【書評】藁科れい 著「永遠と1日」(幻冬舎 星星峡 2003年10月号)

『脱脂粉乳』世代におすすめの一冊

大学一年の娘から「無駄に若い」と言われる私は、たぶん死ぬまでこどものままのような気がする。私だけではない、多くの演奏家仲間やピアノの先生たちもそうだ。みんな本音で生きていて、お箸がころがっても大笑いする。些細なことにも、喜んだり悲しんだりする。だから、心ときめかなければ始まらない「芸術」という職業にかかわっていられるのだろう。

本書の主人公、五十歳のエリート商社マン夫人、瀬川幸子は違う。鉄灰色の髪を短く切り、薄い唇に皮肉な微笑をたたえた「手ごわい大人の女」。貿易会社のウィーン支店長の後妻という立場をわきまえ、在墺邦人会の元締めとして、沢山の辛い思い出を心の奥底にとじこめ、現実の一日、一日を手堅く生きている。

二人の息子はいずれも先妻の子供だが、甘やかすことなくよき母親役に徹しようとしている。次男が犬を飼いたいと言っても、ウィーンの住宅事情では生き物は一切だめだと、がんとして受けつけない。長男が父親のないハーフの女性に恋をしたときも、決して情にほだされない。息子の恋ごころには目もくれず、弁護士を雇って身許調査をし、夫の意向に従って手切れ金で処理してしまうような女性だ。

でも、瀬川夫人にだって、犬やマンガが大好きで、前歯の大きなさっちゃんという女の子だった時代もあるのだ。まんまるで小太りで、おさげを両耳の上でくくった「モルモちゃん」。「こども名作全集」や「少女クラブ」を夢中になって読んだり、友達が迎えに来るといそいそと飛び出し、十五けんぱに興ずるお茶目な小学生。仲間と捨てられた動物の世話をするやさしいこども。幸子とさっちゃんの間には、深くて大きな断層があった。

物語は、そんな瀬川夫人が、ウィーンの街の名所、青空市場ナッシュマルクトでジプシーのお婆さんに不思議なめがねをすすめられるところからはじまる。

「さあー、上等の、お宝のめがね!色めがねは要らんかの、ホラ!」
小柄なお婆さんは、店先に並べた青や緑のめがねを指さしてみせる。この導入部は、メアリー・ポピンズの一場面に似ていて、とてもわくわくさせられる。

こんなこども向きのサングラスなんかいらないわ、と通りすぎる夫人にお婆さんは「こども向きだったら、どうだってのかい。誰でも、もともとはこどもだよ」と言う。実は、ここが物語の重要な伏線になっているのだ。

まがい物のトルコ石のはめられた青めがねをかけると、不思議なことが起きる。そのとき読んでいた物語の中、見ていた芝居の世界にはいりこんでしまうのだ。『赤毛のアン』『美女と野獣』『ロビンソン・クルーソー』。大人の身体のまま物語の世界に行き、現実の時間ではほんの数分の間にさまざまな冒険を体験した瀬川夫人は、今度は意図的に、自分の子供時代にトリップしようと企てる。

夫人には、心残りがあった。母親が親戚筋からひきとって育てていた孤児のフカ。弟のように愛していたフカ。十歳で事故のために死んでしまったフカ。もう一度彼に会いたい。夫人が青いめがねを買った日は、ちょうど彼の四十回めの命日だった。夫人はそのことに、運命的なものを感じる。

「あたし、この世で、ずっと生きて闘ってるよ。ひょっとしたら、あんたなの?命日の十月二十日に、あたしに”不思議”をくれたのは」。

その日は、約束の日だった。四十四年前、小学校四年生のさっちゃんは、熱意をこめてフカや仲間たちとある約束をしたのだ。オリンピックのように、四年後にここに集まろう、と。しかし、難しい受験勉強をこなして私立の中学に合格したさっちゃんは、きまじめな感じであまり笑わない少女になり、フカと十五けんぱに興ずることもなく、奨学金を取ってキャリア・ウーマンへの道をめざした。こども時代は過ぎさり、大人へのステップを踏み出していた。そして、四年後の約束を果たさなかった。

昔のアルバムをひろげた夫人は、青めがねをしっかりかけて写真を見つめた。幸子の身体を脱ぎ捨てた夫人は、小さなさっちゃんとなって「四年一組」に移送される。

つぎつぎと物語の世界にトリップする前半部分は少し安易な気もするが、ここからの後半部分はとても面白い。息もつかせぬ展開で、瀬川幸子の人物像がぐんぐん浮かびあがってくる。アンデルセン童話を思わせる結末では、思わずもらい泣きしてしまった。

給食で鼻をつまみながら「脱脂粉乳」を飲み、「くじらの竜田揚げ」をかじった世代には、とりわけおすすめの一冊。

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