【特集】「いま、幸福な男の資格」(BRAVO! Business FRAU増刊号 2004年4月10日号)

妻にする女、愛人にする女、部下にする女

妻にするなら・・・世話好きがいい。女性は、二種類に分かれるようだ。男姓の世話を焼くのが好きという人と、めんどくさいという人。

いささか古くなるが、桐島洋子の『聡明な女は料理がうまい』に、岡本かの子の「恋人に食べさせたい御料理」というステキな文章の引用があったのをおぼえている。

「私にもし恋人があるとすれば、やはり芸術家の思索家でしょうよ。その人は、考え、かつ、夢を持ち詰めてるでしょう。のぼせ勝ちでお覚えが悪いように想像されるのよ。寒い木枯の音を聞き乍ら私の処へいらっしゃるかもしれないわ。(中略)魚スキ、どうでしょうね、こんなお料理は。火をいそいそと私はおこすでしょうよ。早速サカナ屋へ電話をかける」

かの子は、魚スキの作り方を説明したあと、こう結ぶ。

「こんなお料理誰でも知ってるでしょう。ただ私の別のように考えられるのは、愛情と共に煮乍ら食べさせて上げるという処にあるの」

もっとも、奥様がいそいそとあなたの世話をしても、それは、あなたを愛しているからではなく、単にいそいそと世話をするのが好き・・・なだけかもしれないが。

愛人にするなら・・・床上手がいい。私の父方の祖父はずいぶんと女遍歴をした人だったが、彼の愛人たちに共通していたのはO脚なこと。どうも具合がよくなるらしい。

中国の纏足も、同じ意図からだときいたことがある。もうひとつは、肌のきめが細かいこと。いったん床入りしてしまえば、顔から下の肌ざわりが問題なのだから。

フェロモンも大切なポイントだ。マルグリット・デュラスに、そのものズバリ『愛人』という自伝小説がある。仏領インドシナに生まれ育った少女が、メコン河の渡し船で出会った中国人の青年と烈しい性愛を体験する。

デュラスは、自分の分身であるたった十五歳のヒロインにこんなことを言わせている。
「女を美しく見せたり、見せなかったりするのは服ではない、念入りなお化粧でもなく、高価な香油でもなく、珍しく高価な装身具でもないことを、わたしは知っている。問題は別のところにあると、わたしは知っている。(中略)ある女のなかに欲情が棲まっていれば男の欲情をそそる」(清水徹訳)

特別美人ではないのに妙にもてる女性は、内部に「欲情」を棲まわせているに違いない。

部下にするなら・・・秘書タイプがいい。事務能力にすぐれていて、あなたの手足となって働くことに喜びと生き甲斐を見いだす女性。自分というものがなく、あなたの命令をひたすら待ち、その方向に沿うような資料を集めたり、セッティングしようとする女性。

実在の人物では、作曲家ワーグナーの妻コジマが、まさに有能な秘書タイプだった。彼女は、「ワグナーの秘書役をつとめ、書簡を処理し、自伝を口述筆記し、スケジュールを調整し、王や宮廷との間の交渉を行った」と、『天才に尽くした女たち』の著者ヴァイセンシュタイナーは書いている。その上彼女は、日記の中で夫の言動を逐一書き残し、研究者たちにまで有り難がられている。

最初は秘書役をつとめながら、それに飽き足らなかったのは、やはり作曲家グスタフ・マーラーの妻アルマ。自分も作曲を勉強していた彼女は、夫から作曲を禁じられ、夫の作品を清書させられ、気配りのきいた主婦を演じさせられた。彼女は日記の中で、「私のことを考え、私が自己を発見できるよう助けてくれる、人間的な人物を見つけたくて、心がうずいている。これでは私はただの主婦ではないか」と書いている。

アルマにとって幸いなことに、夫は彼女が三十二歳のときに亡くなり、以降アルマは、男から男へと遍歴する典型的なファム・ファタル(宿命の女)となっていった。

自分を愛する男を破滅に陥れる、というのがファム・ファタルの定義である。リルケの愛人だったルー・サロメとか、ピエール・ルイスの恋人だったマリー・ド・レニエとか。
二人に共通しているのは、ベッドを拒むことだ。

不感症だったルー・サロメは、ニーチェに求愛されたのに袖にして、友人の哲学者と同棲生活を送りながら、夜毎ベッドを拒む。ある夜哲学者が姿を消すと、今度は考古学者と結婚するが、やはりベッドを拒む。欲求不満にさいなまれた夫がとびかかると、首をしめて殺そうとする。ところが、リルケの愛を受けてからは急に性にめざめてしまい、男を誘惑しては、飽きると関係を絶つことをくり返す。フロイトの若い弟子など、ルーに捨てられたあと、自ら去勢して死んだとか。

ルーに誘惑されたある男は、半世紀もたってから次のように回想している。
「彼女の抱擁には、自然力のというか原初的というか、なにか恐ろしいものがあった。きらきら光る青い目でみつめながら、『精液を受け取ることはわたしにとって恍惚の絶頂です』というのである。そしてそれを飽くことを知らず求めた」

マリー・ド・レニエも拒む女である。ピエール・ルイスとアンリ・ド・レニエという、十九世紀末パリの花形詩人たちに求婚された彼女は、資産家のレニエと結婚しながら夫を拒みつづけ、二年目の結婚記念日にルイスと密会する。ルイスがエジプトに旅行している間に、今度はルイスの親友ジャン・ド・ティナンをひっかけて、夢中にさせたあげく捨ててしまう。このとき妊娠していたマリーは、ルイスの子かティナンの子かわからない男の子を生み、絶対に父親ではありえないレニエの子として育てている。

小説のヒロインで拒む女の代表は、谷崎潤一郎『痴人の愛』のナオミだろう。彼女は、カフェの女給をしていたところを穣治に拾われ、教育してもらい、贅沢な食事をさせてもらい、美しく着飾らせてもらったのに、若い学生たちと情を通じ、夫を裏切りつづける。

それを悪いと思うどころか、浮気がばれて家を追い出されたあとも、始終舞い戻ってきては、わざと襦袢の肩をおとしてみたり、キスさせずに息だけ吹きかけてみたり、肌に触れないで脇毛を剃らせてみたり。彼女の肉体が忘れられない譲治を、あの手この手で挑発する。

拒む女の反対に、ベッドテクニックでのしあがっていく女性も怖い。毛沢東の妻江青や、ミュージカルや映画にもなったアルゼンチンの大統領夫人エバ・ペロン。二人の生涯を見ていると、キャリアアップの道すじは、笑ってしまうほどよく似ている。

偉大な女優になる夢を持った少女雲鶴は、十六歳で演劇学校の校長と関係をもち、著名な映画評論家と結婚し、有力な映画監督の愛人となり、最後に毛沢東にねらいを定める。

十四歳で「大きくなったら女優か大統領になるの」と宣言したエバも、十五歳のときタンゴ歌手の愛人となってブエノスアイレスに渡り、映画雑誌のオーナーと関係を持って放送劇に出演し、人気が出たところで陸軍中尉の愛人となり、最後に将来の大統領ペロンに出会う。

紅青とエバが未来の国家元首を射止める手法も、全く同じ。演説の最中、演壇から間近なところに座り、標的から目をはなさず、じっと見つめる。熱狂的に拍手を送り、丁重にうなずき、メモをとる。演説後は彼のもとに近づき、男を喜ばせるようなことを沢山言う。首尾よく男をゲットすると女優の夢はあっさり捨て、政界でのキャリアアップに邁進するところまでそっくりだ。

そんなわけで、若く美しい女性があなたをまじまじと見つめ、詰まらないジョークに笑い興じ、熱心にグチをきいてくれても、それだけで愛の証とは限らないから、ご用心。

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