【特集】「グレン・グールド生誕75年&没後25年」(レコード芸術 2007年9月号)

「頭で弾くピアニスト」グールドの奏法

--彼の理想の音楽を表出させるために

「彼(グールド)はあらゆる点で実にすばらしいピアニストでした」とエマニュエル・アックスはデイヴィッド・デュヴァルのインタビューに答えて語っている。

「なんという創造力でしょうか! それに彼の演奏の正確さはまさに圧倒的です。彼はピアノに全然問題のなかった人の例と言えます」(『ピアニストとのひととき』)

デュヴァルも同感で、グールドの演奏はアルトゥール・ルービンシュタインと同じように多くが頭の中でなされ、ピアノに絶えず時間をかける必要はなかったと応じている。 

モスクワでグールドの実演を聴いたリヒテルは、彼のようにバッハを弾くことは自分にもできる、と語った。「ただし、ものすごく練習しなくちゃならないんだ・・・」。

『グールド二十七歳の記憶』にはおもしろい場面が収録されている。バッハ『パルティータ第2番』を演奏中に突然弾くのをやめたグールドが、窓辺に行ってメロディを口ずさみながら頭の中でテキストを反芻し、ふたたび鍵盤に戻ってつづきを弾くシーンだ。

私のような凡庸な弾き手は、うまくいかない箇所を反復練習して筋肉におぼえこませようとするものだが、グールドの場合は脳からの指令がただちに指先に反映されるし、また反映されることを求めたらしい。彼自身、「楽譜で勉強しているある部分について考えた瞬間、それを触感的なアプローチに自動的に結びつけてしまいます」と語っている。

従って、グールドにおける奏法の問題は、たとえば卓越したピアニズムそのものが創造の源だったベネデッティ=ミケランジェリと違って副次的な次元にとどまっているが、かといって無関係というわけではなく、むしろ逆説的、裏返しの関わり方をしているのだ。

グールドは十歳まで母親に手ほどきを受け、ついでゲレーロというチリ人の教師に師事したが、この教師はグールドに、完璧な指の独立と平らな指の角度、低い椅子に座る習慣を植えつけた。少年時代のグールドをよく知る友人は、彼は先天的に奇蹟のような身体能力を持っていたが、それはゲレーロによって大いに高められたと証言している。

ここでグールドが、ゲレーロのライヴァルと言われるクラウディオ・アラウのメトード(アルゲリッチはこの方式で指導された)で仕込まれていたら、いかに独立不覊の精神とはいえ、ずいぶん異なったスタイルになっていたのではあるまいか? ゲレーロのメトードは、手首や腕の柔軟性を駆使したアラウとは正反対の「指先だけで弾く奏法」だった。

「指先だけで弾く」というと、指を鉤形に曲げ、先端でタッチするハイフィンガー奏法を思い浮かべるが、ゲレーロ方式は指を自然にのばしており、ワンダ・ランドフスカやイーヴォ・ポゴレリチの奏法とはあきらかに異なっている。

門下生たちの証言から、ゲレーロの「フィンガー=タッピング技法」があきらかにされる。指の独立をうながし、タッチの粒をそろえるための練習法で、片方の五指の腹をレ、ミ、ファ♯、ソ、ラのキーの上に、第二関節が一番高くなるようにして置き、もう片方の手で、指の爪か第一関節の近くをすばやく叩いてキーを押し下げる。 第三関節を叩く方式なら私も採用しているが、これは手の甲をつなぐ関節に意識を向け、バネをつけることが目的で、運動先行型になる。対して指先を叩くゲレーロ方式は意識先行で、鍵盤とのコンタクトを鋭敏にするとともに脳からの指令を伝達するために編み出されたのだろう。

ついでゲレーロは、のばしたままの指を鍵盤に乗せ、その位置からすばやいスタッカートでタッチし、元の位置に戻す練習を課した。タッチのスピードは速いが、タッチとタッチの間隔は二秒以上あける。

このトレーニングは、ロンドン在住のイタリア人教師マリア・クルチオが実施しているものに似ている。しかし、クルチオがのばした指を高くひきあげて強く打ちおろし、第三関節のバネと筋肉を鍛えたのに対して、鍵盤と水平の位置から叩かせるゲレーロは指の瞬発力を養い、意識と運動の合体をめざしたものと思われる。
指のかわりにゲレーロが鍛えたのは肩と背中で、ピアノを弾くグールド少年の両肩をぐいとおさえつけ、反撥する力を利用して肩と背筋を重量挙げの選手並みに仕上げたという。こうして両脇を締め、鍵盤にかがみ込むようにして弾く独特のスタイルが生まれた。

映像で実際にグールドの演奏する姿を見ると、一般に言われているほど奇異でもない。「指先だけで弾く奏法」は近代の重力奏法に比べて旧式とされているが、グールドのように低い椅子に座り、指を下からひじでひっぱって鍵盤を押し下げるような弾き方は、一種の重力奏法とみなしてもよいのではないだろうか。

要するに、普通のピアニストでは骨盤に当たる部分がグールドでは肩なのだ。肩が固定されているぶん背中から下は自由に動きまわり、前後左右に回転運動を起こしている。残された映像は圧倒的にバッハが多いのでひじは鍵盤より下がっているが、フレーズの終わりやメロディの最高部では横に動き、ふくらみや陰影をつける。新ウィーン楽派やロシア音楽を弾く段になると、ひじの角度がゆるくなり、重力奏法のように腕をのばしたり、落としたりまわしたり・・・といった動きもみられる。手首の高さは自在で、左手は右手を楽々ととびこえ、親指をそらし、長い指を逆立ちさせるような形にして見事なトリルを弾く。右手だけで弾いているときは左手の掌がぐるりと返り、痙攣するように指揮をする。

グールドにおける手の独立は驚異的だが、これは彼が左利きだったことと無関係ではあるまい。彼が、右手が旋律を歌い、左手は単なる伴奏に終止する「右手のための音楽」を嫌い、フーガやカノンなどポリフォニックな作品を好んだのも、この特殊性のためではないか。フーガでは左右の手が同じように動くことを求められるが、右利きのピアニストの場合、どうしても左手の方が運動的ににぶくなるからだ。

もっとも、グールドの右手の動きが左手より劣っていたかというとそんなことはない。彼の指の分離は驚異的で、中指、薬指、小指の間に少しも癒着がなく、どんなパッセージ内でどんな組み合わせで当たっても同じような敏捷さで動かすことができた。フーガやカノンのように、一本の手の中で複数の声部を弾きわけるためには必要不可欠な資質だ。

画面で見るグールドの手はかなり大きく、オクターヴでも手を拡げる必要がほとんどない。ポリフォニックな書法の場合、手を拡げた状態で複数の声部をあやつらなければならないから、これは有利だろう。印象に残るのはがっしりした長い親指と、反対に繊細な小指だ。訓練を積んだピアニストの小指の裏側は筋肉で盛り上がるものだが、グールドの、ことに右手の小指の裏側は実にすっきりしている。これはそのまま彼がバッハを弾くときの澄んだソプラノと厚みのあるテノール、深いバスの音色に呼応している。

テクニックは、手首から先に限っていえば非常にすなおで、小指が始終鉤形に曲がっていたホロヴィッツのような癖はみられない。基本的に「のばした指」で弾いているが、若いときの映像を見ると、ベートーヴェンのソナタの伴奏形などでは、一時的に指を鉤型に曲げ、第三関節のバネを使って弾いている。有名な「レガート=スタッカート」では、指を手前にひっかくようにタッチする弾き方と、指を逆に外側にはねあげていく弾き方の二種類がある。いずれもハイフィンガー奏法に比べてエネルギーが少なくてすむ合理的なテクニックだ。タッチはダイレクトで、ハーフタッチ、クォータータッチはほとんど使っていない。グールドはアフタータッチのたくさんあるピアノを嫌っていたらしい。

脳からの指令をすばやく反映させるため、グールドは極端にアクションの軽い、タッチの浅いピアノに調整させていたが、こうした楽器では一般的に音色の変化をつけにくいものである。『グレン・グールド演奏術』の著者ケヴィン・バザーナによれば、「グールドはアーティキュレーションの明瞭さを重視したため、ピアノに豊かな色彩よりも、触知可能なすばやいアクションを求めた。つまりそれぞれの鍵の音のよさより、鍵の音と音とのあいだの『移行』により関心をもったのである」ということになる。

こうしたさまざまな特殊性は、当然のことながらグールドの演奏にある制限を与える。グールド自身、一九七四年のインタビューではつぎのように語っている。

「ぼくの指のテクニックや姿勢は、たとえばバッハ、モーツァルト、あるいはバッハ以前の音楽のような、手を広げる必要のないレパートリーに適しています。しかし、これでスクリャービンを弾くことはできません。絶対にだめです。理由は簡単です。大きく手を広げるためには、鍵盤から離れなければならないからです」
しかし彼は、その四年前にスクリャービン『ソナタ第五番』を録音し、マイクロフォンの位置を操作して音響上必要な効果をあげようとしている。プロデューサーの証言によれば、演奏困難な最後の数ページは何度も取りなおしたらしい。問題点の多くはだから、レコーディングの現場ではなく、コンサート会場で弾いたときに生じるのだ。

一九五七年、グールドがソ連に演奏旅行したとき、モスクワ音楽院の教授たちは「ひじをぶらさげた」彼の座り方に驚きながらも、すべての声部が明確に聞きとれるポリフォニーのテクニックを賞賛した。チャイコフスキー・コンサートホールで『ゴルトベルク変奏曲』を聴いたヴェラ・ゴルノスターエヴァは、響きの悪い会場でどのピアニストも苦労したものだが、グールドの演奏だけはピアノが歌っているようだったと証言している。

音の粒だちも単音ののびも十分。おそらく、一番の泣きどころは爆発的な音響だったことだろう。それでも、ステージ活動をしているころのグールドは、低い椅子ながら背中をすっとのばす瞬間もあったように思うが、録音に限定してからは、ますます楽器に近づいて座り、背中を丸め、ほとんど鍵盤に覆いかぶさるようにして弾くようになった。肩から腕に伝わるエネルギーが制限されるため、どうしてもたっぷりした音は出にくくなる。彼自身、自分の特殊な座り方は「ほとんどの点において有利ですが、ひとつだけ欠点がありまして、それは本当のフォルティッシモが出せないことです」と語っている。

しかし録音の現場では、物理的にどれほど音量が出るかということではなく、マイクが拾った音の相互関係こそが大事で、奏者が頭の中で組み立てた音響設計そのものが問われる。これは「頭で弾く」ピアニスト、グールドにとってはとても都合のよいことだった。

グールドがなぜ低い椅子を好み、鍵盤に近づいて座ったかというと、その方が弾くのが楽で、練習しなくてもすむからだ。鍵盤から遠い位置に座った場合、手首や関節の位置が高くなり、指はそのぶんたくさん動かなければ鍵盤の底に到達しない。指をたくさん動かすためにはそれだけ練習が必要になってくる。しかしグールドは、鍵盤にふれすぎると頭の中で鳴っている音楽のイメージが侵害されるとしてこれを好まなかった。

低い椅子、ぶらさがったひじ、固定された肩・・・一見不自然に見えるグールトの姿勢や弾き方は、実は、彼の理想の音楽をもっとも自然に表出させるための奏法だった。その奏法がレパートリーに制限を与え、コンサート会場では必ずしも期待される効果をあげないことをよく知っていた彼は、迷わずにレコーディングの現場を選んだのである。

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