【蔵書の中から】蔵原伸二郎 著「東洋の満月」(日本近代文学館館報 第193号 5月15日)

私自身はあまり本を持たない主義で、調べものなどは近くの杉並区立中央図書館ですませることにしている。フランス世紀末文学に関するジャン・ピエロの評論『デカダンスの想像力』(白水社)などは、何度借りたことだろう。古書店で捜せばあるはずだが、私はどうも本が並んでいるところは苦手で、すぐに頭が痛くなってしまう。従って、蔵書にも語るべきものは少ないが、私が自慢なのは、亡き祖父青柳瑞穂の本棚だ。

祖父には、三つの顔があった。第一はフランス文学者。モーパッサンの短編集やレニエ『水都幻談』、ロートレアモン『マルドロオルの歌』、ルソー『孤独な散歩者の夢想』などの翻訳は、今もかろうじて文庫本として読めるらしい。私が好きなのはごくごくマイナーな訳本で、ガスカールの『種子』(講談社)は、フランスの仮綴本のスタイル。シュールレアリスムの作家グラックの『アルゴオルの城』には、人文書院刊の古い本と、現代出版社から出た新しい本がある。いずれも、祖父の生前、全く売れなかった本たちだ。

稀覯本としては、昭和六年先進社刊の『怪談・フランス篇』。表紙には三岸好太郎の手による黒猫を模した版画が描かれ、金色の目が光っている。箱は、目の部分だけがくりぬかれていて、なかなか手の込んだ仕掛けだ。レズビアンの恋人たちを歌ったヴェルレーヌの艶情詩集『女友達』(大雅洞)には、エロチックなエッチングが添えられている。

祖父はもともと詩人として出発したが、すぐにやめてしまったから、詩集は二冊だけ。処女詩集は、「今日の詩人叢書VI」(堀口大学監修・第一書房)として刊行された『睡眠』。第二詩集は、その他の創作詩や訳詩を集めた『睡眠前後』(大雅洞)で、木馬社刊の豪華本『マルドロールの歌』で親しくなった版画家、駒井哲郎が一葉のエッチングを寄せている。

祖父の第三の顔は骨董蒐集家で、もしかすると本業よりも名を成したかもしれない。骨董随筆を主とした祖父のエッセイ集は二冊あり、講談社文芸文庫にはいった『ささやかな日本発掘』は新潮社刊。祖父はなかなか造本に凝る方で、表紙は緑色のクロース紙、中身は鴎外が老母を思って作ったという『即興詩人』初版本をヒントに、文字が大きくて余白の少ないノートスタイルにしたとか。二冊目の『壺のある風景』(日本経済新聞社)は、明朝の呉須赤絵の水滴、オコゼの形をした織部のパイプなど、祖父が身近に置き、始終いじくりまわしていた骨董の数々を図版にした、楽しい本だ。

祖父はまた、井伏鱒二や太宰治、木山捷平や上林暁、外村繁といった、いわゆる阿佐ヶ谷文士の会に会場を提供した人物として知られている。木山の『大陸の細道』、上林の『草餅』、外村の『阿佐ヶ谷日記』。祖父の本棚にも、彼らの贈呈本が多く置かれている。

阿佐ヶ谷には、慶応時代の同級生の詩人、蔵原伸二郎も住んでいた。私は、蔵原の『東洋の満月』(生活社)という詩集がとても好きだ。装丁・挿絵は棟方志功で、十五葉もの版画を使った豪華な本である。蔵原は、中野に住んでいた棟方と親交があったらしい。

私が強烈な印象を受けた「満月」という詩の最初の方をご紹介しよう。「一緒にどんどん走って行かう。/原始の原始の、原始の奥の奥の底だよ。いんよくの着物を、猿類の知識を、遠く、白い道ばたに、ひきちぎり、すてて来た。/ああ、ここはどこだよ。/みよ、狼と、蛇と、とかげの類と、青豹と奇妙な爬蟲の群集と、巨大な海洋樹のずっくり密生した、滂沱たる薄暮のけしきだ」
しばらく阿佐ヶ谷文士の間で私小説を書いていた蔵原は、群れていては詩が書けないと思ったのか、昭和十年に大森に転居し、最後は飯能まで行って土地の若い詩人たちと同人誌を出した。私はときどき、祖父も逃げ出していたらよかったのに、と思うことがある。

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