「ネコと呼ばれた猫」(ねこ新聞 2008年3月号)

吾輩は猫である。名前はまだ無い。というのが漱石の『猫』の書きだしだが、ウチに十何年かいた猫は、名前を”ネコ”と言った。本人も自分は”ネコ”だと思っていたらしく、「ネコちゃん」と呼ぶと、「みゅー」とか甘い声を出してすり寄ってくる。

その前にいた犬が「ネル」と言って、ただ単に赤ん坊のころよく寝ていたからというのだから、我が家の名前のつけ方もずいぶんいいかげんである。ちなみに、私の「いづみこ」という舌をかみそう名前は、本来は「いづみ」で、祖父がつけてくれたのだが、父親が「雪村いづみ」といっしょでは困る、と最後に「こ」をつけた。こちらも相当いいかげんだ。

”ネコ”は、私が小学校低学年のころ父親にくっついて家にやってきた。さっそく晩酌のたたみいわしをうまそうに食い、椅子のうしろでおしっこをしてしまった。家にきたころは顔が三角形で目ばかりがやたらに大きく、なかなかの美形だった。鼻の舌に茶色の斑点があり、「ヒットラーの口髭みたい」と母が言っていたものだ。この「ヒットラーの口髭」があったために、長く避けた口が目立たず、おちょぼ口に見えてトクをしていた。

最初がたたみいわしだったのが禍したか、”ネコ”は大変な食い道楽に育った。近所の魚屋さんで売っている新鮮な小鰺が好きで、ちょっとでも油っぽかったり古かったり、大きすぎたりするともう食べない。食事係の母はいつも苦労していた。

”ネコ”のしっぽは先端の骨が折れ曲がってちょっと太くなっていた。お腹がすくと、その太いしっぽをピンと立て、台所に立つ母のふくらはぎをドンドン叩く。それでもごはんが出てこないとつめでひっかく。母の足はいつもネコのひっかききずだらけだった。

寝るときは私といっしょだった。子供の体温が高いことをよく知っていたのだろう。

寝室は二階だったので、私がベッドにはいると、階段をトントントンとあがってきて、ふすまのところでひと声「にゃ?」と啼く。その啼き方が、いかにも「これから行っていい?」というふうにきこえた。「チュチュ」と呼ぶとどさっと布団に乗ってくる。ゴロゴロ喉をならして脇の下に鼻をつっこんでくる。

最初は布団にもぐって寝ているのだが、暑いのでだんだん上にずりあがっていって、朝になると枕に頭を乗せているらしい。私を起こしにくる両親は、仲良く並んだ”ネコ”と子供の頭をほほえましく眺めたという。

階段は、”ネコ”のかっこうの遊び場だった。トントンと上にのぼっていって、上からちょこっと顔をのぞかせる。好奇心いっぱいの丸い目。こちらが階段をのぼるそぶりをみせると、ぱっと逃げて上に行く。しばらく放っておくと、また上から「忘れちゃったの?」とばかりに顔をのぞかせる。こんな奇妙な隠れん坊を楽しんだ。

あるとき、我が家の将棋盤が何かの拍子に倒れ、”ネコ”の上に落ちてきた。前足をつぶした”ネコ”は姿を消した。大騒ぎで捜したが、なかなか見つからない。3日後ぐらいに屋根の下で発見された。ガリガリに痩せて毛が抜け落ち、ケガした前足は膿み、穴があいていた。

必死で看病し、とびきり新鮮な魚を食べさせたら回復したが、前足は少し曲がったままになった。”ネコ”は変形した前足を気にするでもなく、昔のようにきちんとそろえて、先の太くなったしっぽをくるりと巻いて座っていた。

しかし、3日間の飢餓の思い出は抜けなかったらしく、以降は食事を異常にほしがるようになった。「みゃー」というかわいらしい声ではなく、「じゃーじゃー」と啼いてしっぽでゴボンゴボン叩く。母のふくらはぎは、前にも増して傷だらけになった。

”ネコ”はそれから長いこと生きたが、死ぬときはやっぱりモノを食べなくなり、しっぽの間に頭をおしこんで丸くなって寝ていた。母が徹夜で看病したが、明け方に亡くなったらしい。抱きしめると、ふわふわだったお腹は固くなってしんと冷たさが伝わってきた。横顔は口が頬まで裂けて、なんだかニヤニヤしているみたいだった。

*毎日新聞 2008年3月22日夕刊に転載

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