鉢もその一つ。釉薬(ゆうやく)を使わず、絵付けも装飾もない素っ気ない焼き締めの肌に、火と土が無限の変化を浮かび上がらせる。どこか井伏文学に通じるものがないだろうか。

瑞穂もまた無釉の陶を愛した。焼きものの古里であり、「備前と信楽の美しさがわからなかったとしたら、日本陶の散歩なんてまったく意義がない」とも語っている(「骨董夜話」)。

そんな瑞穂が戦中に静岡の農家で手に入れた平安時代の無釉陶器の壺がある。人為的な施釉(せゆう)はないが、窯の中の灰やガラス質が自然に降って表面で溶けた見事な「自然釉」がかかる。これは陶磁暗黒時代といわれる平安期にあって極めて珍しいという。実際、瑞穂の入手後まもなく帝室博物館(現東京国立博物館)に展示され、後に「日本名陶100選展」で全米を巡回した。

静岡県三島市の佐野美術館が9日から展示しているこの壷に対面した。

左右非対称のいびつな形、炭か陶土がごりっとこびりついた肌はお世辞にも”平安美人”とは言えない。その肌を萌黄(もえぎ)色の自然釉が覆い、流れの先が深い空の色に変わる。巧(たく)まざるその青は、壺を考古学的な存在から鑑賞される美へと価値を塗り替える、いわば始まりの青だ。「美しく飾ろうという作り手の作為がまったくないことに、瑞穂は惹(ひ)かれたようですね」と同館の志田理子学芸員。持ち上げると、不器用な土の重みが両腕にかかった。

壺が発見された静岡県引佐(いなさ)郡(今の浜松市北区)に足を伸ばした。日本のどこにでもある田園風景が広がり、その中を都田(みやこだ)川が流れていた。浜名湖に悠々と注ぐこの川の下流のどこか、水が引いた土砂に壺は出た。夏休みの小学生たちが見つけて掘り出し、農家の中庭に置かれた。1939年の夏の盛り、瑞穂がそれを初めて目にする。

「柿の青葉から洩(も)れる日光を受けて、この壺の半面をうずめている碧(あお)色の自然粕はかがやくようで、私は目くらむ思いさえした」(「ささやかな日本発発掘」)

遠江(とおとうみ)の引佐細江の水よりも青きこの壺めでたかりけり、と歌まで詠んで掘り出しを言祝(ことほ)いだ瑞穂。手に入れた壷を片時も離さず、戦争中も眺めて暮らし、日々の不安をまぎらせた。

文 富田律之

青柳瑞穂旧蔵渥美壺

(平安時代、陶器、口径18・2㌢、高さ32・3㌢、個人蔵)
静岡県の都田川の土砂から出たというこれぞまさしく掘り出し物の壺。自然紬の生み出す色彩と肌合いにほれ込み、青柳は戦時中も飽かず眺めた

青柳瑞穂旧蔵尾形光琳筆「中村内蔵助像」

(1704年、江戸中期、絹本著色、109.6×46.6㌢、大和文華館蔵、重要文化財)
これも瑞穂の掘り出し物。骨董屋でほかの客の交渉を傍らで聞きながら「全財産を出してもいい」と思ったが、結局格安で射止めた

青柳瑞穂旧蔵の壷が掘り出された都田川

井伏鱒二旧蔵古備前火鉢

(陶器、径33.5㌢、ふくやま文学館蔵)
備前が大好きだった井伏。生地福山市の文学館には多数の旧
蔵品がある。この火鉢は復元した書斎に置かれている

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