【特集】「ロートレアモン 未来の詩人」(現代詩手帖 2003年3月号)

青柳瑞穂とマルドロール

石井洋次郎は、その記念碑的労作『ロートレアモン全集』(筑摩書房)の「訳者解説」で、『マルドロールの歌』に対する一般的な反応は二つに分かれる、と書いている。

「嫌悪と当惑に眉をひそめながら書物を投げ出す人々と、体内に浸透する書物の毒にみずから進んで惑溺しようとする人々と」

私は、そのどちらでもない。強いて言うなら、内部に巣くう毒に感応しあってしまった、というような感じだった。もっとも、私のロートレアモン体験は自発的なものではなく、いつとも知れぬころに読んだ、亡き祖父青柳瑞穂訳のわずか十ストローフに拠っているのだから、そこからしてすでに一般的とは言い難いだろう。

もとより、シュールレアリスムの言語遊戯など知らぬころである。だから、百パーセント自分にひきつけた読み方をした。瑞穂のつけたタイトルによれば、「僕はきたならしい」(4-四)など、我が身の醜さにひき比べて読み、自虐的な快感があった。「自分に似ている人」(2-十三)も同様である。もしかすると、私は今も鱶と結婚しているのではあるまいか。「馬車は逃亡する」(2-四)も、自意識過剰で、人なかに出ると気おくれしてしまう私には、少年の疎外感が痛いほど感じられた。そして、ピアノ教師になった今は、「少年の血」(1-六)をめぐるサディズムとマゾヒズムの相剋がよくわかる。

瑞穂自身はどうかというと、さほど共感をもって訳しはじめたのではなさそうだった。前川嘉男によれば、もともと堀口大学がシュペルヴィエルから託された原本を、気味の悪いものがあまり好きではない堀口が弟子にまわしたのだという。

昭和六年、堀口の主宰する雑誌「オルフェオン」(第一書房)で1-六、2-五、4-二、四、八が訳出され、昭和八年には1-十二を加えた六節が椎の木社から出版された。さらに1-九、2-四、十三、6-七の四節を足し、計十節を青磁選書としてまとめたのは、戦後のことである。栗田勇が新宿のとある曖昧飲屋で発見したのは、この版だった。

手許に、新庄嘉章の依頼で残りの四節を訳出していたころの日記がある。最初にとりかかったのは「馬車は逃亡する」で、昭和二十一年六月二十一日訳了。翌二十二日には、こんな記述が見える。「マルドロオール(ママ)を訳す。己れに似た魂を求むる章。訳にあまり熱がのらない」。以降、翻訳に気乗りしない日々がつづき、七月十日には「マルドロールむづかし」と書いている。その後、いったん青磁社で単行本として出る話があったようだが立ち消えになり、瑞穂はルソー『孤独な散歩者の夢想』の翻訳に専念した。

正式に依頼があったのは翌二十二年七月。八月中に序文とあとがきも完成し、本が出来るのを待っている間、瑞穂はウープランという若い銅版画家の挿絵入りの詩集に接する機会を得た。「長い凝視に耐えられないほど凄惨な」その挿絵を見るうちに、「戦慄からくる一種の快楽に痺れた」瑞穂は、今度は自発的に、もう少し訳してみたい心持ちになったらしい。このとき訳出された1-十三、4-六は、駒井哲郎の銅版画五葉入りで刊行された豪華本(木馬社・昭和二十七年)に収められている。

十一月四日、ようやく本が届けられた。日記で「あやまり多く、見るにしのびず」と書いている。4-四の冒頭など、青磁選書では「僕は醜いらしい」となっているが、のちの版では「きたならしい」に改訂されている。誤植だったのだろう。十日には、「友人知己に送った」。瑞穂は、訳書ができると、阿佐ヶ谷文士と言われた井伏鱒二や上林暁、木山捷平などの私小説作家たちにも贈るならわしにしていた。友人たちの感想は、日記に写している。レニエ『ある青年の休暇』やルソー『孤独な散歩者の夢想』などは井伏や上林から称賛の手紙が来たが、マルドロールについては、何も記されていない。自然主義の流れを汲む私小説作家たちは、文字通り「眉をひそめながら書物を投げ出した」のだろうか。

十一月十三日の日記には、「午後太宰君を訪れる。マルドロールを寄贈」とある。このときの情景は、『群像』に寄稿した「太宰の死」に詳しい。

「彼の死ぬ数ヶ月前、一度会って大いに酒をのみたいから、遊びに来てほしいといふハガキに接し、一夜、私は彼の宿で夜を徹したことがある。彼は友人の文学者を片っぱしからこきおろし、ただほめるのは豊島興志雄と青柳瑞穂だけだった。けなす時には、無責任に自分勝手に言葉を弄したが、ほめる時には、そばにはんべっている女性(この人が心中の相手だった)にいちいち同意を求めたので、豊島興志雄の場合はスムーズにいったが、始めて会って、名前も始めて知ったにちがひない青柳瑞穂では調子を合はせることも出来ず、よほど困っていたらしい。彼女は正直な心の持主であると、その時私は思った」

マルドロールに関する太宰の感想は残されていないが、たぶん彼は、「体内に浸透する書物の毒にみずから進んで惑溺しようとする」人だったのではないかと思う。

太宰の小説は、読者の一人一人に語りかけているような錯覚を起こさせる、とはよく言われることだが、瑞穂の『マルドロール』の訳文にもそんなところがあり、テキストのリズムを変え、可能な限り読み手と書き手の距離を縮める努力をしているように思われる。

たとえば、「僕は自分に似ている魂を有った人を探していた」ではじまる2-十三。原文に忠実に訳すなら「探していたが見つけられなかった」とするべきだろうが、瑞穂はいったん読点を打ち、「さうして、さういふ人を見いだすことは出来なかった」と哀切をこめてたたみかけている。「そのくせ、僕には一人ではいられないのだった。誰人か、僕の性格を是認してくれる人が必要なんだ。誰人か、僕と同一の思想を抱懐している人が必要なんだ」というくだけた書き方も、読み手に親近感を起こさせる効果があるに違いない。

私は翻訳のことはよくわからないが、演奏家には大雑把に分けて二つのタイプがある。テキストを知的に解釈し、音に置き換えていく人と、テキストの中にはいりこみ、作曲者の心を心とする人と。この分類が翻訳にもあてはまるとすれば、瑞穂は後者の方だった。ルソー『孤独な散歩者の夢想』を翻訳しているときは、気むずかしいルソーが乗り移ってしまい、モーパッサン『水の上』を訳しているときは、自分まで神経衰弱になる。

『マルドロール』でも、少なからず個人的な感情を投影させていたふしがある。彼には、自分に全幅の信頼を寄せ、無私の愛情で接する者をことさらに引き裂くという悪い癖があった。そんな背景をふまえながら読むと、「君は一人の人間を苦しめながら、然もその同一人から愛されることになるのだ。それは、人間に考へ得られる最上の幸福といふものだ」という「少年の血」の一節など、何と真実味をもって迫ってくることよ。

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