【今月の本棚】米原万里 著「オリガ・モリソヴナの反語法」(すばる 2002年12月号)

謎解きのスリル、女性たちの連携

ピアノ教師は、よく「反語法」を使う。「あーら、お上手ねぇ」は下手クソということだし、「まあ、きれいな音!」と言ったら、とんでもなく汚い音の意味。弘世志摩のダンスの先生、ユダヤ系ロシア人のオリガ・モリソヴナのも、「美の極致」とか、「腐れキンタマ」とか、すさまじい反語や罵倒語を口にする。その語法の裏には、何が潜んでいるのだろう? 一九六〇年、プラハのソビエト学校で彼女に出会った志摩は、連邦崩壊後モスクワに行き、二十八年ぶりに再会した同級生カーチャと「オリガの謎」を追う。

オリガと同僚の先生エレオノーラ・ミハイロヴナは、どうして「パイコヌール」と「アルジェリア」に異常な反応を示すのか? 二人をママと呼ぶバレリーナの卵、ジーナの出生の秘密は?  どうしてふとっちょの大佐は、オリガを見て転倒したのか?

八月の前調査では手がかりがつかめなかったが、二ヶ月後に再訪したときは、一週間足らずで次々に謎が解明される。ひとつひとつの発見が子供時代の記憶に結びつき、ジグソー・パズルが埋められていく過程はスリル満点だ。多少、ことが迅速に運びすぎるような気もするが、協力者がほぼ全員女性だから可能だったのだろう。外務省資料館の女性はカーチャを捜してくれたし、カーチャは図書館員の立場を利用して貴重な資料を入手してきた。バーのショー・ダンサーも、バレエ学校で見かけた少女も、即座に事態を理解し、有力な情報を寄せた。 もしこれが「夫」だったり現地調達の「恋人」だったりしたら、たてまえ主義の男どもが、そんなことはすべきではないとか、しかるべき段階をふんでからとかブレーキをかけ、せっかちな志摩をイライラさせ、事態を混乱させたかもしれない。

私がわんわん泣いたのは、スターリンの死後、ジーナを連れてプラハに逃れたオリガが、部屋を総鏡張りにし、ジプシー・ダンスを踊るシーン。十八年も舞台に立っていないオリガは、老醜を直視し、ブランクを認識するために鏡を張らせたのだが、ジーナは「ママ」の踊りに感動し、最後まで見せてほしいと懇願する。オリガが踊るにつれ、 ジーナの身体が自然に動き出した。リズム感がよく、筋肉も柔らかい上にバネがある。オリガが教師の本能に目覚め、彼女を踏り手に育てようと決心した瞬間だった。

本筋とは無関係だが、日本の高名なバレエ団とバレリーナを暗に批判したくだりも痛快。

2002年12月20日 の記事一覧>>

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