【インタビュー】カンパネラ 2003年12月号

ピアニスト、エッセイスト、研究家…、
さまざまな顔を持つ青柳いづみこは
ほかの誰とも違う世界から音楽を眺めている

ドビュッシーは耽美派?

青柳いづみこ、という名前をご存知の方は、彼女のことをどう捉えているのだろうか。ピアニスト、ドビュッシーの研究家、エッセイスト、ミステリー評論家、新聞などでの書評子…。そのどれもが彼女であり、であるがゆえに「他の方から指摘を受けて、どこにも属していない自分を発見することもある」(本人談)というキャラクターを持つ。日本の音楽界では珍しいのかもしれないが「ピアニストと研究者、両方(もしくはそれ以上)の顔をもってる音楽家」なのだ。「ピアニストはピアノを弾いてさえいればいい」という一元的な意見に臆することなく、楽譜や文献などの研究を通して作曲家の人間性や生活文化、時代背景などへと切り込み、結果的にその成果を演奏で聴かせるというプロセスは、ある意味で正統的なものに思える。そういった考えにひとつの解答を出してくれるのが、実は青柳いづみこというマルチな才能を持つ音楽家なのである。

「ドビュッシーは一般的に〈印象派の音楽〉というレッテルを貼られていますけれど、私としてはその美しい視点に対して小さな抵抗がしたいんです。ドビュッシーの作品には背徳的なことやデカダンス(退廃)の要素がたくさんあって、とても耽美主義的なんです。モネやルノアールを引き合いに出すよりも、ルドンに代表されるフランスの印象派やベルギー象徴派であったり、イギリスのターナーやラファエル前派の方が近いですね。現代は癒しとか元気になれるものが求められているでしょう? だから美しい印象派の方が好まれるのかもしれないんですけど…。別所音楽祭でアルゲリッチがドーラ・シュヴァルツベルクと演奏したドビュッシーのヴァイオリン・ソナタを聴いたことがあるんですが、もう気持ち悪いのオンパレードで、あの人は本能的にそういった裏の要素まで直感力でえぐり出し、弾いてしまうのね」

小学生の頃から、筋金入りの「キモいもの好き」だったという。

「祖父(青柳瑞穂:詩人・フランス文学者)の仕事の関係で、家にはたくさんの本があるという環境に恵まれ、小学生の時にはもう旧約聖書やジョイスの『ユリシーズ』、マルキド・サドなんかも読んでいましたね。禁断の香りがするんですよ。本棚の中で、その本の背表紙だけが浮き上がって見えるの(笑)。その一方でピアノ教室では、ピンクのドレスを着てかわいらしいおリボンを付けて、という世界を見ていたわけでしょう。しばらくは自分の中にある、その2つの世界が平行線だったんです」

ドビュッシーの本質を知る

それがやっと交差したのは、芸大のピアノ科の修士課程を修了してフランスのマルセイユに留学し、日本に戻ってきて大学院の博士課程へ入ろうと思っていた頃。

「ドビュッシーの音楽が、私の大好きな“キモいもの”とつながっているんだと知った時には、うれしかったですよ。同時に、両方を知っている自分がからこそできることがあるのではないかと思い、芸大の博士論文で彼の音楽と19世紀末の美学についてまとめたんです。書くにあたってはフランスに行き、ドビュッシーの自筆譜なども見ました。でもドビュッシーって、きっと楽譜をあまり重要視していなかったと思うんです。臨時記号がたくさん付いているんですが、いちいち書くのが面倒だったのかあちこちで忘れているし、自分で書いた楽譜通りに弾いていないことも多い(笑)。彼の中で音楽は常に揺れ動いていて、調性も和声もどんどん変わっているのでしょう。ですからドビュッシーに関しては原典主義で、この曲はこう弾くべし! と決めつけることには疑問を感じますね。私は自分の直感を大事にしているんです。その直感を内裏付けるために、いろいろな資料を読んで『よし、私が正しかった』と自信が持てるようにしていく。楽譜やテキストを読んで感じるものをストレートに弾き、音楽が自分を通して自然に生まれるというのが理想ですね」

 ドビュッシー本人に会ってみたいと思います?

「絶対にいや。すごくイヤな奴だったらしいですよ。同じ日にいろいろな人へ手紙を送っているんですが、みんなに『僕のことを本当に分かってくれるのは君だけだ』って書いてある(笑)。ドビュッシーが死んでから書簡集が出たんですが、それで初めてみんな『自分だけじゃなかったのか!』ということを知ってびっくり。それから音楽的には、ウソ泣きの名人ですね。好みもポリシーもどんどん変わっていくんです。もう、真実はどこにあるの? という感じ。それから盛り上がっているところで必ず水を差して、みんなを冷やす。イヤな奴でしょう?(笑)」

ラヴェルも、《夜のガスパール》など耽美的な要素を持った曲を書いているが、ドビュッシーとはまた少し違うのだという。

「ラヴェルは、熱く燃えているものは持っているんだけど、それを手にしようとすると見えない壁があって中に入れてもらえないんです。いろいろなものが渦巻いているドビュッシーとは大違い。氷やドライアイスをさわるとやけどをすることがありますよね。ラヴェルはその感覚に近いです。秘められた情熱を持っているような音楽なんです。ですから、ドビュッシーとは同列にできないタイプの音楽なんですね」

最新のプロジェクトは〈ワルツ〉

 ドビュッシー研究の他にも、音楽の中に封じ込められた「宿命の女」(ファム・ファタル)をテーマに執筆している『無邪気と悪魔は紙一重』や、ヨーロッパ文化の底流を流れている「水」に焦点を当ててラヴェルやショパン、リストなどを分析した『水の音楽―オンディーヌとメリザンド―』も出版。そうかと思えば仕事抜きでもヒット作は読むというミステリー小説について書いた『ショパンに飽きたら、ミステリー』、ピアノの恩師について書いた評伝『翼のはえた指――評伝安川加寿子』という具合に著書も多数。

「新聞の書評を始めてからは、定期的に決まった数だけの本を読まなくてはならないんですが、それでもミステリーだけは、話題になっているものをほとんど読みます。今は書評を書くために『調律師の恋』(ダニエル=フィリップ・メイソン著)という本を読んでいるんですが、ピアノに関することだけに時代考証や仕事の描き方などが気になってしまいますね」

 通算5枚目となる次のCDはテーマが「ワルツ」。シューベルトやショパンからラヴェル、リスト、サティ、ドビュッシーといった作品が並ぶ。

「ウィンナ・ワルツの好きなシューベルトとそのパロディであるラヴェル、そのまたパロディを作ったサティ、ウィンナ・ワルツが嫌いだったショパンなど、それぞれに個性を主張しているんです。とても“同じ3拍子”なんていう理由ではひとくくりにできないほど違うんですね。今回はまだ研究発表できるほど調べていませんので、本は出しません。その代わりといってはなんですが、『輪舞』という題名の官能小説でも発表したいところね(笑)。でも、どなたも書く場所を提供していただけないので、まだ書いていませんよ」

インターネット上にも自身のウェブ・サイトを持っていて、これまでに書いた書評や連載エッセイなど、さまざまな文章を読むことができる。その中に、フランスのピアニスト、アンリ・バルダについて書かれた文章があった。彼女はこのピアニストに出会ったことで触発され、もう一度ピアノ演奏に正面から向かうようになったとか。

「パリ音楽院の先生なんですが、舞踏系の曲がものすごく得意で、それもただならぬ巧さなんです。なぜかと思ったらパリのオペラ座で、彼がショパンを弾きながらそれに合わせてダンサーが踊るというプログラムをずっと続けているわけ。彼はダンサーがその日ど調子でステップもテンポも変わるということを知っているため、相手に合わせてリズムもルバートも自由に操ることができるんですよ。そういった流動的な姿が本当の音楽なんだと思います。練習した通り、教えられた通りに操り返し弾くことが、生き生きとした音楽につながるとは思えないですね」

現在は大阪音楽大学での講義、そして東京でもドビュッシーをテーマにした講義を行なっており、その合間に次のプロジェクトも芽を出しているとのこと。

「19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリ、そこは貴族の社交場や芸術家の集まるサロンなどがたくさんあったんです。今度はそういった“場”という切り口で、斬新なものを創造していたあの時代を考えてみたいんです。アルゲリッチ、ポリーニ、リヒテル、ミケランジェリなどの解釈や奏法を分析して、大ピアニストの謎に迫る本も執筆する予定です。これは来年中に出版されます。また、ちょうど華道の雑誌から花にまつわるエッセイの連載を依頼されたので、花にちなんだピアノ曲もレコーディングし、『花の物語、花の音楽』というCDを出したいと考えています。音と言葉の両方から“花”を楽しんでいただけるように」

音楽をさまざまな視点と文化交流などで考えてみたい方(演奏会も音楽ファンも、プロもアマチュアも)、ぜひ青柳いづみこのアプローチと今後の活動に注目を。

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