【連載】「ヴィンテージ・ピアニストの魅力 第9回 バドゥラ=スコダ」(音遊人 2014年12月号)

2014年6月5日、パウル・バドゥラ=スコダの「ラスト・コンサート」を聴いた。

グルダ、デームスと並ぶ「ウィーン三羽烏」。1927年生まれの87歳。音楽というのはたすさわる人の細胞を活性化させ、若返らせる特効薬なのだとあらためて思う。

すみだトリフォニー大ホールで聴いたスコダの音楽は、少し前に聴いた五十代のプレトニョフや昨年聴いた六十代のラドゥ・ルプーよりはるかに若かった。

プレトニョフやルプーが哲学的に楽譜を読み込み、沈思黙考して自らの中に閉じこもってしまうのに対して、スコダは少年のように目を輝かせ、すべてに好奇心をもち、あらゆる展開に活き活きと反応する。心を開いて聴衆とコミュニケーションをとろうとする。

おそらく右手に何か障害を負っているのだろう、ときに指がもつれ、あらぬ方向に走り出す。困難なパッセージは左手を足して弾いている。ときに聴き苦しい個所もあったが、そうしたものを超えて、音楽することの溢れんばかりの喜びが伝わってくる。

前半はソロで、モーツァルト『幻想曲二短調』、ハイドン『ピアノ・ソナタハ短調』、シューベルト『即興曲作品九十』。演奏ピアノはもちろんウィーンの銘器べーゼンドルファー。

『幻想曲』の序奏は暗く重い和音ではじまる。スコダの指がべーゼンからひきだす豊かな響きが会場を包み込む。アダージョのカンティレーナでは、やや速めのテンポをとり、いたずらに詠嘆調に陥ることなく歌っていく。後輩のピアニストたちならきっと、蝿が止まりそうなテンポでモーツァルトの「心の闇」を描き出そうとするだろう。

はじけるような生の喜びは、シューベルトの『即興曲』でも感じられた。この作曲家特有の長調と短調の交替。若くして亡くなることを運命づけられた魂の悲哀と諦観の念。近年は影の部分に光を当てる演奏家が多いが、スコダはあくまでもポジティヴに、友人たちに囲まれて幸せに作曲・演奏していたシューベルトの姿を描き出す。

後半は東京交響楽団との共演でモーツァルト『ピアノ協奏曲第二十七番変ロ長調』。

演奏に先立って、スコダの助手をつとめていた今井顕の通訳で、作品についての簡単な解説があった。

この作品はモーツァルトが書いた最後の協奏曲で、聴衆の前で弾いた最後の協奏曲でもある。フィナーレのロンド主題には、子どものための歌曲『春への憧れ』の旋律が引用されている。スコダはこのメロディを弾きながら、歌曲では「喜ばしげに」と書かれているが、協奏曲のロンドになるともう少し複雑で少し淋しい感じがする……と語っていた。

スコダといえば学究肌のピアニストとして知られ、豊富な知識とすぐれた理論で数々の著作も書いている。しかしこの日の演奏は、アカデミックで衒学的な解釈……という印象から遠く、モーツァルトの白鳥の歌というたそがれたイメージもなく、澄みきった秋の空のように晴れやかだった。

アンコールとして演奏されたモーツァルト『アダージョ(グラスハーモニカのための)』が印象に残った。これは、モーツァルトが盲目の女流グラスハーモニカ奏者マリアンネ・キルヒゲスナーのために書いた作品である。

濡らしたグラスに指をふれるとかすかな音がするが、グラスハーモニカはこの発音機能をもとにした楽器。避雷針の設計者として知られるベンジャミン・フランクリンが開発したが、のちに廃れてしまった。

スコダは透明なタッチと巧みなペダリングを駆使して、グラスハーモニカの天上的な音色をピアノで再現してみせた。

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