【書評】米原万里 著「真昼の星空」(週刊現代 2003年11月1日号)

目に見える現実の裏に控える
  もう一つの真実をえぐり出す

米原万里さんは一九五〇年生まれ。私も同年だからわかるのだが、微妙な年代だ。

子供のころは、まだ戦後をひきずっていた。それから突然宅地開発がはじまり、皇太子ご成婚とともにテレビがやってきて、生活が一変してしまった。小学校三年の二学期から中学二年の二学期までをプラハのソビエト学校で過ごした米原さんは、ちょうど東京オリンピックの年、高度成長期のまっただ中に日本に帰ってきたことになる。彼女の感じたカルチャーショックは、だから二重だったのだ。自国対異国と、自国の中の異国と。

その後、ロシア語通訳として、旧ソ連の報道に従事。政治・経済、宗教、科学、文化・芸術・・・。それこそあらゆる局面で、価値観の相対性を思い知らされたことだろう。

読売新聞日曜版の連載をまとめた本書のタイトルは、ソビエト学校時代の先生が朗読した女流詩人のエッセイ『昼の星』からとられている。星はいつでも空にあるのに、昼間は太陽の光にかき消されて見えない。「目に見える現実の裏に控える、まぎれもないもう一つの現実。『昼の星』は、そういうもの全ての比喩であった」。

米原さんには、真昼の星が見える。多様な価値観のぶつかりあいの中で、「常識」のベースそのものを崩され、ホンモノとは何か、を問いつづけてきた彼女ならではの視点だ。

空港などはすっかり西欧化されたロシアだが、まだ驚くような話がある。日本の経済学者が蜂に刺されたとき、ホテルの当直医を呼んだら、水道の水をじゃーじゃー当てて治してしまった。扁桃腺を腫らしたテレビ局のプロデューサーも、バケツ一杯分のうがいをしたら腫れがひいた。アルメニアのブロイラー工場で、卵を産めなくなったニワトリを二週間絶食させたら見事に回復したという、ポピュラー・サイエンス誌のレポートも傑作だ。

十六年前に厳寒のシベリアでレナ河を横断したときのこと。橋はないが、冬の間は氷がはって天然の橋になる。真夜中に車で走っていたら、若い女性にヒッチハイクされた。春以降対岸の友人に会っていないから、やもたてもたまらず出てきたという。電話で話さないのか、ときくと、村に三ヶ所しかないという答が返ってきた。渋谷の繁華街で、ケータイでのべつまくなしにおしゃべりする若者を見ながら、「コミュニケーションにおいてもまた、量と質は反比例するのかもしれない」と思う米原さんであった。

「真昼の星」をぐいっとえぐり出して強烈な光を当てる語り口が小気味よい。辛辣な口ぶりで知られる親友を「蝿たたき」と命名したら、彼女から、「あーら、わたしが蝿たたきだとしたら、あなたは大陸間弾道核ミサイルよ」と言い返されたエピソードもあったりして、あまりにハマリなので、大笑いする。ときおり紹介されるロシア小咄も抱腹絶倒。発表メディアの性格上、下ネタが封印されてしまったのは残念でしたけれど。

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