【連載】「フレンチ・ピアニズムの系譜 第3回 マルグリット・ロン」(NHK文化センターメンバーズ倶楽部 2014年秋号)

マルグリット・ロン(1874〜1966)

今もロン=ティボー・コンクールで名を残しているマルグリット・ロンは、フランスの偉大なピアニスト、教師の一人である。門下生はサンソン・フランソワ、フィリップ・アントルモン、ガブリエル・タッキーノ、ブルーノ・レオナルド・ゲルバーなど多士済々である。

ロン夫人は典型的な「ハイ・フィンガー・テクニック」の推進者で、生徒たちは「曲げた指を高く上げて強く打ち下ろすように」と習った。こうして、「ジュー・ベルレ(真珠のようにひとつひとつの音の粒をそろえる)」奏法が生まれた。ロン夫人自身がこの奏法でピアノを弾いていたらしい。

ある生徒はこう回想している。「ロン夫人はすばらしい指のテクニックを持っていた。それはモーツァルトを弾くのにはとても適していたが、指の力だけに頼るのであまり音量は出なかった。彼女は、ピアノを弾くのに重要なのは指のつけ根の関節と手首だと信じていた」

先に紹介したルイ・ディエメールは、生徒が弾けなくて困っていても、ただ練習するようにとしかアドバイスできなかったようだが、ロン夫人は的確な診断をくだし、よく効く薬を与える医師のようだったと別の生徒は書いている。ものの10分もしないうちに、彼女は「うまく行っていない」演奏をまったく別ものに変えることができた。ほんの初心者からマスタークラスのセミプロまで、それぞれのカテゴリーの生徒たちのレヴェルを驚異的にひきあげることができた。といっても、奏法に限界があるから、おのずから効果のあがる作品にも限界があった。ガブリエル・タッキーノは、彼女のピアノ技法はロシアン・ピアニズムとは真逆だったが、フランス音楽、とくにドビュッシーやラヴェルにはぴったりだったと回想している。

ロン夫人は、晩年のドビュッシーに『喜びの島』や『練習曲』のレッスンを受け、その指導について本を書いている。ラヴェルが『ピアノ協奏曲ト長調』を作曲したとき、最初は自分で弾き振りをするつもりでいたのに体調不良ともあいまって間に合わず、急遽ロン夫人に依頼することにした。ロン夫人は2ヶ月近く必死で練習し、1932年1月に初演にこぎつけた。このときの録音が残っている。さすがに「ジュー・ペルレ」で細かいパッセージやトリルは見事だが、きわめてあっさりした弾きぶりで、もう少し歌ってほしいという不満は残る。冒頭のソロなど、エキゾティックな魅力に満ちているのだが。

作曲家直伝のドビュッシーの録音も残っている。ドビュッシーはラヴェルに比べてピアノが格段にうまく、「ビロードのようなタッチ」を愛でられていたが、ロン夫人が弾く『アラベスク第1番』はきわめて素っ気ない演奏で肩すかしをくわせられる。しかし、『同第2番』の鮮やかさ、切れのよさはさすがで、このピアニストがただものではなかったことを窺わせる。

CD:マルグリット・ロン、協奏曲録音集
   〜ショパン、ラヴェル、ミヨー、モーツァルト、ベートーヴェン

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