【書評】クリスチャン・ガイイ著「ある夜、クラブで」(すばる 2005年1月)

至福のとき

「ある夜、クラブで」クリスチャン・ガイイ著(野崎歓 訳)

もし私がピアノをやめてしまって(私は、しょっちゅうピアノをやめている)十年たって、出張中に偶然はいったクラブで自分そっくりに弾く若いピアニストを見たら・・・。やっぱりちょっとかわりに弾いてみたくなるだろうなぁ。

エンジニアのシモンにも同じことが起きたのだ。手は震えている。無理もない、十年弾いていなかったのだから。それから、おもむろに試し弾きする。お前を捨てた俺だけど、また戻ってきたよ。

シモンは、往年の名ジャズ・ピアニストだった。それから、「しらふの、健全な人生」を求めて職をかえた。音楽家は盛り上がったり盛り下がったり、ジェットコースターみたいな商売ですもんね。

シモンが即興に移ったころ、オーナー兼歌手のデビーがはいってきた。彼女には、彼が誰だかわかった。昔の持ち唄を歌いながら、「あなたは変わっていないわ」と囁く。そして、始まったのだ。何がって、ステキなデュオが。恋が、と言ってもまるきり同じ意味だけど。

このとき一一時三〇分。シモンが乗らなかった最終列車は一〇時五八分発。つまり、シモンが十年前のシモンに変身するために要した時間はたったの三二分。

次の日もシモンはデビーに会い、列車に乗り遅れつづける。海辺の保養地とパリを結ぶ列車は一日に六本。発車時刻が迫るたびに時は緊張し、平穏な生活をひっくり返す決定的な一瞬につき進む。

ジャズ・ピアニストがセッション中に求めるのはただひとつ。至福の境地である。こうくればああする、ああくればこうすると気配を伺いながら、その「時」が訪れるのを待つ。でも、そんなにうまく行かないから、酒やドラッグに頼る。

十年前のシモンもそんな生活に溺れていた。危機を感じとった妻のシュザンヌは外国のツアー先に夫を迎えに行き、彼を監禁し、救った。今回もシュザンヌは車で迎えに行き、夫を救う。十年前とは別の方法で。オトタチバナヒメが身を挺してヤマトタケルを救ったような形で。

シモンはシュザンヌを捨てたが、シュザンヌを捨てなかったのはイカレくんという名の黒猫。会話でさりげなく、シモンとイカレの親和性が語られるところが憎い。美しい食器でなければ食べない。美しいトイレでなければ排泄しない。

自分とシュザンヌを隔てた百キロ以上の道を、イカレくんはひたすら歩く。といっても、忠犬ハチ公とは全然違う目的だ。彼にとっての至福のときを求めて。つまり女主人のわき腹により添い、腰のくぼみにうずくまって寝るために。

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