【特集】「没後90年に向けて クロード・ドビュッシー特集」(レッスンの友 2007年12月号)

「パゴダ」を弾くときは日本人の特性を活かして!

昨年冬、勤め先の大阪音大から、カザフスタンの国際コンクールの審査員として派遣された。カザフスタンってどこ? ときく人も多いだろう。カスピ海に面した旧ソ連最大の国で、朝青龍の祖国モンゴルにも近く、同じ遊牧民族だ。

審査会の前にオープニングセレモニーが開かれ、民族音楽のオーケストラの演奏があった。いずれもアップテンポで激しい曲ばかり。バラライカに似た弦楽器をものすごいスピードで掻き鳴らす奏者の手首は強靭で、さすが遊牧民だと感心したものだった。

カザフスタンの音楽院では、クラシックを学ぶ学生も必ずひとつは民族楽器を専攻して卒業試験で弾かなければならないという話をきいて、考えさせられてしまった。日本でも、東京芸大には邦楽科がある。邦楽科の学生は副科ピアノが必修なのだが、西洋音楽専攻にはそうした決まりはない。もちろん、履修するのは自由だ(私は篠笛をとった)が、何だか変だなと思っていた。

私たちは明治維新以来、必死で西洋音楽を学んできた。日本的であることは否定して、とにかく西洋人になりきろうと努力してきたように思う。でも、本当にそれでよかったのだろうか? 日本人が西洋に追いつけ、追い越せとがんばっている間に、ヨーロッパ芸術の方はどんどん東洋に近づいてきたのだ。

代表的な例がフランスの絵画。ゴッホやゴーギャンが歌麿や広重の浮世絵を真似して、変てこな芸者の絵を描いているのを見たことがある方も多いだろう。印象派の巨匠モネも、葛飾北斎の『富獄百景』に強い影響を受けている。画面を立体的に見せかける遠近法に行き詰まりを感じていた画家たちは、日本の版画の独創的な構図や単純化された線、平面分割法に強い影響を受け、まったく新しい技法を開発したのである。

音楽の世界でも、同じことが起きた。作曲で遠近法にあたるのは調性音楽、機能和声法などだが、一九世紀後半にはワーグナーの半音階主義によって極限にまでおしすすめられ、作曲家たちは新たな道を捜していた。そのよりどころのひとつになったのが東洋の音楽で、ドビュッシーはもっとも早い時期に東洋風の要素をとりいれた作曲家である。

調性音楽の場合は、トニック、ドミナント、サブドミナントが主要な働きをし、全体の調性も五度圏にもとづいて立体的に構成され、長調と短調も明確にわかれている。しかしドビュッシーは、短調のかわりに全音音階を使ったり、さまざまな教会旋法を使ったりして、なるべく調性感がぼやけるように工夫した。同じ目的で、ドビュッシーは東洋ふうの五音音階(ペンタトニック)をさまざまにアレンジして使っている。

たとえば『映像第二集』の第二曲「そして月は廃寺に落ちる」の中間部には、「ミ・ファ♯・ラ・シ・ド♯」からなる五音音階を鐘のような音色が装飾するパッセージが出てくる。印刷された楽譜にはないが、スケッチでは、この旋律の上に「ブッダ」と書きつけられていた。作品のイメージ源はカンボジアのアンコールワット寺院と言われているから、ドビュッシーの求めていたものがよくわかる。

五音音階には半音がなく、三つの全音程と二つの短三度音程からできていて、開始する音によってそれぞれド、レ、ミ、ソ、ラの旋法がある。「ブッダ」と書きつけられた「ミ・ファ♯・ラ・シ・ド♯」の音型は、そのうちソの旋法の並びと同じである。

ドビュッシーが東洋の音楽に興味をもつきっかけとなったのは一八八九年のパリ万博だった。当時ローマ留学から帰国してばかりだったドビュッシーは、ガムランのオーケストラが伴奏するジャワやカンボジアの舞台に強い感銘を受けた。

「カンボジア人は萌芽状態のオペラとでもいったものを演じる」と彼は、「趣味のために」という記事の中で書き残している。「それは中国の影響を受けた歌謡劇で、三幕の形態をおびている。ただし、神の数はずっと少なく、その反面、舞台装置は簡単だ。怒ったような音を出す小さな笛が感興を盛り上げ、タムタムが畏怖を深みのあるものにする」

ガムランのオーケストラは打楽器中心で、大型・小型のゴングやつぼ型のゴング、木琴や鉄琴、それに二弦の弦楽器や篠竹のリードをもつ縦笛があり、それぞれスレンドロ音階とペロッグ音階に調律されている。

このうちスレンドロ音階は、倍音による自然音階にもとづく旋法だからなかなか採譜しづらいが、無理矢理五線譜に書くなら「ド♯・レ♯・ミ♯・ソ♯・ラ♯」で、五音音階のソの旋法と同じ組み合わせになる。

一九〇三年に発表されたドビュッシーの『版画』の第一曲 「パゴダ」 で使われている黒鍵上の音階 「ド♯・レ♯・ファ♯・ソ♯・ラ♯」(便宜上、第一主題とする)も、ソの旋法を移調したものだ。

ガムランだのスレンドロだのペンタトニックだのというとむずかしそうだが、何のことはない、わが国の呂旋法「ド・レ・ミ・ソ・ラ」、いわゆる「ヨナ抜き音階」と同じものである。『さくらさくら』は陰旋法「ド・レ・ミ♭・ソ・ラ♭」だが、呂旋法は明るい方。たとえばわらべ歌の「あんたがたどこさ」。

なぜこんな話をするのかというと、「パゴダ」の冒頭の旋律をやけにロマンティックに歌って弾く学生さんが多いからだ。西洋音楽なのだから、何でもかでもふくらみをもたせて歌わなければならないというように。でも、「あんたがたどこさ」をカンツォーネみたいに歌う人はないでしょう?

つまり、こと「パゴダ」に関するかぎり、せっかくドビュッシーの方で東洋に近づいてきてくれたのに、わざわざ遠回りしてナポリ経由でバリ島に行こうとしたら途中ですれちがって会えなかったというような、そんな珍妙な現象が起きている。

先に紹介した記事「趣味について」で、ドビュッシーが「ジャワの音楽は、パレストリーナの対位法のごとき、これに比べれば児戯にひとしいような一種の対位法を含んでいる」と書いている一節も、「パゴダ」を解釈する上でとても重要だ。

たとえば、11小節で、オクターヴ化された第一主題とは別の五音音階「ファ♯・ソ♯・シ・ド♯・レ♯」がどちらもオクターヴで逆行する部分。あとの方の五音音階(便宜上、第二主題とする)はレの旋法を移調してさかさに使ったものだから、ちょうどバッハのフーガと同じように、どちらの線もくっきりと聞こえるように弾かなければならない。

23小節は第一、第二主題とも三連音符や八分音符の動きになるが、こちらも二種類の鐘が鳴っているように、ハープペダルを駆使して透明感を保ったまま弾いてほしい。

さらに複雑化するのが37小節である。第一主題は細かく装飾され、第二主題には和音がつけられる。この左手の和声づけが場所によってまちまちで、暗譜に苦労するところだ。41小節、73小節、88小節・・・とそれぞれ微妙に違うので、比較しながら覚えよう。

つづく38小節では、上声部で鐘を思わせる四分音符がチーンと鳴らされる。装飾された第一主題、和声づけされた第二主題、そして”鐘”と三つの要素を弾きわけるのは至難のわざだ。第二主題には少し重さをかけて、第一主題は指先を硬くして音の粒をそろえ、かつあまり音が大きくならないようにコントロールする。上声部の鐘の音は平らな小指を固めにして、腹の部分で叩くとよい。第二主題が大音響で鳴らされる41小節では、バスに出てくる二分音符を、ちょうどガムランのゴングに見立ててゴーンと鳴らすこと。

この他、33小節では、二度のシンコペーションの上で別の五音音階からなるメロィデが奏でられる。これは「ソ♯・シ・ド♯・レ♯・ミ♯」で、ラの旋法と解釈できる。

コーダ部分では、右手に第一主題を逆さにした形を32分音符のアルペジオで出し、左手には同じ主題を正式な形で使っている。

こんなふうに「パゴダ」では、五音音階だけを見てもソの旋法、レの旋法、ラの旋法とさまざまな旋律がさまざまな組み合わせで使われている。拡大形あり縮小形あり逆行形ありと、対位法の技法自体はバッハのフーガと大差ないのだが、大きく違うのはそれぞれの線の奏出方法だろう。

バッハの各主題のように旋律線に従ってカーブをつけたりアゴーギグに変化をつけたするのではなく、むしろ直線的に無表情に、それぞれの線を淡々と弾きわけていく方が雰囲気が出る。大音量になってゴングが鳴らされる場面でも、あまり興奮せずに平常心を保ったまま演奏する。

そう、日本人の留学生がショパンやリストの作品を弾くとき、ついついそうなってしまって欧米の先生に注意されるような「平らな」弾き方だ。

韓国人や中国人を中心に、最近ではますます東洋系の演奏家が国際舞台に進出している。その中でも特段につつましやかなのが日本人だ。何があってもことさらにとりみだしたりしない、大げさな感情移入はしない、安易に心情を吐露しない。

ドイツ系やロシア系の作品を演奏するときは、こうした日本的感性、美意識がマイナスになることも多いのだが、たまにはよい方向に作用する楽曲もあるのだ。微妙に異なる音色の弾き分け、隠し味としてのペダリング、抑えた表現に多くの意味をもたせるなど、繊細な心づかいは日本人にぴったりのような気がする。

少なくとも「パゴダ」を演奏するときは、日本人の特性を活かして弾こう!

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